ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

ユダヤ人の聖書に啓示されたキリスト

 

 キリスト教会では、神がアブラハムと結ばれた契約から始まり、アブラハムの契約を相続するアブラハムの子孫イスラエルに与えられた神の契約の書を「旧約聖書」と呼びます。そして、キリストが来られて、キリストがイスラエルにお与えになった新しい契約の書を「新約聖書」と呼びます。

 

 神のひとり子キリストがイスラエルに来られて、モーセの律法を完成させられ、新しい律法を授けられました。キリストが新しい律法をお与えになったので、教会は、モーセの律法を古いとし、旧い契約として、新しい律法(キリストの御霊)による新しい契約と区別したのです。

 しかし、イエス・キリストを信じていないユダヤ人たちは、未だにイスラエルの神が遣わしてくださる約束のメシアを待ち望んでいます。彼らには、旧約聖書しかありません。ユダヤ人の聖書は、旧約聖書だけです。

 

 キリスト教会では、旧約聖書と新約聖書の両方を合わせて「聖書」と呼びます。

 旧約聖書は、イスラエルにメシアが遣わされるという約束の契約です。そして、キリスト(メシア)が来られたときに、この人だと分かるように、数々のしるしと預言が書かれています。

 ユダヤ人の聖書には、イスラエルは神の目的(イスラエルはすべての国々、すべての民族の祝福の基となる神の民である)をもって造られており、神と契約を結ぶ神の祭司の国民であり、ユダヤ人の中からキリスト(救世主)が生まれることが約束されています。モーセの律法、預言者、ダビデの詩篇による文字の契約です。

 

 ユダヤ人たちが聖書と認めない新約聖書には、天地万物を造られた創造主なる神がイスラエルに約束された神の御子キリストの誕生と、世の罪を取り除く神の子羊イエスが罪の贖いの十字架のわざ成し遂げて死から復活し永遠に生きられるキリストとなられ、とこしえの王として再び、イスラエルにお戻りになるという約束がされています。子羊イエスの血と御霊による契約です。

 

 神がユダヤ人の思いを暗くされたので、ユダヤ人たちは彼らが十字架につけたナザレのイエスが、神の遣わされたキリストであることを悟ることができません。

 

 ユダヤ人の聖書(キリスト教会では旧約聖書)には、二つの明確なしるしが書かれています。青銅の蛇のしるしと、ヨナのしるしです。

 

 神の偉大なわざにより、神のしもべモーセをエジプトに遣わして、イスラエルを奴隷の家エジプトから連れ出され、彼らの父祖たちの眠る先祖の地(神が彼らに与えると約束されたカナンの地)に向かって、イスラエルの民が紅海の乾いた地を渡り荒野を進んでいたときのことです。

 

 「民(イスラエル)は神とモーセに逆らって言った。『なぜ、あなたがたは私たちをエジプトから連れ上って、この荒野で死なせようとするのか。パンもなく、水もない。私たちはこのみじめな食物(神は四十年間、天から降らせたパン(マナ)によってイスラエルを養われました。)に飽き飽きした。』

 そこで主は民の中に燃える蛇を送られたので、蛇は民に噛みつき、イスラエルの多くの人々が死んだ。

 民はモーセのところに来て言った。『私たちは主とあなたを非難して罪を犯しました。どうか、蛇を私たちから取り去ってくださるよう、主に祈ってください。』モーセは民のために祈った。

 すると、主はモーセに仰せられた。『あなたは燃える蛇を作り、それを旗ざおの上につけよ。すべて噛まれた者は、それを仰ぎ見れば、生きる。』

 モーセは一つの青銅の蛇を作り、それを旗ざおの上につけた。もし蛇が人を噛んでも、その者が青銅の蛇を仰ぎ見ると、生きた。」(民数記21:5-8)

 

 神は、神とモーセにつぶやき言い逆らうイスラエルを怒り、蛇を送って民に噛みつかせて民を死なせられました。神と神が立てられた権威者であるモーセを非難した自分たちの罪の報いであることを理解した民は、モーセに自分たちの罪を告白し(自分たちの罪を認め)、蛇が取り去られるように、モーセに執り成しの祈りを求めました。

 

 モーセが神に祈ると、主はモーセに青銅の蛇を作り、それを旗ざおの上につけるように命じられ、「すべて蛇に噛まれた者は、旗ざおの上の青銅の蛇を仰ぎ見れば、その者は生きる。」と仰せられました。

 

 ここには、神と神が遣わされた預言者(モーセ)に言い逆らう罪を告白する民がいます。そして、モーセと神のことばと神の祝福の約束を信じることができない不信仰な民は、その罪の中で死んでいきました。

 しかし、神は、神が遣わされた預言者モーセによって、神の裁きによる罪の報酬である死からの救いの道を設けられました。モーセが作る青銅の蛇を木につけ、民の罪の呪いの身代わりとされたのです。青銅の蛇は、民の死ぬべき罪の贖いとなりました。

 神とモーセのことばを信じる者が神のことばに従い、木の上の青銅の蛇に救いを求めて仰ぎ見るならば、死なないで生きたのでした。

 

 神は、人を騙し惑わした蛇の頭である悪魔を踏み砕く神のひとり子キリストをイスラエルに遣わされました。

 

