ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

神に愛されたイスラエル

 

 神はヤコブに仰せられました。

 ヤコブは、アブラハムのひとり子イサク(神がアブラハムの契約を受け継がせた約束の子孫)の息子です。ヤコブは、イサクがアブラハムから継承したカナンの地と神に選ばれた者にのみ与えられる祝福を、父イサクから受け継いだ、アブラハムの子孫です。

 

 「わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主(創造主)である。わたし(全能の神)はあなた(ヤコブ)が横たわっているこの地(カナンの地)を、あなたとあなたの子孫(ヤコブの子ら)とに与える。

 あなたの子孫(ヤコブの子孫)は地の塵のように多くなり、あなたは、西、東、北、南へと広がり、地上のすべての民族は、あなたとあなたの子孫によって祝福される。

 見よ。わたし(アブラハムと契約を結んだ神)はあなた(アブラハムの子孫ヤコブ)とともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなた(ヤコブの子孫)をこの地に連れ戻そう。わたしは、あなた(ヤコブ)に約束したことを成し遂げるまで、決してあなた(ヤコブの子孫)を捨てない。」(創世記28:13-15)

 

 ヤコブは十二人の息子を生み、彼らは十二部族の族長となり、ヤコブから、ユダヤ民族が生まれました。ユダヤ民族は、アブラハムの契約と祝福を相続するアブラハムの子孫です。

 ヤコブは神と戦いました。ヤコブは、神が祝福を与えてくださるまで自分から去って行かれないように、神を離しませんでした。ヤコブは祝福を求めて、しっかりと神をつかみ、神を離しませんでした。

 神はヤコブを祝福し、ヤコブは神から祝福を勝ち取ったのです。それで、神は、ヤコブを、神と戦って勝利した者「イスラエル」と呼ばれました。ヤコブはイスラエルと呼ばれたのです。

 

 ヤコブの十二部族の子孫はユダヤ民族であり、彼ら(ユダヤ民族)は、「イスラエル」と父ヤコブの名を名乗りました。

 

 イスラエルは、父ヤコブの契約に守られた民族です。全能の神と契約を結ぶ唯一の民族です。全地の中で唯一、神の民と呼ばれる選民です。

 神は、イスラエルにカナンの地を与えると約束されました。

 神は、ヤコブの子孫ユダヤ人を増やし、世界に広げ、地上のすべての民族は、イスラエルによって祝福されることを約束されました。事実、すべての民族は、ユダヤ人が生んだ救世主イエス・キリストにより、永遠のいのちを得させられます。

 神は、世界に広がったユダヤ人を、彼らの父ヤコブ(イスラエル)に約束した地(カナンの地)に連れ戻すことを約束されました。

 

 そして、神はヤコブ(イスラエル)に誓われました。

 「わたし(イスラエルを選んだ全能の神)は、あなた(イスラエル)に約束したことを成し遂げるまで、決してあなた(ヤコブの子孫ユダヤ民族)を捨てない。」

 

 神はイスラエルとともにあります。ユダヤ人がどこへ行ってもユダヤ人の味方であり、ユダヤ人を守って、先祖の地カナンの地に連れ戻されるのです。

 神は、エルサレムとイスラエルの地を、御自分の民イスラエルの所有として与えておられるからです。

 

 日本列島は古くから日本民族の所有地であり、日本人は日本国の国民であると信じています。

 同様に、天地万物を造られた創造主(イスラエルの神)が、カナンの地は古くからヤコブの子孫ユダヤ民族の所有地であり、ユダヤ民族はユダヤ人の国イスラエルの国民であると決めておられます。

 そして、聖書の神は世界に離散しているユダヤ人たちに、聖書に書かれた約束どおり、1948年に、ヤコブの子孫(イスラエル)にお与えになったイスラエル王国のあったカナンの地に、イスラエルの国家をお与えになりました。

 神は、ヤコブとヤコブの子孫の所有地として与えると約束されたイスラエルの地(アブラハム、イサク、ヤコブ、ユダヤ民族の先祖たちが眠る先祖の地)に、世界に離散していたユダヤ人たちを帰還させておられます。

 ユダヤ人たちは、神に与えられた彼らの所有地に帰還しているのです。

 

 ユダヤ人たちが先祖の地イスラエルに帰還することは、神の誉れです。二千年経っても、ヤコブの子孫(ユダヤ人)は、神の約束を忘れなかったのです。

 そして、イスラエルの先祖の神は生きておられ、約束を実現される真実な方であることを、ヤコブの子孫(ユダヤ人)は証明し、イスラエルの神の栄光をあかししているのです。

 

 ユダヤ民族は、神に忠実な民ではありませんでした。いつも神のことばに背き、神の怒りを身に受けていました。神の民だからです。

 ユダヤ民族には、神の契約がありました。神は、彼らの先祖アブラハム、イサク、ヤコブを愛されました。神の民(イスラエル)を生む信仰に生きた人々です。彼らの先祖(アブラハム、イサク、ヤコブの忠実な信仰)ゆえに、神は、イスラエルを愛しておられます。

 

 およそ二千年前、イスラエルの神は、イスラエルに神のひとり子を遣わされました。神は、唯一の御自分の民イスラエル(ユダヤ民族)に、御自身の愛する大切なひとり子をお与えになられたのです。イスラエルを贖い、イスラエルをとこしえの民とするために、神の子羊イエスの血を注がれました。

 

 神は、御自分のひとり子を生贄とするほど、イスラエルを愛されました。神の子羊イエスは、ユダヤ民族の罪を贖うために、ご自分の血を流されました。イスラエルの神の愛も、神の子羊イエスの愛も、イスラエルに注がれているのです。古い昔からそうでした。

