神に仕える大天使、天使長のルシファーは、神のひとり子に妬みを持ちました。神は、ひとり子を神の主権を相続する者としておられるからです。
天使の中でも際立って美しかった天使長は、自分よりも神に愛されるひとり子を妬みました。妬みは次第に増して、神への憎しみとなりました。天使長は、神に逆らう者となり、天から追放されました。
憤りから怒りへ。妬みは恨みに発展します。
「憤りは残忍で、怒りはあふれ出る。しかし、妬みの前には誰が立ちはだかることができよう。」(箴言27:4)
「愛は死のように強く、妬みは陰府(よみ)のように激しい。その炎は火の炎、すさまじい炎です。」(雅歌8:6)
愛の反対語は憎しみと言います。しかし、人々を確実に飲み込む死のように強い愛に背くならば、死を閉じ込める陰府のように激しい妬みとなります。
その妬みは、燃える炎となって骨をも焼く、すさまじい炎です。妬みは、その人自身を焼き尽くすすさまじい炎なのです。
だれも妬みの前に立ちはだかることはできません。だれも止めることができないのです。
妬みに燃えた天使長は、悪魔となり、闇の王者、闇の支配者となりました。妬みに燃える堕天使長の性質は、天使の性質が焼き尽くされ、悪魔の性質と化しました。もはや、何をもってしても、光を受け付けない者となってしまったのです。悪魔の闇は、光までも飲み込んでしまうからです。
蛇の語る悪魔の言葉に騙され、神のことばに背いたアダムとエバもまた、光のエデンの園から追放されて、悪魔の支配する闇の世に置かれました。罪と罪の呪いの死をかかえる世界です。
アダムとエバはふたりの息子を産みました。カインとアベルです。兄のカインは土を耕す者、弟のアベルは羊を飼う者となりました。
カインは、地の作物から主への献げ物を持って来、アベルは彼の羊の初子の中から、それも最良のものを、それも自分自身で、持って来ました。
「主は、アベルとアベルの献げ物とに目を留められた。しかし、カインとカインの献げ物には目を留められなかった。それで、カインはひどく怒り、顔を伏せた。」(創世記4:4,5)
アベルは、主に献げる物は、初子でなければならないことを知っていました。自分の飼っている羊の初子の中から、傷のない最良のものを選び、自分自身の腕に抱えて、恭しく主に献げました。アベルは、心を尽くし、思いを尽くし、精神を尽くして神を愛し、心から主を敬っていたのです。
神は、アベルの心をご覧になられ、アベルとアベルの心のこもった献げ物とに目を留められ、受け入れられました。
一方、カインは、神を恐れる者ではなく、無頓着な者でした。おそらく、父アダムに言われて、言われたまま、自分の収穫物を良しあしを見ることなく、無造作にもって来たのでしょう。カインは、主への献げ物は初穂でなければならないことに気を留めていませんでした。主のところに持って行けばよい、そのくらいに思っていたことでしょう。カインの心には、神を敬う心はありません。神に良き物を献げようという敬虔な心はなかったのです。
神は、カインの心をご覧になられ、カインとカインの心無い献げ物には目を留められなかったのです。
献げ物をちゃんと持って行ったのに、主が受け入れられなかったことに、カインはひどく怒りました。主から目を背け、怒りを抱きました。カインは主に向かって怒り、主に受け入れられた弟アベルに対して妬みを持ちました。
「そこで、主は、カインに仰せられた。『なぜ、あなたは憤っているのか。なぜ、顔を伏せているのか。
あなたが正しく行なったのであれば、受け入れられる。ただし、あなたが正しく行なっていないのなら、罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。だが、あなたは、それを治めるべきである。』」(創世記4:6,7)
主は、カインが正しい事を行なっていなかったことを、カインに仰せられました。自覚しても良さそうですが、カインは自分を顧みることはありませんでした。自分に間違いはなかった。アベルと同じように自分のものを主に献げたではないか。自分は間違ってはいない、自分は正しいと思ったのでしょうか。
