ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

イエスの弟子のしるし

 

 神と契約を結ぶ者のしるしは、割礼でした。割礼のない者は、神の契約の誓いから取り除かれます。神に選ばれ聖なる神の民とされたユダヤ人は、割礼のない人々を忌み嫌いました。

 

 割礼のない異邦人たちも神のみことばを受け入れた、ということを耳にした使徒たちやユダヤにいる兄弟たちは、ペテロが割礼のない異邦人のところに行って、彼らとともに食事をした、と非難しました。

 

 ペテロは弁明しました。

 「ヨッパに使いをやって、ペテロと呼ばれるシモンを招きなさい。その人があなたとあなたの家にいるすべての人を救うことばを話してくれます。」と御使いの御告げを受けた異邦人のコルネリオが、ペテロに使いを送ったのです。

 ためらわずにその人たちといっしょに行くように、と御霊に言われたペテロは、六人の同行者とともに、使いの人々について行きました。その人(コルネリオ)の家に入って、神のことばを話し始めていると、聖霊が、あの最初のとき使徒たちやユダヤ人の弟子たちにお下りになったと同じように、彼らの上にもお下りになったのです。

 そのとき、ペテロは思い起こしました。主イエスが、「ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは、聖霊によってバプテスマを授けられる。」と言われたみことばを思い出したのです。

 「こういうわけですから、私たちが主イエス・キリストを信じたとき、神が私たちに下さったのと同じ賜物を、彼らにもお授けになったのなら、どうして私などが神のなさることを妨げることができましょう。」(使徒11:13-17)

 

 ペテロは語りました。

 「イエス・キリストはすべての人の主です。それはナザレのイエスのことです。神はこの方に聖霊と力を注がれました。このイエスは、神がともにおられたので、巡り歩いて良いわざをなし、また悪魔に制せられているすべての者を癒されました。

 私たちは、イエスがユダヤ人の地とエルサレムとで行なわれたすべてのことの証人です。人々はこの方(イエス・キリスト)を木に掛けて殺しました。しかし、神はこのイエスを三日目に甦らせ、現われさせてくださいました。

 しかし、それはすべての人々にではなく、神によって前もって選ばれた証人である私たちにです。私たちは、イエスが死者の中から甦られて後、ごいっしょに食事をしました。

 イエスは私たちに命じて、このナザレのイエスこそ生きている者と死んだ者との裁き主として、神によって定められた方であることを人々に宣べ伝え、その証をするように、言われたのです。

 イエスについては、預言者たちもみな、この方を信じる者はだれでも、その名によって罪の赦しが受けられる、とあかししています。」(使徒10:36,38-43)

 

 ペテロは、イエスを「先生。」と呼び、イエスにつき従った十二人の使徒のひとりです。そのとき、聖霊はイエスとともにおられました。

 イエスの弟子たちは、イエスのことばを聞き、イエスに従っていました。

 

 七日間にわたる主の仮庵の祭りが始まりました。最初の日は聖なる会合であって、労働の仕事はいっさいしてはなりません。七日間、ユダヤ人たちは火による献げ物を主に献げ、八日目も、ユダヤ人は聖なる会合を開かなければなりません。これは、きよめの集会です。

 

 イエスは、祭りの終わりの大いなる日に、立って、大声で言われました。

 「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。

 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」(ヨハネ7:37,38)

 

 イエスのこのことばについて、聖書にはこのように書かれています。

 「これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである。」(ヨハネ7:39)

 

 イエスは、罪の贖いの神の子羊として、世に来られました。神のひとり子イエスは、罪の生贄の子羊として、ユダヤ人たちに屠られるために、父に遣わされていたのです。

 イエスが受けられる栄光とは、主キリストの栄光です。十字架の死(神の子羊イエスの罪の贖いの血)と、死者の中から甦ることです。

 

 神のひとり子イエスが罪の贖いのために流される血は、父の怒りをなだめ、父の御心を満足させ、父は罪人の罪の赦されます。

 神のひとり子イエスが罪の贖いのために流される血は、悪魔を打ち砕く、力ある血です。力あるいのちです。すべての罪を無効にし、罪の報酬の死から解き放って、神から義とされるのです。

 

 神のひとり子イエスが成し遂げられた御救いのわざは、神の御救いのわざです。神に油注がれたキリストのわざです。

 

 イエスが十字架で死んで贖いの血を流し、墓に入り、聖霊によって死から甦られました。肉体を持つ人の子イエスが死に勝利したのです。イエス・キリストは、死に勝利して永遠に生きる神のひとり子キリスト(メシア)です。

 

 ナザレのイエスは、死から甦られたことによって、罪のない者であることが証されました。死は罪の報酬です。罪のない者は、罪の報酬の死を受けることがありません。イエスは、罪のない全き人でした。全き人の子イエスが、聖霊により死から復活して、神の栄光を現わされました。

 

 神の栄光を現わされた主キリスト・イエスは、天に上り、神から「主キリスト」(メシア)の栄光を受けられて、神の御座の右に着座されました。

 

 キリストは、聖霊のバプテスマを授けるお方です。イスラエルに「主キリスト」を証するために遣わされたバプテスマのヨハネは、証言しています。

 「私は、あなたがたが悔い改めるために、水のバプテスマを授けていますが、私のあとから来られる方は、私よりもさらに力のある方です。その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。

 手に箕を持っておられ、ご自分の脱穀場をすみずみまできよめられます。麦を倉に納め、殻を消えない火で焼き尽くされます。」(マタイ3:11,12)

 

 天より高く上げられたキリストは、聖霊と火とのバプテスマを授ける方であり、神の民の中を裁く裁き主なのです。

 

 イエスは天に引き上げられるとき、弟子たちに言われました。

 「あなたがたは、御救いを与えるキリストの証人です。わたしは、わたしの父の約束してくださったもの(聖霊)をあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都に留まっていなさい。」(ルカ24:48,49)

 

 イエス・キリストを証する証人は、イエスの弟子です。

 イエスの弟子は、罪の贖いの子羊イエスが十字架に掛かり、三日目に死人の中から甦り、主イエス・キリストの御名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まってあらゆる国の人々に宣べ伝えられることの証人であり、神の御子イエス・キリストの御名の御救いを証する証人です。

 イエスの弟子であるしるしは、いと高き所から着せられる力、聖なる御霊です。イエス・キリストの御名によって授けられる聖霊です。

 

 イエスは言われました。

 「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」(使徒1:8)

 

 聖霊を受けることは、いと高き所(天の神の聖所)から着せられる力を受けることです。

 

 神の選ばれた民のしるしが肉の割礼であったように、神のひとり子イエス・キリストの弟子のしるしは、御霊による心の割礼です。御霊によって新しく生まれ、永遠に生きる新しい創造を受けるのです。

 イエスの弟子は、生かす御霊を持っています。生かす御霊は、イエスの弟子の心の奥底から流れる生ける水の川です。

 イエスの弟子に、神がともにおられるのです。