ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

七つの御霊による救い

 

 イエスは言われました。

 「汚れた霊が人から出て行って、水のない所をさまよいながら、休み場を捜します。一つも見つからないので、『出て来た自分の家に帰ろう。』と言います。

 帰って見ると、家は、掃除をしてきちんと片付いていました。そこで、出かけて行って、自分よりも悪いほかの霊を七つ連れて来て、みな入り込んでそこに住みつくのです。そうなると、その人の後の状態は、初めよりもさらに悪くなります。」(ルカ11:24-26)

 

 人が、イエスを主キリスト(唯一の救い主)であると告白し、イエス・キリストを信じて自分の罪を言い表わし、悔い改めのバプテスマを受けて罪が赦される恵みにあずかると、その人のうちにいた汚れた霊は、居場所を失います。

 

 罪を悔い改めてキリストの贖いの血を受けた人から、汚れた霊は出て行きます。すると、キリストの贖いの血を受けた人は、目に映るすべてのものが生き生きと美しくいのちに輝き、鮮やかに見えるという体験によって、言葉で言い表せない感動を味わいます。そして、暗闇から解放され罪が赦された喜びに心おどらせます。

 

 罪が赦された人は、次に聖霊(キリストの霊)を受けなければいけません。罪が赦され、汚れた霊も出て行き、心は掃除してきちんと片付いた状態です。しかし、そのままでは、家は片付いているけれども、空っぽの状態です。家は、霊の住まいです。罪が赦された人は、家にキリストの御霊を迎えなければ、汚れた霊が戻って来てしまいます。

 

 出て行った汚れた霊は、悔い改めることのない人々のところをさまよいながら、休み場を捜します。しかし、休み場を見つけることができない霊は、「出て来た自分の家に帰ろう。」と言って、帰って見ると、まだ聖霊はおらず、きちんと片付いた空き家です。

 

 すると、その人のうちに住んでいた汚れた霊は、きちんと片付いた家を見て、再びそこに住みつくのです。しかも、出かけて行って、自分よりも悪いほかの霊を七つ連れて来て、みな入り込んで住みつくのです。そうなると、その人の後の状態は、初めよりもさらに悪くなります。

 

 黙示録2,3章に、七つの御霊の教会のことが書かれています。また、1章には、「恐れるな。わたしは、最初であり、最後であり、生きている者である。わたしは死んだが、見よ、いつまでも生きている。また、死とハデスとの鍵を持っている。」と仰せられるキリストの姿が書かれています。

 

 パトモス島にいた使徒ヨハネは、栄光の主キリストの姿を、御霊によって見ました。その様子が、黙示録1:12-16に、書かれています。

 「七つの燭台が見えた。それらの燭台の真中には、足まで垂れた衣を着て、胸に金の帯を締めた、人の子(神の子羊となられた神の御子イエス)のような方が見えた。

 その頭と髪の毛は、白い羊毛のように、また雪のように白く、その目は、燃える炎のようであった。

 その足は、炉で精錬されて光り輝く真鍮のようであり、その声は大水の音のようであった。

 また、右手に七つの星を持ち、口からは鋭い両刃の剣が出ており、顔は強く照り輝く太陽のようであった。」

 

 ヨハネが御霊にて見たキリスト・イエスの姿は、肉体を持ってイスラエルを歩まれた、ヨハネが知る人の子イエスの姿ではありません。墓から甦り、復活のからだで弟子たちに現われたキリストの姿でもありません。ヨハネが見たことのない、神のひとり子主キリストの栄光の姿でした。

 一度十字架で死んだが、死から甦り、永遠に生きておられる主、また、死とハデス(死の国)との鍵を持つ裁き主であられる主です。

 

 キリスト・イエスは、死んだ者の中から生まれた最初の人の子です。また、最後のキリストです。イエス・キリストのあとに、救い主は現われません。イエス・キリストが、裁き主であられる父なる神が天から遣わされた唯一の救いなのです。

 

 使徒ペテロは、使徒たちによって病人が癒されるのを怪しむ民の指導者、長老、学者たち、また、大祭司一族の尋問に対して、証言しています。

 

 「皆さんも、またイスラエルのすべての人々も、よく知ってください。病人が直って、あなたがたの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけ、神が死者の中から甦らせたナザレ人イエス・キリストの御名によるのです。

 『あなたがた家を建てる者たちに捨てられた石が、礎の石となった。(イスラエルの指導者、長老、祭司、律法学者たちが拒絶し十字架で処刑して捨てたイエスが、神の民イスラエルの救いの礎となった。)』と聖書に書いてあるのは、この方のことです。

 この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名(イエス・キリストの名)のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。」(使徒4:10-12)

 

 つまり、イエス・キリスト以外に、永遠に生きておられて永遠のいのちを与えるまことの救い主は誰もいない、ということです。

 

 ヨハネが御霊に感じて見た、栄光の主キリストは、右の手の中に、七つの星(七つの御霊の教会の御使いたち)と、七つの金の燭台(七つの御霊の教会)を持っておられました。

 永遠に生きておられる栄光の主キリストのうちにあるのは、七つの御霊の教会です。宗派教派を持つキリスト教会ではありません。

 

 永遠に生きておられるキリストのうちにあるのは、七つの御霊の教会なのです。

 

 七つの悪霊が入り込むならば、永遠の死を避けることができません。救いのない状態です。御霊は、その人のうちに住まうことができません。

 

 汚れた霊が出て行っても、聖霊を受けないならば、その人の状態は、初めよりもさらに悪くなってしまうのです。

 

 イエス・キリストを信じる者が、父が約束しておられる聖霊を受けることは、本当に大切なことです。

 人は、聖霊によって新しい意識をいただき、永遠に生きる神の子どもとして新しい創造を受けるのです。

 

 イエス・キリストの御名によって救われ、キリストの御霊によって、永遠に生きる天上の神の子どもに造り変えられるのです。これこそが、神が用意しておられる、まことの救いなのです。

 

 七つの御霊の教会に約束されているのは、人の望みではありません。永遠のいのちと永遠に相続する新しい天と新しい地、天の御国なのです。