 

 神のひとり子は神に遣わされて、ご自分の民(ユダヤ人)のところに来られました。しかし、ユダヤ人たちは、イエスを憎み、ののしり、呪いをかけて処刑しました。ユダヤ人たちは、自分たちの神(イスラエルの神)の御子イエスを信じず、ユダヤ人に遣わすと神が約束しておられた救い主キリストを蔑み、侮り、辱しめを与えました。

 

 神の御子イエスは、ユダヤ民族の背きの罪のために刺し通され、イスラエルの咎のために砕かれました。彼らのところに愛をもって来られた主イエスは、彼らにののしられ憎まれ呪われ殺されたのです。

 

 兵士たちは、イエスとともに十字架につけられたふたりの死刑囚のすねを折りました。しかし、イエスはすでに死んでおられたので、そのすねを折ることはありませんでした。この事が起こったのは、「彼の骨は一つも砕かれない。」という聖書のことばが成就するためでした。過越しの生贄の骨は折ってはならないのです。

 

 神の子羊イエス・キリストは、まことの過越しの生贄です。裁き主なる神は、神の子羊イエスの血のしるしによって、神の民と世の民とを区別し、神の民を、死と裁き(永遠の死と滅び)が定められている罪の世から救い出して永遠のいのちを得させ、とこしえの神の御国に導き入れられる、天から来られたまことの救世主なのです。

 

 「兵士のうちのひとりがイエスの脇腹を槍で突き刺した。すると、ただちに血と水が出て来た。」(ヨハネ19:34)

 

 イエスの精神的ストレスはどれほどだったでしょうか。究極の恐怖やストレス状態で、血液が水と血に分離することがあると聞いたことがあります。死は、いのちの神と切断します。永遠の昔から父とひとつであった御子は、父と離れたことがありません。光のない闇に行かなければなりません。父から離れる恐怖はどれほどだったでしょう。

 

 イエスは、自分自身の罪で殺されるのではありません。十字架に群がる「イエスを十字架につけろ。イエスを殺せ。」と叫んだユダヤ人たちの罪を贖うために処刑されるのです。

 小羊の贖いの血を尊ぶ者はいません。神の御子イエスはご自分のいのちをかけてユダヤ人たちを愛しておられるのに、ご自分の民ユダヤ人たちはイエスを憎みました。イエスは、愛する者たち(ユダヤ人)に忌み嫌われ罪に定められ呪われて殺されるのです。

 悲しみでいっぱいです。だれも、イエスの深い愛を悟りません。知ろうともしません。イエスは、愛する国民に捨てられました。それでも、イエスは、彼ら(ユダヤ人)を愛されます。

 

 ユダヤ人たちは、十字架にかかられたナザレのイエスを嘲笑いました。

 「彼(イエス)は他人を救った。もし、神のキリスト(救い主)で、選ばれた者なら、自分を救ってみろ。」(ルカ23:35)

 「ユダヤ人の王なら、自分を救え。」(ルカ23:37)

 

 同じように、祭司長たちも律法学者、長老たちといっしょになって、イエスをあざけって言いました。

 「彼(イエス)は他人を救ったが、自分は救えない。(ナザレ人イエスが)イスラエルの王さまなら、今、十字架から降りてもらおうか。そうしたら、われわれ(祭司長、律法学者、長老たち)は(ナザレのイエスがイスラエルを救うメシアであることを)信じるから。

 彼(イエス)は神により頼んでいる。もし神のお気に入りなら、いま(神に)救っていただくがいい。『わたしは神の子だ。』と言っているのだから。」(マタイ27:42,43)

 

 十字架につけられた御子イエスは、父(イスラエルの神)に言われました。

 「父よ。彼ら(ユダヤ人)をお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」(ルカ23:34)

 

 罪を贖われなければならないユダヤ人たちは、罪の上に、また、罪を重ねました。

 ご自分の民に嘲られ、辱しめを受けながら、イエスは父に、ユダヤ人たちの罪を赦してください。と執り成されたのです。

 

 「(ユダヤ人たちの)しいたげと、さばきによって、彼(イエス・キリスト)は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。

 彼(イエス・キリスト)が神の民(イスラエル)の背きの罪のために(神に)打たれ、生ける者の地から絶たれたことを。(ナザレのイエスはイスラエルの背きの罪を贖うために死なれたことを、だれも悟らなかった。)」(イザヤ53:8)

 

 創造主であり、裁き主なる神は、世の滅びを御存じです。

 ノアの時代、大洪水で世を滅ぼすとき、ノアの家族だけが救い出されました。

 アブラハムの甥のロトが住んでいたソドムの町を火で滅ぼすとき、ロトの家族だけが救い出されました。

 神は、ノアには箱舟を造らせ、また、ロトには御使いを遣わされました。

 

 神は、水で滅ぼされた世界を、今度は、火で滅ぼされます。

 滅びる世から正しい人ノアを救い、滅びるソドムの町から正しい人ロトを救い出されたように、神は、世界を火で滅ぼされるとき、神の民イスラエルを救うために、救世主イエス・キリストを遣わされました。

 

 イスラエルの神は、イスラエルを救い出されます。

 イスラエルの神も、救世主イエス・キリストも、イスラエルを愛しておられるからです。

 

 イスラエルの神は、イスラエルの救いのために、神のひとり子を遣わされました。神のひとり子を信じ愛するユダヤ人を、救われる民とされます。

 神の御子イエスは、ご自分の民イスラエル(ユダヤ民族)を救うために、血を流されました。イエスが愛されたユダヤ民族を愛する者たち(異邦人)を、救われる民とされるのでしょう。