四百年の間、エジプトの奴隷の民族であったユダヤ民族。
エジプトの華やかな偶像文化の中で育ちました。エジプトに入る前のヤコブの家は、偶像の無い家でした。
ヤコブは、アブラハムの子イサクの子ですから、まことの生ける神に仕える者でした。目に見える偶像はありません。まことの生ける神は、天地万物を造られた全知全能の神、霊なる神なのです。
しかし、外国の地エジプトでは、多くの偶像の神々が造られ、偶像に満ちていました。エジプト人たちは偶像の神々に仕え、偶像の神々がエジプトを祝福し、大いなる国にしたのだと信じていました。
奴隷のユダヤ人たちは、奴隷の家エジプトの地で生まれ、偶像の神々を見、偶像の神々に仕える主人(エジプト人)たちを見て、成長し増え広がったのでした。
さて、アブラハムの子イサクの家は、偶像に仕える民族の住むカナンの地にあって、全能の主と契約を持つ特別な家でした。
兄エサウから長子の権利を買い取り、また父イサクの祝福を勝ち取ったヤコブが、ヤコブに殺意を持つエサウから逃げて母リベカの兄のもとに行く途中に、主が現われて誓って仰せられました。
「わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。わたしはあなたが横たわっているこの地(カナンの地)を、あなたとあなたの子孫に与える。
あなたの子孫は地の塵のように多くなり、あなたは、西、東、北、南へと広がり、地上のすべての民族は、あなたとあなたの子孫によって祝福される。
見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」(創世記28:13-15)
ヤコブは自分が枕にした石を取り、それを石の柱として立て、その上に油を注ぎ、その場所を「ベテル」(神の家)と呼びました。ヤコブは、アブラハムの神、イサクの神が与えてくださるカナンの地を神の家、神の住まわれる地とすることを誓ったのでした。
神は、ヤコブに誓われたとおり、ヤコブの家がエジプトに下るときも、ヤコブの家とともに下って行かれ、エジプトの地で彼らの手のわざを祝福されました。
生けるまことの神がともにおられるヤコブとヤコブの子孫ゆえに、神はエジプトを祝福し、エジプトを大いなる国とされました。
ユダヤ人の大臣ヨセフの神の知恵のおかげで財宝豊かになったエジプトの国で、ヤコブの子孫ユダヤ人は増え広がり、神は彼らをエジプトの地で養われました。ヤコブの子孫はエジプトの地で増え広がり、神は、彼らを一つの民族(ユダヤ民族)に育てられました
四百年の間の奴隷の苦しみを味わったユダヤ民族を、神が偉大なる御腕によって連れ出されると、神は、神の契約を受け継ぐユダヤ民族に不遜であったエジプトをさばき、エジプトの国の繁栄を取り去られました。
主が、アブラハムとアブラハムの子孫に与えると約束されたカナンの地へとユダヤ民族を導かれました。
偶像の神々のエジプトの地で育ったユダヤ民族は、先祖の神の偉大な力を目撃しました。ヤコブの神は、エジプトの神々もすることのできない、偉大な御業をされたのでした。
ユダヤ民族は、神が左右に水を分けて紅海の中にできた乾いた地を進み、荒野に向かいました。ユダヤ人の後を追って来たエジプトの王や軍勢は、神がもとのすがたに戻された紅海の水に飲み込まれて死体となりました。
神は、荒野で、モーセを通して、エジプト人の奴隷であったユダヤ民族に語られました。
「主は山からモーセを呼んで仰せられた。
『あなたは、このように、ヤコブの家に言い、イスラエルの人々に告げよ。
あなたがたは、わたしがエジプトにしたこと、また、あなたがたをわしの翼に載せ、わたしのもとに連れて来たことを見た。
今、もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るなら、あなたがたはすべての国々の民の中にあって、わたしの宝となる。全世界はわたしのものであるから。
あなたがたはわたしにとって祭司の王国、聖なる国民となる。
これが、イスラエル人にあなたの語るべきことばである』。」(出エジプト19:3-6)
モーセから神のことばを聞いたイスラエル人は、みな口をそろえて答えました。
「私たちは主が仰せられたことを、みな行ないます。」(出エジプト19:8)
ヤコブの家(ユダヤ民族)と契約を結ばれた神は、ユダヤ民族といっしょにエジプトから出て来た在留異国人を含むイスラエル人に語り、イスラエル人は、神に従うことを誓ったのでした。イスラエル人は、ユダヤ民族の契約によって、神の民とされるのでした。
こうして、神は、イスラエルと契約を結び、御自身を「イスラエルの神」と呼ばれました。
神は、神の偉大な御業を現わして、偶像の地エジプトで奴隷であったイスラエル人の心を生けるまことの神に向かわせました。
神のことばに聞き従うイスラエル人を、紅海の水を通して奴隷の家エジプトから救い出されました。
アブラハムの子孫ユダヤ民族は、イスラエルの中にあって、民族全体で水のバプテスマを受けて、ユダヤ民族は地に属する偶像の神々からきよめられ、まことの神と契約を結ぶきよい民族とされたのです。
しかし、偶像の神々に仕えるエジプトの地で生まれ育った彼らの意識から偶像を取り除くのは、容易なことではありません。
イスラエルの神に従順を誓ったすぐ後で、民は金の子牛を造って、神を怒らせました。偶像の神々に慣れ親しんだ民が、目に見えない霊の神を信じることは困難なことです。彼らは、神のことばを告げるモーセによって神を知るだけです。
