「主からエレミヤにあったみことばは、こうである。
『立って、陶器師の家に下れ。そこで、あなたに、わたしのことばを聞かせよう。』
私が陶器師の家に下って行くと、ちょうど、彼はろくろで仕事をしているところだった。陶器師は、粘土で制作中の器を自分の手で壊し、再びそれを陶器師自身の気に入ったほかの器に作り替えた。
それから、私に次のような主のことばがあった。
『イスラエルの家よ。この陶器師のように、わたしがあなたがたにすることができないだろうか。―主の御告げ。―見よ。粘土が陶器師の手の中にあるように、イスラエルの家よ、あなたがたも、わたしの手の中にある。
わたしが、一つの国、一つの王国について、引き抜き、引き倒し、滅ぼすと語ったその時、もし、わたしがわざわいを予告したその民が、悔い改めるなら、わたしは、下そうと思っていたわざわいを思い直す。
わたしが、一つの国、一つの王国について、建て直し、植えると語ったその時、もし、それがわたしの声に聞き従わず、わたしの目の前に悪を行なうなら、わたしは、それに与えると言った幸せを思い直す。』(エレミヤ18:1-10)
良い作品を制作する陶器師は、自分の気に入った器を作り出すまで、何度も試みます。気に入らない器は、その場で壊してしまうでしょう。
職人気質の陶器師は、他の人がもったいないと思える物でも、惜しげなく打ち砕いて、自分の作品と名乗らせないようにします。
エレミヤが訪れた陶器師は、ろくろで仕事をしているところでした。まだ、粘土で制作中でした。思い通りのかたちにならない器を自分の手で壊し、再びそれを陶器師自身の気に入ったほかの器に作り替えていました。
神は、エレミヤに仰せられました。「粘土が陶器師の手の中にあるように、イスラエルの家は、神の手の中にある。」
イスラエルの家は、ソロモンの不義により、二つの王国に分裂していました。ユダ族とベニヤミン族の二つの支族によってなる南ユダ王国(ダビデ王を生んだユダ族と最初の王サウルを生んだベニヤミン族、二つの王家を持つ王国)と、イスラエルの長子の権利を持つヨセフ族とほかの九つの支族の北イスラエル王国(十支族)に分かれました。
神は、イスラエルに向けて語られました。
一つの王国が、わざわいを予告されても、悔い改めるなら、神は、下そうと思っておられたわざわいを思い直す。
一つの王国が、建て直し、イスラエルの地に植えると語ったとき、神の御声に聞き従わず、悪を行なうなら、神は、与えようと思っておられた幸せを思い直す。
粘土は、陶器師の手の中にあります。
神の民イスラエルは、神の御手の中にあるのです。
陶器師は、土から取られた粘土で器を制作します。
神は、御自分が造られた土から取られた粘土で器を造り、焼いて壊して、聖霊の器を造られます。肉の器を御霊の器に造り変えられるのです。
神は、粘土をも御自分で造られた創造主であられます。粘土も器も、神のものです。
「あなたは私たちから御顔を隠し、私たちの咎のゆえに、私たちを弱められました。しかし、主よ。今、あなたは私たちの父です。私たちは粘土で、あなたは私たちの陶器師です。
私たちはみな、あなたの手で造られたものです。」(イザヤ7,8)
神は、土から人を造られました。人は、神の作品です。神に敵対する悪魔の手下の蛇が、神の作品である人を汚しました。闇の心を入れたのです。神のことばとひとつであった人に、悪魔の言葉が入りました。
陶器師は、制作中の自分の思い通りではない器を自分の手で壊し、再びそれ(粘土)を陶器師自身の気に入ったほかの器に作り替えます。
神は、御自分の思い通りではなくなった器を御自身の御霊によって壊し、生かす御霊によって新しい創造をされます。
土の器は、地に属するものです。朽ちるものです。朽ちてやがて土に還ります。
生かす御霊によって、新しく造り変えられる器は、天に属するものです。永遠に生きる霊のものです。
御霊は、肉なる器を試み、何度も火をくぐらせて懲らしめて肉を破り、死からいのちを生んでくださいます。
死ぬべき肉なる器は、神のひとり子イエス・キリストの罪の贖いの血によってきよめられ、きよめられた器は、御霊によって新しく生まれ、新しい創造を受けるのです。
新しく創造される器は、土の器ではありません。聖霊の器です。肉欲にまみれていた滅びゆく土の器は、生かす御霊に造り変えられて、永遠のいのち(御霊)を入れる神の神殿とされるのです。
神は、いのちの器の陶器師です。
土の器の陶器師は、気に入らない器を粉々に壊します。しかし、いのちの器の陶器師である神は、気に入らない器を気に入ったほかの器に造り変えられるのです。
神が人を造られたとき、非常に良いと満足された「人」は、神に背く悪魔の罪に同調して、神の気に入らないものとなってしまいました。そして、エデンの園から追放されました。
