ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

試みの石

 

 「家を建てる者たちの捨てた石。それが礎の石となった。これは主のなさったことだ。

 私たち(ユダヤ人)の目には不思議なことである。」(詩篇118:22,23)

 

 イスラエルは神が選んだ主の民です。イスラエル(アブラハム、イサク、ヤコブの子孫ユダヤ民族)に主を教え、主にへりくだった民とするために、神はレビ族(ヤコブの十二人の息子のひとりレビの子孫)を選び、神の宮に仕える部族、イスラエルの祭司とされました。

 

 レビ人は、イスラエルの教師です。らい病の人をらい病に認定するのも、らい病が癒されたことを宣言するのも祭司です。生贄を献げ、民をきよいものとするのも、神事によって、民に神を畏れさせるのも祭司です。

 王も、祭司によって祝福され、また、王であっても祭司の代わりにする祭司職の行為は許されていません。王が分を越えて祭司に代わろうとするならば、たちまち、神が王を打たれて、死ななければなりません。

 

 祭司には、神が選んだ者が立てられます。神の権威がその上にあるのです。祭司は、ユダヤ人たちにとって、神の代理のような存在でした。

 モーセとアロンもレビ人でした。モーセは、イスラエルを奴隷の家エジプトから連れ出し、神御自身から受け取った十戒を与え、イスラエルを神と契約を結ぶ主の民としました。

 

 モーセが神と民の仲介者となり、神のことばをことごとく、イスラエルに伝えました。その当時のユダヤ人たちはモーセを軽んじ、モーセに逆らいましたが、その後のユダヤ人たちは、モーセに望みを置きました。

 モーセがユダヤ民族を神の御前で神の民イスラエルとし、奴隷の家エジプト(四百年の間、ユダヤ民族はエジプトの奴隷でした。)から連れ出し、先祖(アブラハム、イサク、ヤコブ)の地を思い起こさせ、実際に、先祖の地に入るために、カナンの地に向かって荒野を導いた神の人なのです。

 

 モーセは、イスラエルに命じていました。

 「あなたの神(イスラエルの神)、主は、あなた(ユダヤ民族)のうちから、あなたの同胞の中(ユダヤ人)から、私のようなひとりの預言者をあなた(イスラエル)のために起こされる。彼に聞き従わなければならない。」(申命記18:15)

 

 カナンの地に住むイスラエルは、多くの預言者たちによって、イスラエルに救い主が与えられることを知りました。

 ダビデ王も、イスラエルを贖う主を仰いでいました。この方(この主)こそ、モーセが聞き従わなければならないと命じた、モーセのような預言者です。

 

 モーセが、イスラエルを奴隷の家から解放し、先祖の約束の地(カナン)へと導いたように、その預言者は、イスラエルをあらゆる束縛から解き放ち、エデンの園のような平和な世界に導き入れてくださる救世主です。

 アブラハムも、堅い基礎の上に建てられた(神の)都を持ち望んでいました。アブラハムは、神の建てられるとこしえの都を見ていたのです。

 アブラハムが見ていたとこしえの神の都を受け継ぐ主の民がイスラエルでした。

 

 「神である主は、こう仰せられる。

 『見よ。わたし(神)はシオン(エルサレム)に一つの石を礎として据える。

 これは、試みを経た石、堅く据えられた礎の、尊いかしら石。これを信じる者は、あわてることがない』」(イザヤ28:16)

 

 神は、約束どおり、イスラエルに、神の都エルサレムに置かれる「とこしえの神の都の礎の石」を遣わされました。

 モーセや詩篇や預言者たちによって語られていた、あの預言者(イスラエルが聞き従わなければならないモーセのようなひとりの預言者)です。

 イスラエルの神が、イスラエルの贖いのために遣わされた神の子羊であり、イスラエルを律法の呪いの縄目から解放する預言者です。イスラエルは、律法の違反を恐れ、律法の奴隷となっていました。

 

 モーセが奴隷の家エジプトからイスラエルを解放し、先祖の約束の地カナンへ導き上ったように、神の子羊イエスもまた、イスラエルを律法の奴隷から解放し、ユダヤ人の父祖アブラハムが夢見たとこしえの神の国の国民としてくださるお方です。

 

 神の子羊は十字架で血を流し、同胞のユダヤ人の罪を贖い、また、エルサレムを贖いました。エルサレムをきよめ、とこしえの神の都が建てられる基礎を築きました。

 

 しかし、イスラエルの民は、十字架に掛かられたイエスが、神が遣わされた罪の贖いの「神の子羊」であることを信じませんでした。ユダヤ人たちは、ナザレのイエスは、自分(イエス自身)の罪によって処刑されたと思ったのです。

 イエスは、ユダヤ人たちが待ち望んだメシアであり、ユダヤ人の中から出るモーセのような預言者であり、イスラエルの罪を贖い、世の罪を取り除く神の子羊でした。

 

 イスラエルの民を神へと導かなければならない祭司たちは、ナザレのイエスを信じず、人の子の姿で来られた神のひとり子キリストを殺しました。

 家を建てる者たち、神の祭司たちが、神がとこしえの神の都を建てるために、エルサレムを(子羊の血によって)きよめ、都の礎の石として遣わされた石(イエス・キリスト)を、価値の無いつまらない石として侮り、蔑んで、捨てました。

 

