ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

水のバプテスマは必要か

 

 バプテスマのヨハネは、「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」と言い、ユダヤの荒野で真理の教えを宣べて、神の使者キリストにお会いするためにユダヤ人たちの心を備えていました。

 彼は、主の道を用意する、来るべきエリヤでした。ユダヤ人たちの間に主の通られる道を真っすぐに整える者です。

 

 バプテスマのヨハネは、神に遣わされた者です。主キリストを証するために立てられた預言者です。旧約(神の御子イエス・キリストの新しい契約が立てられる以前)の最後の預言者です。

 

 主が通られる道とは、「インマヌエル(主が私たちとともにおられる)」と呼ばれるキリストが聖書の預言を成就される道です。

 預言の成就として人の子となって来られたイエスを、「この方がキリストです。」とユダヤ人たちにはっきりと示す役目です。イスラエルの神(アブラハムの神)の民であるユダヤ人たちがイエスをキリストとして迎えるためでした。

 

 しかし、主の道は波乱続きです。悪魔の策略により、神に仕える祭司らの思いを頑なにして、ユダヤ人たちは、イエスを否定しました。また、主キリストを証するはずのバプテスマのヨハネを迷わせて、イエスがキリストであるという確信をヨハネとヨハネの弟子たちから奪い去りました。

 

 バプテスマのヨハネは、来るべきキリストを証して語っていました。

 「私は、あなたがたが悔い改めるために、水のバプテスマを授けていますが、私のあとから来られる方(主キリスト)は、私よりもさらに力のある方です。

 私はその方の履物を脱がせてあげる値打ちもありません。その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。

 手に箕を持っておられ、ご自分の脱穀場を隅々まできよめられます。麦を倉に納め、殻を消えない火で焼き尽くされます。」(マタイ3:11,12)

 

 バプテスマのヨハネは、キリストにお会いするためにユダヤ人の心を神に向け、神の律法から外れていた生き方を悔い改めるために、ヨルダン川で水のバプテスマを授けていました。

 ユダヤ人たちはぞくぞくとヨハネのもとに来て、バプテスマを受けていました。ただし、神に仕える祭司や律法学者やパリサイ人たちは、水のバプテスマを決して受けませんでした。自分を義としたのです。

 

 バプテスマのヨハネの告げるキリストは、悔い改めの水のバプテスマを授ける方ではなく、神の御力によって、聖霊と火とのバプテスマを授ける方です。天の御国の到来を告げるヨハネよりもさらに力のある方なのです。

 聖霊と火とのバプテスマを授けるキリストは、ご自分の民(神の民)をすみずみまできよめられ、神を信じて信仰のある者は天の御国に入れて、口先だけで信仰のない者は、永遠の火の池に入れられます。

 そうです。キリストは、聖霊と火とのバプテスマを授ける方であり、神の民を裁くお方でもあるのです。

 

 「さて、イエスは、ヨハネからバプテスマを受けるために、ガリラヤからヨルダンにお着きになり、ヨハネのところに来られた。

 しかし、ヨハネはイエスにそうさせまいとして、言った。『私こそ、あなたからバプテスマを受けるはずですのに、あなたが、私のところにおいでになるのですか。』

 ところが、イエスは答えて言われた。『今はそうさせてもらいたい。このようにして、すべての正しいことを実行するのは、わたしたちにふさわしいのです。』

 そこで、ヨハネは承知した。

 こうして、イエスはバプテスマを受けて、すぐに水から上がられた。すると、天が開け、神の御霊が鳩のように下って、自分の上に来られるのをご覧になった。

 また、天からこう告げる声が聞こえた。『これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。』」(マタイ3:13-17)

 

 「私のあとから来られる方は、私よりもさらに力のある方です。」と証言していたバプテスマのヨハネは、水のバプテスマを受けるために来られたイエスにそうさせまいとして言いました。

 「私こそ、あなたからバプテスマを受けるはずですのに、あなたが、私のところにおいでになるのですか。」

 

 すると、イエスは答えて言われました。

 「今はそうさせてもらいたい。このようにして、すべての正しいことを実行するのは、わたしたちにふさわしいのです。」

 

 神の御力をもって聖霊と火とのバプテスマを授けるはずのキリスト・イエスが、バプテスマのヨハネから水のバプテスマを受けることは、父なる神が望まれる正しいことだ、と言われたのです。

 神から出たバプテスマのヨハネとナザレのイエス。ふたりとも、神に遣わされ、はっきりとした神の使命を負う人生を歩む神の人でした。ふたりとも、神の御計画のうちに神の御霊によって生を受け、神が名づけられた名前を名乗る、神に召された人だったのです。