神は、エデンの園から追放した人のうち、神を畏れ敬う、正しい者をご覧になっておられました。アダムの子セツの子から生まれたエノクがいました。エノクは神とともに歩んだので、神が彼を地から取られ、エノクは地からいなくなりました。
エノクの子からノアが生まれました。ノアは、神の心にかなう正しい人でした。地上に悪が増大し、地は神の前に堕落し、地は暴虐に満ちていました。その時代にあっても、ノアは潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている全き人でした。
神は、ノアの時代に、大洪水で地を滅ぼされ、水ですべての肉なるものを滅ぼされました。そして、正しい人ノアに箱舟を作るようにお命じになられた神は、神のことばに聞き従うノアとノアの家族とを、箱舟によって、水の中から救い出されました。
悪に乱れ罪に汚れた地球を水で洗い、地球の罪を贖われた神は、ノアとノアの家族から、人類の営みを再スタートさせられました。
ノアの子セムの子孫にアブラハムが生まれ、アブラハムと契約を結ばれた神は、契約どおりに、アブラハムの妻サラの子に、アブラハムの祝福と契約を受け継ぐヤコブをお与えになられました。
神はヤコブの夢に現われてヤコブと契約し、ヤコブとヤコブの子孫にアブラハムに約束したカナンの地を与えることを約束されました。(創世記28:13-15)
ヤコブは、カナンの地が神の家となり、すべてのものの十分の一を神に献げるという誓いをしました。(創世記28:22)
のちに神から「イスラエル」という新しい名前をいただくヤコブは、ヤコブの家が神に仕える神の家となること、父祖アブラハムが神の約束によって所有するカナンの地は、神に仕える神の家(ベテル)となることを誓ったのでした。
神は、アブラハムにお告げになったとおりに、妻サラのひとり子イサクの子孫、ヤコブの子らを、四百年の間、奴隷の家エジプトで奴隷として苦しめられました。
しかし、四百年の時が満ちると、神のお告げどおり、神はヤコブの子ら(イスラエル)を奴隷の家エジプトから救い出して、アブラハムにお与えになられたカナンの地に連れ上り、神に仕える国民とされました。
神と契約を結び、神の律法が与えられ、神の民となったイスラエルは、地上に置かれた神の祭司の国でした。
神は、預言者たちに語られたように、イスラエルに神のひとり子イエスを遣わされました。神の祭司の国民イスラエルは、神が遣わされた罪の贖いの神の子羊イエスを十字架につけて屠り、罪の贖いの血を神から受け取りました。
神の子羊イエスの贖いの血は、罪を赦し、汚れをきよめ、義としてくださいます。神は、贖いの子羊イエスの血によって、義なる者としてくださるのです。
神は、死んで墓に入ったイエスを甦らせて、永遠に生きるキリストとして天に上げられました。御救いを成し遂げられたキリストは、聖霊のバプテスマを授けられます。
神の子羊イエスの贖いの血を信じて罪赦された者、イエスを神の御子キリストと告白し、我が神我が主とする者のうちに、聖霊をお与えになります。
神のひとり子イエス・キリストは、十字架の死によって、肉の呪い、罪の呪いを破り、肉に死んでくださいました。肉に死んだイエスは、御霊によって新しく生まれ、復活のからだで死から甦られました。肉に死んで、御霊によって新しく生まれる者の初穂となられたのです。
神は、イスラエルに遣わされた神のひとり子イエス・キリストを救い主と信じる者、我が主とする者に、キリストの御霊をお与えになって、神のひとり子イエス・キリストとひとつの者に造り変えていかれます。
イエス・キリストとひとつとされる者は、神の子羊イエスにあって、十字架で肉に死んだ者であり、また、御霊によって新しく生まれる者は、キリストにあって、死から甦り、永遠のいのちを得る者としての新しい創造が施される者です。
新しい創造は、土の器ではなく、御霊を宿す新しい霊の器です。心に御霊の割礼を受けた器です。死が定まり霊が死んでいた土の器は、生かす御霊によって生きた霊となり、永遠のいのちの御霊を宿す、聖霊の器とされるのです。
神は、生かす御霊によって、キリストのからだを造られます。神の御子イエス・キリストをかしらとする新しいひとりの人、第二のアダムです。
神は、キリストの生かす御霊によって新しいひとりの人を創造されるのです。
御国の陶器師は、地上のものには作ることのできない、永遠のいのちの器、聖なる御霊を住まわせられる聖霊の器を造られます。聖霊の器は、神の神殿となるのです。
「あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。
もし、だれかが神の神殿を壊すなら、神がその人を滅ぼされます。神の神殿は聖なるものだからです。
あなたがたがその神殿です。」(コリント一3:16,17)