ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

もし契約の民がいなければ

 

 もし契約の民がいなければ、神と人とは断絶したままでした。神から離れた人は、神の存在も、エデンの園での安らぎも忘れていたことでしょう。

 

 人は、死ぬことは人の定めだと悟り、人生を生きている時間の中で捉え、永遠を求める信仰も希望もなかったことでしょう。

 

 もしアブラハムがいなければ、イスラエルは生まれていません。もしイサクがいなければ、アブラハムの祝福は実を結ばなかったでしょう。そして、神の祝福を奪い合う者らの争いで、世界は滅ぼされていたことでしょう。

 

 もしアブラハムが、自分のひとり子を惜しみ、燔祭の献げ物としてイサクを献げなければ、イスラエルは生まれなかったでしょう。

 

 もしイサクが父アブラハムの燔祭の献げ物として自らを父の手にゆだねなければ、イスラエルは生まれなかったでしょう。

 

 もしヤコブが兄エサウから自分でアブラハムの契約と祝福を奪い取ったものならば、兄エサウを恐れ、エサウの呪いに怯える者であったことでしょう。

 ヤコブは、天の人と格闘し、神から祝福をいただいたのです。そして、天の人から言われました。

 「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。あなたは神と戦い、人と戦って、勝ったからだ。」(創世記32:28)そして、天の人は、その場でヤコブを祝福しました。

 

 アブラハムの信仰と、イサクの従順と、ヤコブが主にすがって神の祝福を勝ち取ることがなければ、神の律法を受ける契約の民イスラエルは生まれなかったでしょう。

 

 アブラハムは信仰によって神の契約と祝福を受け、イサクは父アブラハムの神に自分のいのちをもゆだねる従順によって父アブラハムの契約と祝福を相続しました。

 ヤコブは、祝福を受けるために、天の人を放しませんでした。ヤコブの神への混じりけのない真実な心が、イスラエルを生んだのです。

 

 神が、エバを騙した蛇に、女から生まれる女の子孫が蛇の頭(悪魔)を踏み砕き、蛇(悪魔の子)は彼のかかとに噛みつくと仰せられた、その女の子孫(神のひとり子イエス・キリスト)を、神の契約の民イスラエルが生みました。

 

 悪魔を滅ぼすために生まれる女の子孫(人の子となられた神のひとり子イエス)のかかと(ヤコブ)に悪魔の子らは噛みつきます。すなわち、イスラエルは、神のひとり子キリストのからだの一部分であり、悪魔の子らは、キリストのからだ(神の民)を攻撃するとき、かかとであるヤコブ(イスラエル)に狙いを定めるのです。

 

 神がアブラハムと結ばれた契約と約束された祝福は、父アブラハムの神に従順なイサクに受け継がれました。イサクが受け継いだ神の契約と祝福は、神と戦って神から祝福を受け取ったヤコブが相続しました。

 

 ヤコブが相続した神の契約と祝福は、神と契約を結ぶ民イスラエルが受け継ぎました。イスラエルは、ヤコブの十二人の息子を族長とする十二支族であり、ユダヤ民族です。

 

 アブラハムと結ばれた神の契約と祝福は、それを受け継いだ者たちによって、堅く守られました。イスラエル(ユダヤ民族)は、アブラハム、イサク、ヤコブの神と、神の民としての契約を結びました。

 

 イスラエルは、アブラハムに与えられた契約のしるしの肉の割礼に加え、神の民として守るべき神の律法を受け取ったのです。

 信仰の父アブラハムから始まった神の契約は、神が御自分の民イスラエルを造られたことで具体的となりました。

 

 神がアブラハムに約束された土地の契約は、アブラハムの子孫ユダヤ民族(イスラエル)によって実現しました。

 アブラハムに約束された多くの国民の父とするとの神の契約は、イスラエルから生まれた神のひとり子イエス・キリストによって実現します。

 

 イエス・キリストは、アブラハムから生まれた契約の子です。祝福の基となる主キリスト(メシア)です。世界を治める平和の王、王の王です。

 

 もしアブラハムがひとり子を惜しみイサクを神の燔祭として献げなければ、もしイサクが父アブラハムの神に従順でなければ、もしヤコブが神と戦って祝福を勝ち取っていなければ、神の契約の民イスラエルは存在していません。

 

 もし契約の民イスラエルが存在していなければ、神のひとり子をこの世に迎えることはできませんでした。

 もし契約の民イスラエルが存在していなければ、神の子羊イエスの燔祭はなく、罪の贖いもありませんでした。

 もし契約の民イスラエルが存在していなければ、復活のいのちはなく、永遠のいのちを得させる神の御霊も世に来られることはありませんでした。

 

 ユダヤ民族は、神の契約を結ぶにふさわしい民族であると神に認められたから、モーセの律法が与えられました。

 ユダヤ民族は、神に「神の民」と認められたから、神は彼らに預言を与え神のことば(聖書)をゆだねられました。

 ユダヤ民族は、神の子羊イエスを屠るにふさわしい神の祭司の国民であると神に認められたから、神は、イスラエルに神の子羊イエスを遣わされたのです。

 

 神と契約を結ぶイスラエルは、神のひとり子キリスト(メシア)を生むにふさわしい神の律法の下にへりくだる民族です。

 神と契約を結ぶイスラエルは、メシアの御救いを世界中の人々に広める、祝福の基となる民族です。

 

 祝福は、神の契約の民イスラエルとともにあります。そして、契約の民族ユダヤ民族が生んだメシア、神のひとり子イエス・キリストのうちに、永遠のいのちと祝福の契約があるのです。

 

 天地万物を造られた全能の神、創造主であり裁き主である天の神が結ばれた契約によって、イスラエルは存在し、神の御救いは成し遂げられるのです。

 

 神は、和解のために、契約の民を造られました。神の祭司の国民です。契約の民が地上に置かれているのは、神の和解が実行に移されるためです。

 神と和解した人々は、魂に平安を得ます。