ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

私の齢の年月はわずかでふしあわせだと言うヤコブの人生

 

 「私のたどった年月は百三十年です。私の齢の年月はわずかで、ふしあわせで、私の先祖のたどった齢の年月にはおよびません。」(創世記47:9)

 

 全世界が飢饉の時、エジプトでは七年の豊作の年に蓄えた穀物が町々の穀物倉に保管されていました。世界中が穀物を買うために、エジプトにやって来ました。

 カナンの地に住んでいたヤコブの息子らも銀を持って、エジプトに穀物を買いに来ました。穀物を管理するエジプトの大臣は、ヤコブの息子らがかつてエジプトの奴隷商人に売った弟ヨセフでした。兄たちは、エジプトの大臣が弟のヨセフであることに気づきませんでした。

 

 主は、兄たちに売られたヨセフとともにおられました。主はへブル人のヨセフに啓示を与え、また知恵を与え、エジプトを栄えさせておられました。エジプト人の奴隷のヨセフは、神の祝福によってエジプトの大臣になっていたのでした。

 

 ヨセフの兄たちから、ヨセフは獣に裂き殺されて死んだと報告を受けた父ヤコブは、ヨセフが死んだと思い、ヨセフがいなくなってから二十五年以上経っても未だ悲しみの中にありました。

 二人の妻と二人のそばめの夫であるヤコブは、妻ラケルを最も愛していました。ラケルを妻にするために、ヤコブは十四年もの間、ラケルの父ラバン(ヤコブの母リベカの兄)に仕えたほどです。

 ヨセフは、十一番目の息子でしたが、愛する妻ラケルが産んだラケルの長子(初子)でした。ヨセフは、ヤコブの年寄り子であり、ラケルが初めて生んだ、ヤコブ寵愛の子でした。

 

 ヤコブ一族がラバンのもとを出て、カナンの地の父イサクのところに帰る道中で、妻ラケルは産気づき、ヨセフの弟(ヤコブの十二番目の息子)ベニヤミンを出産する時に息を引き取りました。ヤコブはラケルをエフラテ(現ベツレヘムへの道)に葬りました。

 

 ラケルは父ラバンの家を出るとき、父の神々(テラフィム)を盗んでいました。ヤコブ一族の後を追って来たラバンにテラフィムを盗んだと嫌疑をかけられたヤコブは怒って、「あなたの神々をヤコブの家の中で見つけたら、その者を生かしておきません。」(創世記31:32)と断言しました。ヤコブは愛する妻ラケルがそれらを盗んだのを知らなかったからです。

 妻ラケルは、夫ヤコブの父イサクのところへ行く道中で死にました。

 

 ヤコブ一族が父イサクのところに帰ると、ヤコブをこよなく愛してくれた母リベカはすでに死んでいました。

 視力が衰えた父イサクを騙して、長男のエサウに与える祝福を弟のヤコブが受けました。母リベカの指図によることでした。ヤコブが父を騙すことを恐れて、母に「私は祝福どころか呪いを身に招くことになるでしょう。」と言うと、母は言いました。「わが子よ。あなたの呪いは私が受けます。ただ私の言うことを聞きなさい。」(創世記27:13)

 

 ヤコブはカナンの地の父母のもとから離れてカランの地へ行き、母リベカの兄ラバンのもとでラバンの娘らをめとり、子どもたちも生まれました。その間に、ヤコブをこよなく愛してくれた母リベカは死に、ヤコブは母に再び会うことはありませんでした。母は、父を騙したヤコブの呪いを自分の身に受けて亡くなったのでした。

 

 約束の地(アブラハムの相続地)に帰って来たヤコブには、最も愛した妻ラケルはいません。ヤコブをこよなく愛し、兄エサウの殺意から守ってくれた母リベカもいません。ヤコブは愛する者を失っていたのです。それゆえ、ラケルの形見の子であるヨセフを誰よりも愛しました。

 