 祭司たちが、価値がないと見限ったイエスのことばが、永遠のいのちを得させ、とこしえの神の国に導く、真理のことばだったのです。

 これは主のなさったことでした。神の祭司と自負して高ぶり、ローマ帝国の加護を受けて、神を求めない祭司たちは、神の国に役に立たないものとなっていました。祭司やイスラエルの教師たちは、自分たちが神に背くだけでは飽き足らず、イスラエルの民を扇動して神の御子イエスを憎ませ呪わせ殺しました。

 こうして、祭司たちは、神の御前で申し開きのできない罪人であることを、自ら明らかにしたのです。

 

 ユダヤ人たちは、とこしえの神の都の礎の石(イエス・キリスト)によって、試みられました。

 

 異邦人はどうでしょうか。メシアが与えられるという契約のない民です。御救いの約束のない民です。神から遠く離れた民です。

 天地万物を造られた創造主はおひとりです。父と御子と聖霊の三位一体の神おひとりです。神がおひとりであるならば、神が遣わされる救世主もひとりです。また、世を裁かれる裁き主も、この三位一体の神おひとりの神です。

 

 おひとりの神は、主の民であるユダヤ民族以外のあらゆる民族をも造り、また裁かれる神です。神は、イスラエルに遣わされたメシア(神の御子イエス・キリスト)を、あらゆる民族をも救う救世主とされます。

 イスラエルを贖い、イスラエルを救う神の御子イエス・キリストが、世の罪を取り除く神の子羊だからです。すべての民族は、神の子羊イエスの血によって贖われ、永遠のいのちを得させられ、とこしえの神の国に入る神の子どもにしていただけるのです。とこしえの神の都に入る主の民は、真理の御霊によって新しく生まれたとこしえのイスラエルです。

 

 御霊によって新生した者はすべて、とこしえのイスラエルに加えられて、神の国の国民とされるのです。

 

 神は、契約を結んだアブラハムの子孫ユダヤ民族をお見捨てになったのでしょうか。いいえ、神はユダヤ人をお見捨てになりません。彼ら(ユダヤ人)は、彼らの先祖(アブラハム、イサク、ヤコブの忠実な信仰)ゆえに、愛された民です。神は、イスラエル民族と契約を結んでおられます。彼ら(ユダヤ民族)は、主の民です。

 

 神は、ヤコブ(ユダヤ民族の父)に仰せられました。

 「あなた(ヤコブ)の子孫(ユダヤ民族)は地の塵のように多くなり、あなたは、西、東、北、南へと広がり、地上のすべての民族は、あなた(イスラエル)とあなたの子孫(イスラエル民族)によって祝福される。

 見よ。わたし(神)はあなた(イスラエル)とともにあり、あなた(イスラエル民族)がどこへ行っても、あなた(ユダヤ人)を守り、あなた(ユダヤ民族)をこの地(カナンの地)に連れ戻そう。わたし(全知全能の神)は、あなた(ヤコブの子孫ユダヤ民族)に約束したことを成し遂げるまで、決してあなた(イスラエル)を捨てない。」(創世記28:14,15)

 

 異邦人たちは、罪赦されて永遠のいのちを得ると、とこしえのイスラエルに加えられます。御救いを受ける異邦人は、イスラエル民族とされるのです。救い主なる主イエス・キリストがイスラエルの王だからです。

 神の御子イエス・キリストは、イスラエルの神がイスラエルに遣わされたメシアであり、イスラエルの王として、世界を治められる王の王です。

 

 地上に建てられる堅い基礎の上に建てられた神の都に、イスラエルの神(イエス・キリストの父)と、イスラエルの王(神の子羊イエス・キリスト)が着座されます。

 御救いを受けた異邦人は、御救いを受けたユダヤ民族とともに、とこしえのイスラエルの国民となります。キリストの血によって救われた異邦人は、ユダヤ民族と同じ神と契約を結ぶ国民となるのです。

 

 イスラエルの神は、ユダヤ民族を選び、アブラハム、イサク、ヤコブの子孫イスラエルを愛されます。

 ユダヤ民族は捨てられていませんでした。そのあかしに、二千年前に離散したユダヤ民族が、現在、再び、離散する以前に住んでいた先祖の地イスラエルに帰還しているではありませんか。神は、約束に忠実なお方です。

 

 イスラエルの神に愛されるユダヤ人は、イエス・キリストの血肉の兄弟です。全能の神のとこしえの契約を持つ民です。イエス・キリストの血によって贖われた異邦人は、ユダヤ民族の契約の中に加えていただく民となります。

 

 主の民ユダヤ人に敵対する人々は、とこしえのイスラエルに入ることができません。平和の神の国民は、平和でなければなりません。イスラエルは一つなのです。かつて、分裂した南のユダも、北のイスラエルも、一つのイスラエル王国となります。ひとりの王、一つの国民となるのです。

 イスラエルの王(イエス・キリスト)の国民は、神の子羊によって一つであり、争いがなく、愛と調和の保たれた国民です。あらゆる民族、あらゆる国語の民が、神の子羊の血によってきよい者とされ、御霊によって新しい心(キリストの心)を持つ者です。

 御霊は、イスラエルの神の愛されるイスラエル、ユダヤ民族を愛しておられます。新生して御霊の思いを持つ人々もまた、イスラエルの神の愛をもってユダヤ人を愛する者とされるのです。