 ヨハネもイエスも、神が名づけ親です。神がその父親に子どもの名前はヨハネとつけるように、イエスとつけるようにと、命じられたのです。母の胎内にある時からふたりには名がつけられていました。神の使命を果たすために生まれたのです。

 エリヤの霊のバプテスマのヨハネと、キリストの霊のイエス・キリストは、神からのものです。イスラエルが神から受けた天からの授かり物です。祭司たちは、天からのものを拒みました。

 

 アダムとエバがエデンの園を追放されて置かれた地は、神の子ら(堕天使と思われます)によって汚され、アダムの子孫も悪いものとなり、地の被造物は堕落しました。

 すると、神はノアに、水で滅ぼすことを告げ箱舟を作るように命じられました。神のお告げに従い、ノアとノアの家族は箱舟を造り、箱舟に入って洪水から救い出されました。

 

 地球が水で洗われると、すべての被造物は水により一掃されましたが、ノアとノアの家族は水をくぐるようにして救われました。ノアとノアの家族は、家族で水のバプテスマを受けて、一掃された地で再スタートしました。神により、一新されたのです。

 

 洪水を潜り抜けたノアとノアの家族は、水によって洗われた地で再スタートしましたが、しばらくすると水で流された悪しきものが芽生え、暴虐に満ちた世となりました。

 

 神は、暴虐に満ちた悪い世にアブラハムを見出され、悪から救い出すキリストを生むことを約束されました。神は、キリストのために、アブラハムの神に仕えるイスラエル(ユダヤ民族)を造られました。そして、神はイスラエルの神となられたのです。アブラハムと出会われ、アブラハムと契約を結ばれた神は、イスラエルの神となられ、イスラエルはアブラハムが仕えた生ける神の民となったのです。

 

 神はイスラエルを四百年の間、エジプトの奴隷とされました。イスラエルはこの世の奴隷の苦しみを民族全体で体験しました。

 四百年が満ちると、神はモーセを遣わし、イスラエルを奴隷の家エジプトから連れ上られました。後を追ってくるエジプトの王と軍勢の前で、神はイスラエルの前の紅海の水を割り、イスラエルは水をくぐって救い出されました。後から来たエジプト人たちは紅海の水に飲まれて死にました。

 

 イスラエルは、民族全体で紅海の水をくぐって救われたのです。イスラエルは、民族で水のバプテスマを受け、この世の奴隷から生ける神に仕える神の民となったのです。

 

 罪のないイエスは水のバプテスマを受ける必要はなさそうですが、「今はそうさせてもらいたい。このようにして、すべての正しいことを実行するのは、(神に使命を受ける)わたしたちにふさわしいのです。」と言われて、ヨハネから水のバプテスマを受けられました。

 

 イエスはご自分のあとに続いて神の子どもとされる弟子たちのために、神の用意された手順通りの正しいことを実行されたようです。

 それで、イスラエルに悔い改めを説くバプテスマのヨハネが神のキリスト・イエスに水のバプテスマを授け、キリストはバプテスマのヨハネから悔い改めの水のバプテスマを受けられました。

 

 神のひとり子キリスト・イエスは、神の子どもとされる「人の子」の総代なのです。キリスト・イエスのあとに続いて、死から復活する神の子どもに創造される人々の手本となられたのです。

 

 一つの家族(ノアの家族)が水(洪水)をくぐって世の滅びから救い出され、悪を洗われて一新された世で再出発しました。

 一つの民族(ユダヤ民族またはイスラエル民族)が水(紅海)をくぐり奴隷の家エジプトから救い出されて、荒野で神の契約を受けて神の民となりました。

 一人の人が父と子と御霊による水のバプテスマ(悔い改めのバプテスマ)を受けて神の子どもとされる特権を与えられ、神に不従順なこの世の奴隷(罪の奴隷)から救い出されて、新しい歩み(神の子どもとされる歩み)に入るのです。

 

 水のバプテスマは、悔い改めて神に立ち返ることの表明であり、神の御子イエス・キリストを「我が主」として生きる人の告白なのです。

 神の家の長子であるキリスト・イエスが、神の子どもとされるものの最初の人となられ、いのちの道を築くために歩まれた道です。

 

 水のバプテスマは、過去の生き方を捨て、新しい生き方に入る門なのかも知れません。世の奴隷ではなく、キリストのものとなる、という告白です。

 「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(コリント第二5:17)

 

 「私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。」(エペソ2:10)