神は仰せられました。「たとい、カインが自分を正しいとしても、正しく行なっていないのなら、罪があなたを支配しようとして、あなたの心が自分(罪)を迎え入れてくれるのを待ち伏せしている。憤りを持ち続けることをやめ、自分の心を守りなさい。罪を犯すのを押しとどめなさい。」
しかし、カインは、神のことばに聞かず、アベルに襲いかかり、弟を殺しました。
妬みは、罪の入り口です。妬みは、罪に支配されるカインを罪の奴隷にしました。そして、アベルの血が主に向かって、その土地から叫んでいます。その土地は、カインの罪により呪われ、カインがその土地を耕しても、土地はもはやカインを養ってはくれません。主は、カインを地上をさまよい歩くさすらい人とされました。
そのカインの子孫もすべて、その後のノアの時代に、洪水で滅びました。
アブラムにそばめの子イシュマエルが生まれました。しかし、神は、アブラハムと契約を結び、アブラハムと妻サラとの間にひとりの男の子を与えられました。神が、アブラハムにお与えになった契約と祝福を受け継ぐアブラハムの子孫を、神御自身が用意されたのです。
サラがイサクを産むと、イシュマエルは、そばめの母とともにアブラハムの家から出されました。アブラハムの契約と祝福を受け継ぐのは、イサクひとりだからです。イサクは、神と父に愛され、アブラハムのひとり子として育ちました。
そして、アブラハムの存命中に、アブラハムは全財産をイサクに与え、そばめの子らをイサクから遠ざけました。
イシュマエルは、アブラムの初めての子であり、イサクが生まれるまでは、アブラハムの跡取りとして育てられていたのです。
イサクに双子の男の子が生まれました。兄はエサウ、弟はヤコブ。神はエサウを憎み、ヤコブを愛して、父イサクが受け継いだアブラハムの契約と祝福を、弟のヤコブに相続させられました。
エサウは軽薄な者であり、契約と祝福を軽んじる者でした。しかし、ヤコブは、神に食らいついてでも、契約と祝福を求める信仰の人でした。そして、ヤコブは、神と戦い、人と戦い、勝ったのでした。
アブラハムの契約と祝福を失った長子エサウは、弟ヤコブを恨み、殺意を持ちました。ヤコブは、母リベカの兄ラバンのもとに逃げました。
イサクの兄イシュマエルは、アブラハムの契約と祝福を相続したイサクを妬み、ヤコブの兄エサウは、アブラハムの契約と祝福を相続したヤコブを憎みました。
アブラハムの契約と祝福を受け継ぐヤコブには、二人の妻と二人のそばめと、それぞれの子どもを合わせて、十二人の息子がいました。十一番目のヨセフは、ヤコブの愛する妻ラケルが産んだラケルの長子でした。
ヤコブの初子である、妻レアの長子ルベンが、父のそばめと寝床をともにし、神と父に罪を犯したため、神は、長子の権利をレアの妹ラケルの長子ヨセフにお与えになりました。それで、父ヤコブは、十二人の息子の長子の権利を持つヨセフに、長子の長服を着せていました。長子には、ほかの兄弟の二倍の祝福が与えられます。
十人の兄は、弟ヨセフを妬んでいました。弟の分際で、長子の権利を持つのです。しかも、年寄り子のヨセフは、兄弟の中で最も父に愛されていました。兄たちは、父に愛され、長子の長服を着た弟を憎みました。
そんなヨセフが夢を見ました。父や母や兄弟たちがヨセフを伏し拝む夢でした。それを聞いた兄たちの怒りは頂点に達しました。父ヤコブもヨセフをたしなめました。
兄たちはヨセフを妬みましたが、父はこのことを心に留めました。
兄たちはヨセフに殺意を抱き、殺そうとたくらみました。しかし、四男のユダが弟に手をかけることを引き留めて、兄たちは、ヨセフをイシュマエル人の奴隷商人に売りました。こうして、ヨセフは、エジプト人の奴隷となりました。
その後、ヨセフとともにおられた神の祝福によって、ヨセフはエジプトの大臣とされました。ヨセフは神によって、七年間の大豊作と七年間の大飢饉を啓示されました。ヨセフは神の知恵によって、七年間の大豊作のうちに、次に来る七年間の大飢饉のためにエジプト中の穀物を集め、町々に穀物を蓄え保管し飢饉に備えさせました。
飢饉が全世界にひどくなり、世界中が穀物を買うために、エジプトの大臣ヨセフの所に来ました。その人々の中に、ヨセフの兄たちもいました。兄はエジプトの大臣が、奴隷商人に売った弟のヨセフだとは気づきません。ヨセフの兄弟たちは来て、顔を地につけてエジプトの大臣(ヨセフ)を伏し拝みました。