偶像に慣れ親しんだ民は、エジプトを出るときの神の偉大な御業を見ていても、目に見えない神を信じる信仰を芽生えさせることが困難でした。目に見えるものに信頼するのが、人間の生まれながらの意識です。
イスラエルは、荒野で幾度も神に懲らしめられました。不信仰な者はさばかれて息絶え、エジプトでの御業を体験した子どもたちが残されました。それと、荒野で生まれたイスラエル人です。
エジプトの神の偉大な御業を目撃した成人男子のうちの残された者は、ユダ族のカレブとモーセの従者であったエフライム族のヨシュアのふたりだけでした。
ヨシュアは、信仰のはっきりしない民に、言いました。
「今、あなたがた(イスラエル人)は主(アブラハム、イサク、ヤコブの神)を恐れ、誠実と真実をもって主(イスラエルの神)に仕えなさい。あなたがたの先祖たちがユーフラテス川の向こう(アブラハムの故郷ウルでアブラハムの父テラは偶像者だった)、およびエジプトで仕えた神々を除き去り、主に仕えなさい。
もしも主に使えることがあなたがたの気に入らないなら、川の向こうにいたあなたがたの先祖たちが仕えた神々でも、今あなたがたが住んでいる地のエモリ人の神々でも、あなたがたが仕えようと思うものを、どれでも、きょう選ぶがよい。
私(ヨシュア)と私の家とは、主に仕える。」(ヨシュア24:14,15)
「すると、民は答えて言った。
『私たちが主を捨てて、ほかの神々に仕えるなど、絶対にそんなことはありません。
私たちの神、主は、私たちと私たちの先祖たちを、エジプトの地、奴隷の家から導き上られた方、私たちの目の前で、あの数々の大きなしるしを行ない、私たちの行くすべての道で、私たちの通ったすべての民の中で、私たちを守られた方だからです。
主はまた、すべての民、この地に住んでいたエモリ人をも、私たちの前から追い払われました。私たちもまた、主に仕えます。
主が私たちの神だからです。」(ヨシュア24:16-18)
イスラエルはイスラエルの神に心を定めて、カナンの地に入り、その地を占領したのでした。
この世(エジプト)の奴隷であったイスラエルは、イスラエルの神と契約を結び、イスラエルの神の民として、先祖の地(約束のカナンの地)に入り、イスラエル国家を築きました。
イスラエルの王サウルを輩出したベニヤミン族と、ダビデ王を輩出したユダ族の子孫(南ユダ)は、神のことばに逆らう背信の罪のためにバビロンに捕囚されました。
偶像の神々に満ち、この世の繁栄で高ぶるバビロンの地で、捕囚されたユダヤ人たちの目が覚めました。神殿が破壊されたエルサレムを慕い、イスラエルの神こそがまことの神であることに気づいたのでした。
目には見えないけれども、イスラエルとともにおられ、イスラエルを守ってくださる主、エジプトの偶像の神々に打ち勝ち、バビロンの偶像の神々よりも偉大な先祖の神に思いが向けられました。
先祖の神に信仰が向けられ、偶像の神々を捨てたイスラエルを、神は、イスラエルの地に帰されました。七十年間、バビロンの地にいたユダヤ人がイスラエルの地に帰還したのでした。
先祖の神の約束を握り、メシアを待ち望むイスラエルに、神は、契約したキリストを遣わされました。イスラエルを守り、イスラエルを救われる神のひとり子キリスト・イエスです。
しかし、メシアを待ち望みながら、ローマ帝国に迎合するイスラエルは、ナザレのイエスがキリストであることを悟ることができませんでした。
彼らの不信仰は、彼らに与えられた神の契約をふいにしました。神は、彼らを怒り、契約の地から散らされました。
神がモーセに行っておられたとおりです。
「あなたの神(イスラエルの神)、主は焼き尽くす火、ねたむ神である。
あなたが子を生み、孫を得、あなたがたがその地(カナンの地)に永住し、堕落して、何かの形に刻んだ像を造り、あなたの神、主の目の前に悪を行ない、御怒りを買うようなことがあれば、主はあなたがたを国々の民の中に散らされる。しかし、ごくわずかな者たちが、主の追いやる国々の中に残される。」(申命記4:24,25,26)
ユダヤ人の中に、約束の地のカナンの地(ローマ帝国によってパレスチナと呼ばれる地)に残され、住み続ける者たちもいました。
世界の諸国に離散したユダヤ人たちは、諸外国で嫌われ迫害されました。そして、ユダヤ人を絶滅しようと画策するナチスによって、六百万人のユダヤ人が殺されました。
ユダヤ人は泣き叫び、ユダヤ人の神はそれを聞き、祖国に戻されたのでした。
ユダヤ人たちが祖国に帰還すると、そこに移り住んでいたアラブ人が追い出されました。ユダヤ人には、ユダヤ民族の国はイスラエルしかありません。
パレスチナに住むアラブ人にも祖国があるはずですが、彼らは彼らの祖国に帰ることがありません。
かつて、堕落したイスラエルに向かって、主の怒りが燃え上がり、主は仰せられました。
「この民(ユダヤ民族)は、わたしが彼らの先祖たちに命じたわたしの契約を破り、わたしの声に聞き従わなかったから、わたしもまた、ヨシュアが死んだとき残していた国民を、彼らの前から一つも追い払わない。
彼らの先祖たちが主の道を守って歩んだように、彼らもそれを守って歩むかどうか、これらの国民によってイスラエルを試みるためである。」(士師記2:20-22)
神は、頑迷なイスラエルが神に聞き従うかどうかを試みるために、あえて、イスラエルの敵を追い払わないで、残しておられるようです。
この世にどっぷりと浸かった神の民を激しく揺さぶり、この世の思いで信仰の目が塞がれたユダヤ人たちの心の覆いを砕き、神に助けを求める神の民としてのアイデンティティーを取り戻させるために、神は敵によって苦しめ、彼ら(イスラエル人)の心が神に向かうように試みておられるようです。