 妻レアの産んだヤコブの長子ルベンが神と父とに罪を犯したため、長子の権利は妻ラケルの長子に移されました。それで、ヤコブはヨセフに長子の着る袖付きの長服を作って着せていました。

 

 ヨセフの兄たち(異母兄弟)は、父が兄弟たちのだれよりもヨセフを愛しているのを見て、ヨセフを憎み、ヨセフと穏やかに話すことができませんでした。妬みが膨れ上がって、兄たちはヨセフを奴隷商人に売ったのでした。

 

 ヨセフはヤコブの慰めでした。そのヨセフを失った父ヤコブの悲しみは、兄たちがヨセフを売ったことを後悔してもしきれないほどの深いものでした。

 「ヤコブは自分の着物を引き裂き、荒布を腰にまとい、幾日もの間、ヨセフのために泣き悲しんだ。

 ヤコブの息子、娘たちがみな、来て、父を慰めたが、ヤコブは慰められることを拒み、『私は、泣き悲しみながら、陰府(よみ)にいるわが子(ヨセフ)のところに下って行きたい。』と言った。こうして父は、その子にために泣いた。」(創世記37:34,35)

 

 二十五年以上経って、父ヤコブは飢饉の状況下で、エジプトで穀物を買って帰って来た息子たちから、エジプトの大臣がヨセフであることを知らされました。しかし、彼らの言うことを信じることのできないヤコブはぼんやりしていました。

 兄たちは弟ヨセフが話したことを残らず話して聞かせ、ヨセフがヤコブ一族をエジプトの地で養うために、移動のための車を持たせてくれたことを伝えました。ヤコブは、ヨセフが父ヤコブを乗せるために送ってくれた車を見ると、元気づきました。

 「それで十分だ。私の子ヨセフがまだ生きているとは。私は死なないうちに彼に会いに行こう。」(創世記45:28)

 

 ヤコブは、波瀾万丈な人生を送りました。アブラハムの契約と祝福を相続したヤコブですが、父イサクとは正反対の人生でした。

 

 イサクはアブラハムのひとり子で、年寄り子のイサクは父アブラハムと母サラの愛を一身に受けて育ち、父に従順な者でした。

 神に従って、ひとり子イサクを燔祭として献げる父アブラハムに抵抗することなく、イサクは父アブラハムの神に自分を献げました。イサクはアブラハムの信仰を受け継いだのです。

 

 ユダヤ人教師の話によると、ユダヤ人の間では、「わたし(神)があなた(アブラハム)に示す一つの山の上で、全焼の生贄としてあなたのひとり子イサクをわたしに献げなさい。」(創世記22:2)と仰せられたアブラハムが、神に従って翌朝早く、イサクとともに出て行くと、イサクを全焼の生贄にするのを止めようとしてその後を追って来た母サラがヘブロンで死んだ、と言われているそうです。

 

 イサクは、最愛の母を失い悲しみますが、父アブラハムが親族からイサクに嫁を迎えると、イサクは、母サラの天幕にリベカを連れて行き、リベカをめとり、リベカを愛しました。イサクは、母のなきあと、妻リベカによって慰めを得ました。

 

 イサクの時代、飢饉が起こったとき、神がカナンの地に滞在するように命じられました。イサクはその地に種を蒔き、その年に百倍の収穫を見ました。主がイサクを祝福してくださったのです。

 「こうして、イサクは富み、ますます栄えて、非常に裕福になった。

 イサクが羊の群れや、牛の群れ、それに多くのしもべたちを持つようになったので、ペリシテ人は彼を妬んだ。それでペリシテ人は、イサクの父アブラハムの時代に、父のしもべたちが掘ったすべての井戸に土を満たしてこれをふさいだ。

 そうしてペリシテ人の王アビメレクはイサクに言った。『あなたは、われわれよりはるかに強くなったから、われわれのところから出て行ってくれ。』

 イサクはそこを去って、ゲラルの谷間に天幕を張り、そこに住んだ。」(創世記26:13ー17)

 

