ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

メシアは聖霊のバプテスマを授ける方

 

 イスラエルは、神の約束を受けた神の民です。ユダヤ民族は、神に「世を救うメシアを遣わす」という契約を受けた民族です。

 

 神は、イスラエルにメシアを遣わされました。ナザレの町の処女マリアの胎に身ごもり、ベツレヘムで、ダビデの子孫ヨセフの子として生まれたイエスです。

 イエスは、罪の贖いの神の子羊としてイスラエルに遣わされました。ご自分の民の罪を贖い、民を死から救う主キリストです。

 

 御自身のひとり子をイスラエルに遣わされた神は、イスラエルに、御子を迎えて聞き従うことを望まれました。

 神は、イスラエルの御子イエスを迎え入れる備えのために、祭司ザカリヤの不妊の妻エリサベツの胎に男の子を造られました。彼は、エリヤの霊と力で主キリストの前ぶれをし、父たちの心を子どもたちに向けさせ、逆らう民を神の御子キリストのために用意するバプテスマのヨハネです。

 

 イエスは、弟子たちに言っておられます。

 「女から生まれた者の中で、バプテスマのヨハネよりすぐれた人は出ませんでした。」(マタイ11:11)

 ユダヤ人の先祖アブラハム、イサク、ヤコブ、モーセ、ダビデの名前ではなく、イエスは、バプテスマのヨハネが最もすぐれた人であると言っておられるのです。

 

 バプテスマのヨハネは、神の御子イエスをイスラエルに証言するために生まれて来た人でした。

 

 バプテスマのヨハネは、ユダヤ人たちに天の御国(主キリストの御救い)が近づいたことを知らせ、悔い改めの水のバプテスマを授けていました。「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」

 

 ユダヤ人の中には、バプテスマのヨハネがキリストではないのかと思う者もいました。ユダヤ人たちが祭司とレビ人をエルサレムからヨハネのもとに遣わして、「あなたはどなたですか。」と尋ねさせました。バプテスマのヨハネは彼らに、「わたしはキリストではありません。」と言明しました。(ヨハネ1:19,20)

 

 彼らが、「キリストでもなく、エリヤでもなく、またあの預言者(モーセが聞き従わなければならない、とイスラエルに語った預言者)でもないなら、なぜ、あなたはバプテスマを授けているのですか。」と尋ねると、バプテスマのヨハネは答えて言いました。

 

 「私は水でバプテスマを授けているが、あなたがたの中に、あなたがたの知らない方(地のものではなく天から来られた方)が立っておられます。

 その方は私のあとから来られる方で、私はその方の靴の紐を解く値打ちもありません。」(ヨハネ1:26,27)

 

 「私は、あなたがた(ユダヤ人たち)が悔い改めるために、水のバプテスマを授けていますが、私のあとから来られる方は、私よりもさらに力のある方です。私はその方のはきものを脱がせてあげる値打ちもありません。

 その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。

 手に箕を持っておられ、ご自分の脱穀場をすみずみまできよめられます。麦を倉に納め、殻を消えない火で良き尽くされます。」(マタイ3:11,12)

 

 キリストは、水のバプテスマを授けるためにイスラエルに来られたのではありません。悔い改めた者に、聖霊のバプテスマを授けるために来られました。

 

 死と滅びから救ってくださるメシアは、聖霊と火とのバプテスマを授ける方です。神の御霊を授ける権威を持たれる神の御子です。

 主キリストは、人に、御霊によって新しい心を与え、肉の心を焼き尽くし、永遠に生きるための新しい創造を施す神の御子です。

 

 神のひとり子の手には、箕(穀物の殻や塵を取り除くためにふるい分ける農具。不要なごみを吹き飛ばす)を持っておられます。こうして、ご自分の民であるイスラエルをきよめられます。

 神の御子イエスは、御霊が生んだ新しい創造の実を天の御国に納め、殻(実を結ばない者、新生しない者)を、永遠の火で焼く尽くします。

 

 このことは、この世で起こるのではありません。神の民の中で起こることです。神の国民の中で起こります。(イエス・キリストを信じない世はすでに裁かれています。)そして、イスラエルの王であられるキリスト・イエスは、ご自分の国をきよめられます。

 イスラエルは、天の御国の種(神のことば)を蒔く畑です。そして、イスラエルの中で神のことばは実を結びます。神の御子イエスは、ユダヤ人のシナゴーグ(ユダヤ教の会堂)やコングリゲーション(キリストを主とするユダヤ人の会堂)、また、キリスト教会で、箕をふるわれるのです。