ヨセフは兄たちに、ヨセフであることを明かし、ヨセフの計らいで父ヤコブも兄弟もエジプトに移り住んでヨセフに養われることとなりました。こうして、ヨセフがかつて見た夢は実現しました。
神は、イスラエルという新しい名を神からいただいたヤコブとその子らを飢饉の中で養い、また、その後、四百年間、エジプトの奴隷とするために、イスラエルの長子であるヨセフを先にエジプトに送っておられたのです。
ヨセフは、兄弟のたくらんだ悪を、神は良いことのための計らいとされ、このようにしてイスラエルを生かしておくためであったことを悟ったのでした。
兄弟の妬みを使って、神はヨセフを導き、アブラハムの契約と祝福を勝ち取ったヤコブ(イスラエル)の家族の祝福に変えられました。神と父ヤコブに愛されたヨセフも、ヨセフの兄弟たちも、神の良い計らいの中で和解し、一つの民族とされました。
神はヤコブの子らを奴隷の家エジプトから連れ上り、荒野で、神の民としての契約を結び、イスラエルに神の律法をお与えになりました。
イスラエルは神の民となり、アブラハムと契約を結ばれたアブラハムの神は、イスラエルの神となられました。
神は、アブラハムに約束されたとおり、アブラハムの子孫イスラエルにカナンの地をお与えになり、イスラエルはカナンの地にイスラエル国家を建国し、神が御自身で御自分の都として選ばれたエルサレムに、神の神殿を建てました。
神は、アブラハムとアブラハムの子孫イスラエルに約束されたとおり、国々の祝福となる救世主キリスト・イエスをイスラエルに生み、罪の贖いのわざを成し遂げて、永遠のいのちの主を世界に知らせました。
しかし、ナザレのイエスが自身を神の子とすることに妬みを抱き、激しい怒りによって十字架にかけて殺しただけでなく、イエスが墓から復活して神の御子の栄光を現わされても、多くのユダヤ人はイエスを信じず、イエスの弟子たちを迫害しました。罪を認めず、悔い改めることのない、かたくななユダヤ人を怒った神は、彼らから、国を取り上げ、世界に散らされました。
二千年近い間、イスラエルは幻の国となっていました。しかし、終わりの日が近づいて、キリストを再び地上に迎える日が近づいた近代、神は、再びユダヤ人をカナンの地に集め、ユダヤ人の国、イスラエルを建国されました。
神は憐れみによって、(神の遣わされたキリストを信じないので)罪が贖われていないユダヤ人たちを集めておられます。彼らの心は石のように固く、神のキリストを信じない不信仰を悔い改めません。それゆえ、神は、彼らの周囲に彼らを憎む敵を置いておられます。
アブラハムの契約と祝福を妬むイシュマエルとエサウの子孫が、ヤコブの子ら(ユダヤ人)に殺意を持っています。そして、彼らの背後には、神のひとり子キリスト・イエスを妬む闇の王者がいるのです。
妬みは焼き尽くす炎のようです。だれもその前に立ちはだかることができません。
神はイスラエルに、御自身を、「あなた(イスラエル)の神、主は焼き尽くす火、妬む神である。」(申命記4:24)と告げられました。
イスラエルの神は、神のひとり子キリスト・イエスの敵として歩む御自分の民を、また、イスラエルの心が神から離れているのをご覧になって、妬んでおられます。
なぜならば、イスラエルの神は、エルサレムとシオンを、妬むほどに激しく愛される神だからです。
「万軍の主はこう仰せられます。『わたしは、シオンを妬むほどに愛し、ひどい憤りでこれを妬む。』」(ゼカリヤ8:2)
イスラエルの神は、イスラエルの周囲にイスラエルを憎む者、妬む者、殺意を持つ者を置いて、イスラエルを苦しめ、イスラエルが悔い改めて神のひとり子キリストを信じ、神に立ち返るのを、待ち続けておられます。
イスラエルの神は、妬むほどに激しくイスラエルを愛しておられます。
世の事でいっぱいの御自分の民の心が、奴隷の家エジプトから救い出したとき以来、ずっと背負い続けて来られた生ける神に帰るよう、激しい妬みをもって、背信の民を愛しておられます。
ユダヤ人は、神の秘蔵っ子、主の宝の民なのです。
ユダヤ人が、十字架につけたナザレのイエスが神の御子キリストであったことを悟り悔い改めると、キリストが彼らのために立ち上がり、彼らの敵をことごとく絶ち滅ぼされます。