ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

復活の主キリストにお会いする女

 

 マグダラのマリアが、墓から甦られた主イエスにお会いしたことが書かれています。

 香油を塗るために、週の初めの日(日曜日)に、マリアはイエスの墓に行きました。しかし、墓の中に置かれたイエスのからだがなくなっていたのです。大切な先生のからだがありません。だれかが盗んでいったのでしょうか。マリアは途方に暮れて泣いていました。

 

 「ふたりの御使いが、イエスのからだが置かれていた場所に、ひとりは頭のところに、ひとりは足のところに、白い衣をまとっているのが見えた。彼らは彼女に言った。『なぜ泣いているのですか。』彼女は言った。『だれかが私の主を取って行きました。どこに置いたのか、私にはわからないのです。』

 彼女はこう言ってから、うしろを振り向いた。すると、イエスが立っておられるのを見た。しかし、彼女にはイエスであることがわからなかった。

 イエスは彼女に言われた。『なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか。』彼女は、それを園の管理人だと思って言った。『あなたが、あの方を運んだのでしたら、どこに置いたのか言ってください。そうすれば私が引き取ります。』

 イエスは彼女に言われた。『マリア。』彼女は振り向いて、ヘブル語で、『ラボニ(すなわち、先生)。』とイエスに言った。

 イエスは彼女に言われた。『わたしにすがりついてはいけません。わたしはまだ父のもとに上っていないからです。わたしの兄弟たち(つまり、弟子たち)のところに行って、彼らに「わたし(イエス)は、わたしの父またあなたがたの父、わたしの神またあなたがたの神のもとに上る。」と告げなさい。』

 マグダラのマリアは、行って、『私は主にお目にかかりました。』と言い、また、主が彼女にこれらのことを話されたと弟子たちに告げた。」(ヨハネ20:11-18)

 

 マリアには、白い衣の人が御使いであることも、話しかけたお方がイエスであることもわかりませんでした。復活されたからだのイエスに、肉体のイエスの面影がなかったようです。

 

 マグダラのマリアは、イエスに「マリア。」と呼びかけられて、すぐに、この方がイエスであることを悟ったのでした。マグダラのマリアは、かつて、イエスに、七つの悪霊を追い出していただいた女でした。(ルカ8:2)

 イエスが神の国を説き、その福音を宣べ伝えながら、十二弟子たちをお供に、町や村を次から次に旅しておられたとき、彼らに仕えていた大勢の女のひとりでした。

 

 大勢の弟子たちの中で、復活のからだのイエスが最初にお姿を現わされたのが、マグダラのマリアでした。十二弟子ではありません。かつてイエスが七つの悪霊を追い出したマリアに現われたのです。

 

 七つの悪霊に憑かれていたマグダラのマリアは、望みのない者でした。滅びの中にいたのです。永遠の死が待っているだけです。しかし、イエスは、この望みのない女マグダラのマリアから、七つの御霊を追い出されました。マリアは、イエスによって、死と滅びから解放されました。暗闇の支配から解放されたのでした。

 罪ゆえに、神の民聖なるイスラエルから除外され、約束の契約の保証を欠いた、望みもなく、救いのないマグダラのマリアが、神の御子イエスの愛と憐れみにより、神の御恵みをいただきました。

 神の御子イエスは、マリアを縛っていた七つの悪霊を追い出して、マグダラのマリアを自由の子とされたのです。マグダラのマリアは、イエスを自分以上に愛しました。

 

 このことは、イエス・キリストが、七つの御霊の教会と一つになることの象徴のようです。悪魔の支配から、御霊の支配に移し替えられた、七つの御霊の教会こそが、復活のからだの主キリストをお迎えするのに、ふさわしい教会です。普遍的な教会です。七つの御霊の教会は、復活の主イエス・キリストの手の中にあります。

 

 七つの教会は、御霊を受けた教会です。ラオデキヤ、フィラデルフィア、サルデス、テアテラ、ペルガモ、スミルナ、エペソの七つの教会です。御霊によって生まれ、御霊によって新しい創造を受け、神の子どもとして新しく造り変えられた人々の七つの群れ、御霊によって生まれた教会です。

 

 マグダラのマリアは、七つの御霊の教会のしるしのようです。滅びゆく罪人が、神の御子イエスの贖いの血により、罪が赦されて、御霊を宿す聖霊の宮に造り変えられました。暗闇の支配から解放され、罪の奴隷から神の奴隷となったのです。

 「罪から解放されて神の奴隷となり、聖潔に至る実を得たのです。その行き着く所は永遠のいのちです。」(ローマ6:22)

 

 イエス・キリストが花婿で、教会はイエス・キリストの花嫁にたとえられます。イエス・キリストが男で、キリストにつく新しい御霊の創造は女です。女は男から取られ、男の一部分なのです。

 

 死から甦られた復活のからだの主キリストは、御霊によって復活のからだを得る御霊の教会(永遠に生きられるキリストの御霊を宿す教会)を手の中に持っておられます。七つの御霊の教会が、栄光のキリストの教会なのです。

 

 永遠に生きておられるキリスト・イエスがかしらとなり、七つの御霊の教会は、地から引き上げられるキリストのからだです。御霊によって、一つのものなのです。

 

 「御子イエス・キリストはそのからだである教会のかしらです。御子は初めであり、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、ご自身がすべてのことにおいて、第一のものとなられたのです。」(コロサイ1:18)

 

 「キリストは教会のかしらであって、ご自身がそのからだの救い主であられます。」(エペソ5:23)