 「イサクのしもべたちが谷間を掘っているとき、そこに湧き水の出る井戸を見つけた。ところが、ゲラルの羊飼いたちは『この水はわれわれのものだ。』と言って、イサクの羊飼いたちと争った。それで、イサクはその井戸の名をエセク(争う)と呼んだ。

 しもべたちは、もう一つの井戸を掘った。ところが、それについても彼らが争ったので、その名をシテナ(敵意)と呼んだ。

 イサクはそこから移って、ほかの井戸を掘った。その井戸については争いがなかったので、その名をレホボテ(広々とした所)と呼んだ。そしてイサクは言った。

 『今や、主は私たちに広い所を与えて、私たちがこの地で増えるようにしてくださった。』

 イサクはそこからベエル・シェバに上った。

 主はその夜、イサクに現われて仰せられた。

 『わたし(神)はあなた(イサク)の父アブラハムの神である。恐れてはならない。わたしがあなたとともにいる。わたしはあなたを祝福し、あなたの子孫を増し加えよう。わたしのしもべアブラハムのゆえに。』

 イサクはそこに祭壇を築き、主の御名によって祈った。」(創世記26:19-25)

 

 イサクは争わず、神に祝福された者でした。アビメレクは友人と将軍とともにイサクのところにやって来て、イサクと契約を結びたいと言いました。彼らは、主がイサクとともにおられることをはっきりと見、イサクが主に祝福された者であることを知ったからです。

 アブラハムの神、主がともにおられ、イサクは祝福された人生を送りました。しかし、祝福されたイサクは、神がヤコブを選んでおられることを悟れませんでした。

 

 イサクの父アブラハムの一生は、百七十五年でした。アブラハムは平安な老年を迎え、長寿を全うして息絶えて死にました。イサクとイシュマエルは、アブラハムを、アブラハムが妻サラのためにヘテ人から買った畑地(墓地)に葬りました。

 ヤコブの父イサクの一生は、百八十年でした。イサクは年老いて長寿を全うして死にました。イサクの子エサウとヤコブが、父アブラハムと母サラ、妻リベカの眠る墓地にイサクを葬りました。 

 

 ヤコブは、先祖の眠るカナンの地を離れてエジプトに下り、外国の地で息絶えました。ヤコブの一生は、百四十七年でした。アブラハムの百七十五年、イサクの百八十年には及びません。

 それで、ヤコブ一族がエジプトに移住して、エジプトの王の前に立った時、ヤコブは、私の齢の年月はわずかで、ふしあわせで、私の先祖のたどった齢の年月に及びません、と言ったのでした。

 

 ヤコブの人生は苦難と悲しみと嘆きの連続でした。カナンの地に寄留し、カナンの地で死んだ先祖とは違い、ヤコブは人生の終わりに、約束の地を出て外国の地エジプトで息絶えるのです。

 

 「ヤコブは十二人の息子(十二支族の族長)にそれぞれにふさわしい祝福を与え、彼らに命じて言った。

 『私は私の民に加えられようとしている。(死のうとしている。)私をヘテ人エフロンの畑地にある洞穴に、私の先祖たちといっしょに葬ってくれ。

 その洞穴は、カナンの地のマムレに面したマクペラの畑地にあり、アブラハムがヘテ人エフロンから私有の墓地とするために、畑地とともに買い取ったものだ。

 そこには、アブラハムとその妻サラとが葬られ、そこに、イサクと妻リベカも葬られ、そこに私は妻レアを葬った。

 その畑地とその中にある洞穴は、ヘテ人たちから買ったものである。』

 ヤコブは子らに命じ終わると、足を床の中に入れ、息絶えて、自分の民に加えられた。」(創世記49:29-33)

 

 アブラハムもイサクも心安らかに生涯を閉じたのに、ヤコブは、自分の死後のことを息子たちに命じなければ安心できませんでした。

 最期までヤコブは心が張り詰めていて、安息することはありませんでした。ヤコブの霊は常に神を仰ぎ、悲しみでいっぱいでした。死(先祖に加えられる)がヤコブに安息を与えました。