 ユダヤ人たちが望みをおいているモーセは、イスラエルに告げていました。

 「神である主は、あなたがたのために、私のようなひとりの預言者を、あなたがたの兄弟たちの中からお立てになる。この方があなたがたに語ることはみな聞きなさい。

 その預言者に聞き従わない者はだれでも、民の中から滅ぼし絶やされる。」(使徒3:22,23)

 

 イスラエルを奴隷の家エジプトから連れ出すためにモーセを遣わされた神が、もうひとりの(罪の奴隷の世から救い出してくださる)預言者をイスラエルに遣わされる、というのです。

 「神が遣わされるこの方(キリスト)がイスラエルに語ることはみな聞かなければならない。

 その預言者(世の罪を取り除き、死と滅びから救い出すキリスト)に聞き従わない者はだれでも、神から御救いの契約を受けたイスラエルの中から滅ぼし絶やされる。」

 

 モーセの律法の下にいるユダヤ人であるにも関わらず、モーセの命じた、従うべきもうひとりの預言者を悟ることができませんでした。それゆえ、モーセの律法を神からいただいた神の民と自負しながら、イスラエルはモーセの大切な律法を守っていません。神が遣わされた預言者(神のひとり子キリスト)を信じなかったからです。

 しかも、その大切な律法は、永遠のいのちに関わる重要な戒めなのです。

 

 神の命令に背き、神のことばに逆らう預言者ヨナは、神の怒りによって、海に投げ込まれました。神は大きな魚を備えヨナを飲み込ませられたので、ヨナは三日三晩、大魚の中で生き延びました。ヨナは三日三晩真暗な大魚の中で神に祈り、悔い改め、賛美しました。

 「むなしい偶像(まことの神ではないもの)に心を留める者は、自分への恵みを捨てます。しかし、私は、感謝の声をあげて、あなたに生贄をささげ、私の誓いを果たしましょう。救いは主のものです。」(ヨナ2:8,9)

 

 神は、大魚に命じ、ヨナを陸地に吐き出させました。

 

 「先生。私たちは、あなたからしるしを見せていただきたいのです。」と言って、しるしを求める律法学者やパリサイ人に、イエスは言われました。

 「悪い、姦淫の時代はしるしを求めています。だが預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられません。

 ヨナは三日三晩大魚の腹の中にいましたが、同様に、人の子(キリスト)も三日三晩、地の中にいるからです。」(マタイ12:39,40)

 

 聖書を民衆に教える立場の律法学者やパリサイ人たちは、イエスがキリストであることを信じていませんでした。イエスがキリストであることを認めたくないのです。それで、イエスがキリストであるしるしを求めました。

 

 キリストの訪れをイスラエルに告げていたバプテスマのヨハネは、「キリストは聖霊のバプテスマを授ける方です。」と証言していました。

 十字架に掛かる前のイエスは、木につけられた青銅の蛇でもなく、三日目に死から甦るキリストの姿でもなく、ましてや、聖霊のバプテスマを授けるキリストの権威は、御救いのわざを成し遂げて天に上ってからでないと、神から授けられない権威なのです。

 

 イスラエルの指導者たちが求めたしるしは、十字架で殺された子羊イエスが三日目に死から甦り復活するという出来事にあるのです。

 しかし、パリサイ人たちが望んだしるしも、祭司長たちがイエスの墓の番兵たちの口に授けた偽りの証言「イエスの弟子たちがイエスのからだを墓から盗んで行き、『イエスは墓から甦られた。まことに、イエスは神の御子キリストであった。』と言って、イスラエルの民に偽りの証言を告げ回り、イエスを信じさせようと惑わしている。」によって、見失ってしまうのでした。

 

 ユダヤ人の聖書に啓示されていたキリスト、すなわち、木(十字架)につけられ呪われた者となられたキリスト、三日目に墓から甦られたキリスト、天に上られてイエスの弟子たちに聖霊のバプテスマを授けられたキリストは、ユダヤ人たちに隠されました。

 

 ユダヤ人たちは、イスラエルの神(イエスの父なる神)について証言し、神の御国についてたとえを話し、永遠のいのちについて教える、イエスのことばを聞こうとしませんでした。

 モーセが、聞き従わなければならないとイスラエルに命じていた預言者(キリスト)が天から来られたのに、イスラエルは、イエスが神の御子キリストであると信じることができません。それで、イスラエルはイエスのことばに聞き従うことがありませんでした。

 背信のユダヤ人の目は閉ざされ、耳が閉ざされたからです。

 

 しかし、ユダヤ人の聖書(キリスト教会の旧約聖書)には、神のイスラエルへの変わらぬ愛と神の憐れみが書かれています。

 「わたし(神)はあなたがた(イスラエル)を諸国の民の間から連れ出し、すべての国々から集め、あなたがたの地(約束のカナンの地、先祖イスラエルの地)に連れて行く。

 わたしがきよい水をあなたがたの上に振りかけるそのとき、あなたがたはすべての汚れからきよめられる。わたしは偶像の汚れからあなたがたをきよめ、あなたがたに新しい霊を授ける。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。」(エゼキエル36:24-26)

 

 離散しているユダヤ人がイスラエルの地に帰還することは、神が、イスラエルに神の祝福の約束の伴う永遠の平安を与えるため、また、イスラエルに将来と希望を与える神の良き御計画なのです。

 神が神の御子キリスト・イエスにあって、ユダヤ人たちに用意しておられる平安とは、天の御国に入る永遠のいのちと、永遠の安息なのです。