ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

生かす御霊はインマヌエル

 

 預言者イザヤが、ダビデの家に言いました。

 「主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。」(イザヤ7:14)

 

 ダビデの子孫ヨセフに、主の使いが夢に現われて言いました。

 「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの許嫁の妻マリアを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、御自分の民イスラエルをその罪から救ってくださる方(主キリスト)です。」(マタイ1:20,21)

 

 ヨセフは眠りから覚め、主の使いに命じられたとおりにして、その許嫁の妻マリアを迎え入れ、子どもが生まれるまで彼女を知ることがなく、その子どもの名をイエスとつけました。この出来事は、主が預言者を通して言われた事が成就するためでした。

 

 「見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)(マタイ1:23)

 

 処女マリアからお生まれになった主キリストは、神によってイエスと名づけられました。イエスは、「主が私たちとともにおられる」ことを証する神のひとり子でした。

 

 イエスは、病人を癒し、悪霊を追い出して解放し、死人を生き返らせ、罪を赦し、神のことばを語っておられました。

 ユダヤ人の指導者ニコデモは、ユダヤ人に隠れ、夜、イエスのもとに来て言いました。

 「先生。私たちは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神がともにおられるのでなければ、あなたがなさるこのようなしるしは、だれも行なうことができません。」(ヨハネ3:2)

 

 神はイエスに聖霊と力を注がれました。神がともにおられたので、イエスは、巡り歩いて良いわざをなし、また悪魔に制せられているすべての者を癒されました。

 

 イエスは、弟子たちに言われました。

 「いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです。

 しかし、あなたがたのうちには信じない者がいます。(銀貨30枚で祭司たちに引き渡してイエスを裏切ったイスカリオテ・ユダのことを言われた。)それだから、わたしはあなたがたに、『父の御心によるのでないかぎり、だれもわたしのところに来ることはできない。』と言ったのです。」(ヨハネ6:63-65)

 

 こういうわけで、弟子たちのうちの多くの者が離れ去って行き、もはやイエスとともに歩かなかった。

 そこで、イエスは十二弟子に言われた。

 「まさか、あなたがたも離れたいと思うのではないでしょう。」

 すると、シモン・ペテロが答えた。

 「主よ。私たちがだれのところに行きましょう。あなたは、永遠のいのちのことばを持っておられます。私たちは、あなたが神の聖者であることを信じ、また知っています。」(ヨハネ6:66-69)

 

 イエスは、永遠のいのちのことばを持っておられました。イエスは、モーセの語っていた、神が遣わされるもうひとりの預言者であり、神から来られた神の聖者です。

 神が私たちとともにおられることを知らせてくださる、「インマヌエル」と呼ばれる神のひとり子です。

 

 イエスは、神の民のために、罪のないご自分の血を流されました。罪の贖いの子羊の血です。肉体の血を流し、肉なる者の罪を贖われました。肉が死んだことで、罪の呪いは解かれました。罪の呪いは死です。死は、罪の報酬です。肉の死から解放された霊はどこに向かうのでしょう。

 

 神の子羊イエスは、肉に死んで、死から生まれた新しい人となられました。第二のアダムです。土の塵から生まれたアダムの報酬は、死でした。しかし、第二のアダム、イエス・キリストは、死から新しく生まれたのです。

 

 死から復活されたキリストは、肉の子どもではありません。霊の子どもです。

 いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。イエスは、肉のからだにあっても、霊のことばを話し、いのちのことばを話されました。

 死から生まれた第二のアダム(復活のキリスト)は、霊のからだで、霊のことばを話し、いのちのことばを話されるのです。

 

 御救いのわざを完了された神のひとり子イエス・キリストは、神から栄光を受け取られ、神の御座の右に着座されました。

 

 イエス・キリストは、天のまことの聖所で仕える大祭司として、今も私たちのために執り成してくださっています。

 御救いを成し遂げられた神の子羊イエスは、神から聖霊のバプテスマを授ける権威をいただいた主キリストです。主キリストは、イエスの弟子たちに、聖霊のバプテスマを授けられます。

 

 イエス・キリストの御名によって授けられる聖霊は、もうひとりの助け主です。イエスが霊のことばを語り、いのちのわざをされたように、聖霊は、ひとりひとりのうちに住まわれる御霊となって、インマヌエル(神が私たちとともにおられる)なるわざを施されるのです。

 

 十字架に掛かられたナザレのイエスは、御霊とともに死から甦って、生かす御霊となられたのです。生かす御霊を宿す者は、キリストの御霊を宿す者です。生かす御霊は、第二のアダムです。

 

 第一のアダムのいのちは血にありました。肉体のからだのいのちは血にあるのです。

 第二のアダムのいのちは、生かす御霊にあります。霊のからだのいのちは御霊にあるのです。

 

 「私はあなたの御霊から離れて、どこへ行けましょう。私はあなたの御前を離れて、どこへ逃れましょう。」(詩篇139:7)

 神の御霊は、天にも地にも満ちています。神の御霊から離れて、どこへ行くこともできません。神の御霊の中に、いのちの書の秘密が隠されています。人の成したすべての事が書き記されています。

 

 救い主イエス・キリスト、永遠のいのちを得させてくださる唯一のメシアは、生かす御霊となって、私たちのうちに来て住んでくださいます。

 

 神が、イエス・キリストの御名によって授けてくださる御霊は、私たちの霊を生かし、永遠のいのちを得させてくださいます。

 神の子羊として遣わされた神のひとり子イエスは、悪魔に打ち勝ち、死に勝利して、生かす御霊となられました。

 

 生かす御霊は、父を知る聖霊です。イエスが父の中にあったように、私たちを父の中に入れてくださいます。

 父とともにおられたイエスがインマヌエルと呼ばれたように、御霊を宿す私たちも、父がともにおられる神の子どもとして扱ってくださるのです。

 

 なぜならば、神は、聖霊のバプテスマによって、インマヌエルと呼ばれるキリストの御霊を授けられたからです。