 

 ヤコブには信頼できるものがなかったのです。

 父イサクの誤った判断も、兄エサウの敵意も、伯父ラバンから受けた苦しみも、ヤコブの心を砕きました。ヤコブの呪いを身代わった母リベカ、ヤコブの誓いによって死んだ最愛の妻ラケル、ヨセフへの溺愛が息子たちに妬みを起こさせヨセフをエジプト人の奴隷として売り、息子たちに裏切られていたこと、ヤコブの心は悲しみで押しつぶされそうでした。

 

 しかし、砕かれたヤコブは、イスラエル民族の父となり、イスラエルは神の民となったのです。そして、ヤコブがすがった先祖の神は「アブラハム、イサク、ヤコブの神」と呼ばれ、また、神御自身が「イスラエルの神」と名乗られます。主は、ヤコブの子らの神となられました。

 アブラハムに与えられた神の選びの子孫はイサクひとりです。

 イサクに与えられた神の選びの子孫はヤコブひとりです。

 ヤコブの十二人の息子のすべては神の選びの子孫であり、ヤコブの子孫は神がヤコブにお与えになった新しい名前「イスラエル」で呼ばれます。

 

 神は、アブラハム、イサクに現われた以上にヤコブに現われ、ヤコブと格闘までされています。

 神は、御自分の民を「イスラエル」と呼ばれます。イスラエルとはヤコブのことであり、神がイスラエルと呼ばれるとき、彼らはヤコブの契約の中にいるのです。

 ヤコブ(かかと)は、女の子孫として来られた人の子(神のひとり子イエス・キリスト)のかかとです。ヤコブは、蛇(悪魔)が噛みついたキリストのからだの一部なのです。

 

 「恐れるな。虫けらのヤコブ。イスラエルの人々。わたしはあなたを助ける。」(イザヤ41:14)

 「あなた(イスラエル)は主によって喜び、イスラエルの聖なる者(神の御子キリスト・イエス)によって誇る。」(イザヤ41:16)

 

 ヤコブの時代は、神の子羊イエスの贖いの血のない時代です。天の御国の希望をヤコブは知りませんでした。地上の悲しみにふさがれて永遠の望みを思い描くことができませんでした。

 

 父なる神を知るイエスは、十字架の辱しめの道を耐えられました。愛を持ってイスラエルの罪を赦し彼らを聖なる民とするために来られたのに、イスラエルは神の御子イエスの栄光を悟らず、蔑み、憎しみと呪いをもって、彼を殺しました。

 

 しかし、イエスは、その後の栄光を見ておられました。

 彼(イエス・キリスト)は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足されました。イエスを砕いて、痛めることは主の御心であり、イエスの十字架が多くのいのちを救い、神の御心はイエスによって成し遂げられることを知っておられたからです。

 

 ヤコブは、自分の人生はふしあわせだと言いました。しかし、神はイスラエルを愛し、イスラエルに栄誉を与えられます。ヤコブは祝福された者です。欠ける者はありません。ヤコブ一族は神と契約を結ぶ神の民なのです。

 イスラエル民族をご覧になるとき、神は、神と戦い、人と戦って勝ち取ったヤコブの契約と祝福を思い、満足されるのです。

 

 砕かれたヤコブは、十二人の息子おのおのにふさわしい祝福を与えました。長子のヨセフのふたりの子を祝福する時には、神の御心を捉えて弟のエフライムを先にしました。ヤコブは、神の御心を的確に捉える者となっていたのです。

 

 神は、御自分の民をヤコブの名で呼ばれます。ヤコブの子らを「イスラエル」、神のひとり子イエスを「イスラエルの王」、神を「イスラエルの神」と呼ばれるのです。

 

 重い十字架を負う者は苦しみますが、神は、その人に栄光の冠を用意しておられ、とこしえの喜びと平安を与えられるのです。