 

 神の御子キリストは、聖霊と火とのバプテスマを授ける方であり、また、裁き主でもあるからです。最後の裁きの座に、父なる神とともに着かれる神のひとり子です。

 

 キリストから聖霊のバプテスマを受けて御霊によって生まれ、御霊に聞き従う者は、肉の思いに死ぬ火のバプテスマをくぐった者です。人は、聖霊のバプテスマによって新しく生まれ、火のバプテスマによって新しい者に造り変えられます。

 

 水のバプテスマは、悔い改めのバプテスマです。思いの向きをこの世から神に方向転換します。

 聖霊のバプテスマは、イエス・キリストの御名による、天から受けるバプテスマです。この世の思い、罪に死んで、神の御霊によって生まれ変わります。天で永遠に生きる新しい人に生まれ変わります。

 火のバプテスマは、聖霊を受けた者に与えられるバプテスマです。肉の欲望の支配を聖霊が打ち砕かれます。聖霊に聞き従う者のバプテスマで、殻や塵を焼き尽くし、御霊の実を結ばせます。

 

 人は、水のバプテスマによって、天の御国の門の前に来て、大庭を眺めます。この世とは別物の景色に、信仰の喜びを味わいます。

 人は、聖霊のバプテスマによって、天の御国の門の中に入り、大庭に立って大庭の豊かさを味わいます。天の御国の豊かさを味わい、神の御国の希望を持ちます。

 人は、火のバプテスマによって、聖なる者に造り変えられて神の家に入るのです。そこには、永遠の住まいが用意されています。

 

 バプテスマのヨハネは、ナザレのイエスを見て、「見よ、世の罪を取り除く神の子羊。」と証言しました。(ヨハネ1:29)

 そして、イエスが聖霊のバプテスマを授ける神の御子であることを、ユダヤ人たちに証言したのです。

 

 バプテスマのヨハネの弟子のふたりは、ヨハネの言葉を聞いて、イエスについて行きました。

 

 バプテスマのヨハネは、ナザレのイエスが神の御子、聖霊のバプテスマを授ける主キリストであることを証言しました。しかし、バプテスマのヨハネ自身は、聖霊のバプテスマを受けるために、イエスについて行くことはありませんでした。

 

 イエスが生きている間は、聖霊はまだ下られません。十字架で罪を処罰し肉に死んで、死から生まれた主キリストが、父なる神のもとに帰られると、聖霊のバプテスマを授けられるのです。

 

 聖霊のバプテスマは、天から授けられるバプテスマです。

 ノアが世の罪を裁く洪水から救い出され、イスラエルが紅海を渡って奴隷の家(この世の支配)から救い出されたような、地に属する、水のバプテスマではありません。

 死から復活し、天に引き上げられた神の御子キリストの御名によって授けられる、霊的なバプテスマです。

 

 イエスとともに過ごした弟子たち、滅びに定められていたイスカリオテのユダのほかの十一人の使徒と弟子たちは、イエス・キリストの御名によって授けられる聖霊のバプテスマを、祈り待ち望んで受けました。そして、彼らの信仰の歩みは全うされました。

 

 イエスがキリストであることをユダヤ人たちに証言したバプテスマのヨハネは、聖霊のバプテスマを授けるイエスがわからなくなってしまいました。神の御子イエスとともにいることのないバプテスマのヨハネは、イエスを証し続ける者ではなくなりました。

 

 神の御子イエスを証するために生まれたバプテスマのヨハネは、その働きを全うすることはありませんでした。ヨハネ自身が、イエスがキリストなのかどうかわからなくなってしまったのです。ヨハネは、ヘロデ王の罪を指摘して捕らえられました。そして、エドム人(アブラハムの契約を相続しなかったイサクの子、ヤコブの兄エサウの子孫)ヘロデに殺されました。

 

 イエスは言われました。

 「まことに、あなたがたに告げます。女から生まれた者の中で、バプテスマのヨハネよりすぐれた人は出ませんでした。しかも、天の御国の一番小さい者でも、彼より偉大です。」(マタイ11:11)

 

 聖霊のバプテスマを受けた弟子たちは、天の御国に入る者とされました。しかし、キリストがわからなくなって、聖霊のバプテスマを授ける方イエス・キリストを見失い、神の御子イエスの道から外れたバプテスマのヨハネは、天の御国の門をくぐることはないのです。

 

 メシアの民とそうでない者とは、はっきりとふるい分けられます。