ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

「きょう、わたしが生んだ。」と仰せられた神の子どもの長子

 

 「神は、むかしは、預言者たちにより、いろいろな時に、いろいろな方法で、先祖たちに語られましたが、この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。神は、御子を万物の相続者と定め、また御子によって世界を造られました。

 御子は神の栄光の輝きであり、神の本質の真の姿であって、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。

 御子は、御使いたちよりもさらにすぐれた御名を相続されたように、それだけ御使いよりもまさるものとなられました。

 神は、かつてどの御使いに向かって、こう言われたでしょう。

 『あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ。』

 またさらに、

 『わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。』

 さらに、神は、長子をこの世界にお送りになるとき、こう言われました。

 『神の御使いはみな、彼を拝め。』

 また御使いについては、

 『神は、御使いたちを風とし、御自分に仕える者たちを炎とされる。』と言われましたが、  

 御子については、こう言われます。

 『神よ。あなたの御座は代々限りなく続き、あなたの御国の杖(あなたの支配の杖)は、まっすぐな杖(公平の杖)です。

 あなたは義を愛し、不正を憎まれます。それゆえ、神よ。あなた(神の子羊)の神は、あふれるばかりの喜びの油を、あなたとともに立つ者(御使い)に注ぐよりも多く、あなたに注がれました。』

 またこう言われます。

 『主よ、あなたは、初めに地の基を据えられました。もろもろの天も、御手のわざです。これらのものは滅びてしまいますが、あなたは、いつまでもおられる方です。

 すべてのものは衣のように古び、これらをあなたは外套のように巻かれます。これらのものは、着物のように取り替えられますが、あなたは、いつも変わることがなく、あなたの齢は尽きることがありません。』

 神は、かつてどの御使いに向かって、『わたしがあなたの敵を、あなたの足台とするときまでは、わたしの右の座に着いていなさい。』と言われたことがあるでしょう。

 御使いはみな、仕える霊であって、救いの相続者となる人々に仕えるため遣わされたものではないですか。」(へブル1:1-14)

 

 神から聖書を授けられたイスラエルは、むかし預言者により、それぞれの時代、夢、幻、啓示、預言などいろいろな方法で、先祖たちに語られていました。

 しかし、この終わりの時には、神が遣わされた神の御子イエス・キリストによって、ユダヤ人に語られたのです。

 神は、ひとり子を万物の相続者と定め、御子とともに、もろもろの世界を造られました。地上に来られた御子イエスは神の栄光の輝きであり、神の本質を目に見えるかたちで現わす、生ける神の真の姿でした。

 

 「相続人というものは、全財産の持ち主なのに、子どものうちは、御霊と少しも違わず、父の定めた日までは、後見人や管理者の下にあります。」(ガラテヤ4:1,2)

 

 御子は神のひとり子であられるのに、神に仕える御使いたちと同じようであったようです。

 父なる神は、御自分の民イスラエルの救いのために、ひとり子に肉体を造り、しばらくの間、御使いよりも低くされました。

 

 そして、神は、神の子羊イエスに仕えるように、また、神の御使いはみな、イエスを拝むように、と命じられました。

 

 御使いは、イエスが処女マリアから生まれたとき、夜番をしていた羊飼いたちに、「きょうダビデの町(ベツレヘム)で、あなたがた(ユダヤ人)のために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリスト(救世主)です。」(ルカ2:11)と告げました。

 

 十字架の前日に、イエスはオリーブ山に行かれ、ゲッセマネでひざまずき苦しみもだえながら祈られました。

 「すると、御使いが天からイエスに現われて、イエスを力づけた。」(ルカ22:43)とあります。

 

 御使いは、御使いよりも低くされた神のひとり子イエスを崇め、イエスに仕える者でした。

 

 「神は、神の御子イエスを、御使いよりも、しばらくの間、低いものとし、彼に栄光と誉れの冠を与え、万物をその足に従わせられました。」(へブル2:7,8)

 

 神は、御使いと同じようだったひとり子に肉体を与えて御使いよりも低くされ、彼に、イスラエルにいのちを与える救世主キリストの名をお与えになりました。神のひとり子は、イスラエルの罪の身代わりに、生贄の子羊となられて尊き血を流されました。彼(神の御子)の犠牲によって、多くの人々がいのちを得るのです。

 神のひとり子は、もはや、御使いと同じようではありません。御子は、万物の相続者であって、神に敵対し破壊する悪魔に勝利し、悪魔から多くの魂を勝ち取る勇者です。彼は、多くの人々を義とします。彼は、神の栄光を現わし、神の御心を成し遂げる者であり、相続人にふさわしい者です。

 

 イエスを、神の御使いのひとりのように捉えるのは、正しくありません。御子イエスは、御使いのだれよりも、喜びの油が注がれた方であり、神の本質の真の姿を現わされる神のひとり子なのです。

 

 神のひとり子は、父なる神に従い、神の栄光に輝く御姿を捨て、卑しい肉体に入り、御救いのわざを成し遂げられたのです。

 

 肉体の神のひとり子は、ナザレのイエスと呼ばれました。神の子羊イエスは、十字架で死に、三日目に死から復活されました。

 神は、死んだ肉体の子羊イエスを、御霊の子として、新しく生まれさせられたのです。

 

 かつての神のひとり子ではありません。人となられた神のひとり子イエスは、贖いの神の子羊の栄光の冠をいただき、御使いにまさる者とされました。神の新しい創造です。

 神は、神の子羊としたひとり子を死から取り戻し、永遠のいのちを与えて、永遠に生きるキリストとされました。

 「あなた(神の子羊)は、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ。」と、神は、神の子羊イエスに仰せられます。

 

 さらに、「わたしは子羊の父となり、子羊キリスト・イエスはわたしの子となる。」と仰せられました。

 神のひとり子は、御使いのだれもが認める、神が生んだ神の子であり、栄光のキリストとなられたのです。

 

 神は、「あなたは、わたしの子。きょう、わたしが生んだ。」と仰せられた神の子羊キリストの父となられました。

 そして、神の子羊キリスト・イエスに仰せられました。

 「わたしがあなたの敵を、あなたの足台とするときまでは、わたしの右に座していなさい。」

 

 御使いは、神に風とされ、炎とされて、神に仕える者です。

 しかし、神の子羊は、神の御座の右に着座するように命じられたキリストです。御使いではありません。イエス・キリストは、神の右に座を設けられた神の子、神が生んだ神の子なのです。

 

 神は、多くのいのちを救う神の子羊キリストの敵であり、破壊者である悪魔を縛り上げるときまでは、神の御座の右に着座しているようにと、キリストに仰せられました。

 

 現在、地上でキリストの敵である悪魔の子と戦っているのは、キリストの弟子たちです。キリストの御霊を受けた彼らは、キリストの敵である悪魔の策略と悪霊どもの働きに抵抗して戦っています。

 

 神の子羊キリスト・イエスは、神が、肉体の死から生んだ御霊の子の長子です。御霊の新しい創造の初穂なのです。

 長子に続いて、多くの神の子どもたちが、御霊によって生まれ新しい創造を受けています。

 

 神の子どもたちの長子は、神の御座の右に着座しておられる神の子羊キリストです。キリストは、私たちの長子です。

 神の御霊は、私たちを長子に似た者に造り変えてくださるのです。