ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

日本のお社は神の民であることの証

 

 「ルベン族とガド族は、非常に多くの家畜を持っていた。彼らがヤゼルの地とギルアデの地を見ると、その場所は本当に家畜に適した場所であったので、ガド族とルベン族は、モーセと祭司エルアザルおよび会衆の上に立つ者たちのところに来て、次のように言った。

 『これら主がイスラエルの会衆のために打ち滅ぼされた地は、家畜に適した地です。そして、あなたのしもべども(私たち)は家畜を持っているのです。』

 また彼ら(ガド族とルベン族)は言った。

 『もし、私たちの願いがかないますなら、どうかこの地をあなたのしもべども(私たち)に所有地として与えてください。私たち(ガド族とルベン族)にヨルダン(川)を渡らせないでください。』」(民数記32:1-5)

 

 ガド族とルベン族が願う地は、神の契約された相続地(カナンの地)の外にある地でした。

 「なぜ、神が与えると約束されたカナンの地を所有しないのか。ほかの兄弟たちはカナンの地に入って戦いに行くのに、ここに留まろうとするのか。あなたがた(ガド族とルベン族)は、イスラエル人の意気をくじいて、主がイスラエルに与えた地(カナンの地)へ渡らせないようにするのか。」「ガド族とルベン族が、(カナンの地をあなたがた〈イスラエル〉の所有としなさいと命じられた主の命令に)もしそむいて主に従わなければ、主はまたこの民(イスラエル)をこの荒野に見捨てられる。そしてあなたがた(ガド族とルベン族)はこの民(イスラエル十二支族)すべてに滅びをもたらすことになる。」と、モーセは答えました。

 

 ガド族とルベン族は言いました。

 「私たちは、イスラエル人をその場所(約束のカナンの地)に導き入れるまで、武装して彼ら(十二支族)の先頭に立って急ぎます。私たちは、イスラエル人がおのおのその相続地を受け継ぐまで、私たちの家に帰りません。

 私たちは、ヨルダンを越えた向こうでは、彼ら(ほかのイスラエル人)とともに相続地を持ちはしません。私たちの相続地は、ヨルダンのこちらの側、東のほうになっているからです。」(民数記32:17ー19)

 

 モーセが、「ガド族とルベン族があなたがたの言葉どおりに行なうならば、主に対しても、イスラエルに対しても責任が解除され、この地は主の前でガド族とルベン族の所有地となる。あなたがたの口から出たことは実行しなければならない。」と命じると、ガド族とルベン族は、「あなたのしもべどもは、あなた(モーセ)の命じるとおりにします。」と答えて言いました。

 

 「そこで、モーセは彼ら(ガド族とルベン族)について、祭司エルアザル、ヌンの子ヨシュア、イスラエル人の部族の諸支族のかしらたちに命令を下した。

 モーセは彼ら(ヌンの子ヨシュアら)に言った。

 『もし、ガド族とルベン族の戦いのために武装した者がみな、あなたがた(イスラエル人)とともにヨルダンを渡り、主の前に戦い、その地があなたがた(イスラエル)の前に征服されたなら、あなたがたはギルアデの地を所有として彼ら(ガド族とルベン族)に与えなさい。

 もし彼ら(ガド族とルベン族)が武装し、あなたがた(イスラエル人)とともに渡って行かなければ、彼ら(ガド族とルベン族)はカナンの地であなたがた(イスラエル人)の間に所有地を得なければならない。』

 ガド族とルベン族は答えて言った。

 『主があなたのしもべたち(私たち)について言われたとおりに、私たちはいたします。私たちは武装して主の前にカナンの地に渡って行きます。それで私たち(ガド族とルベン族)の相続の所有地はヨルダンのこちら側にありますように。』

 そこでモーセは、ガド族とルベン族と、ヨセフの子マナセの半部族とに、エモリ人の王シホンの王国と、バシャンの王オグの王国、すなわちその町々のある国と、周辺の地の町々のある領土とを与えた。」(民数記32:28-33)

 

 ヨシュアがイスラエルをカナンの地に導き入れると、イスラエルはヨルダンを渡って、剣の刃で打ち、これを占領しました。

 祭司エルアザル、ヌンの子ヨシュア、およびイスラエル人の部族の一族のかしらたちが、シロにおいて会見の天幕の入り口、主の前で、くじによって相続地を割り当てました。(ヨシュア19:51)

 

 「主がイスラエルの家(イスラエル民族)に約束されたすべての良いことは、一つもたがわず、みな実現した。そのとき、ヨシュアはルベン人、ガド人、およびマナセの半部族を呼び寄せて、彼らに言った。

 『あなたがた(ガド族とルベン族とマナセの半部族)は、主のしもべモーセがあなたがたに命じたことを、ことごとく守り、また私(ヨシュア)があなたがたに命じたすべてのことについても、私の声に聞き従った。

 今日まで、この長い間、あなたがたの同胞(イスラエル人)を捨てず、あなたがたの神(イスラエルの神)、主の戒め、命令を守ってきた。

 今すでに、あなたがたの神、主は、あなたがたの同胞(イスラエル人)に約束したように、彼ら(イスラエル)に安住の地を許された。今、主のしもべモーセがあなたがた(ガド族とルベン族とマナセの半部族)に与えたヨルダン川の向こう側の所有地、あなたがたの(部族の)天幕に引き返して行きなさい。

 ただ主のしもべモーセが、あなに命じた命令と律法をよく守り行ない、あなたがたの神(イスラエルの神)、主を愛し、そのすべての道に歩み、その命令を守って、主にすがり、心を尽くし、精神を尽くして、主に仕えなさい。』

 ヨシュアは彼ら(ガド族とルベン族とマナセの半部族)を祝福して去らせたので、彼らは自分たちの(部族の)天幕に行った。」(ヨシュア21:45-22:6)

 

 「ルベン族、ガド族、マナセの半部族は、カナンの地にあるヨルダン川のほとりの地に来たとき、そこ、ヨルダン川のそばに一つの祭壇を築いた。それは、大きくて、遠くから見える祭壇であった。

 イスラエル人はこういううわさを聞いた。『ルベン族、ガド族およびマナセの半部族が、カナンの地の国境、ヨルダン川のほとりの地、イスラエル人に属する側で、一つの祭壇を築いた。』

 イスラエル人がそれを聞いたとき、イスラエル人の全会衆は、シロに集まり、彼ら(ルベン族、ガド族、マナセの半部族)といくさをするために上って行こうとした。」(ヨシュア22:10-12)

 

 カナンの地に相続地を持つイスラエル人たちは、彼らの行為を、カナンの地の外に所有地を持つガド族とルベン族とマナセの半部族の反逆であると考えました。

 神の祭壇は、イスラエルに一つだけです。イスラエルは、ひとつの神、ひとつの国民だからです。それ以外の別の祭壇を築くことは、罪です。

 カナンの地の外に所有地を持つ二部族と半部族は、イスラエルの神、主に従うことをやめて、イスラエルの神に反逆し、自分のために祭壇を築いて、主に反逆している。そのために、主はイスラエルの全会衆に向かって怒られるだろうと、神の約束どおりカナンの地を所有したイスラエル人は考えました。そして、イスラエルの会衆の上に神罰が下ることを恐れました。

 

 そこで、イスラエル人は、祭司エルアザルの子ピネハスといっしょにそれぞれの族長、全部で十人の族長を、ギルアデの地の二部族と半部族のところに送りました。

 「もしもあなたがた(ガド族とルベン族とマナセの半部族)の所有地がきよくないのなら、主の幕屋の立つ主の所有地(カナンの地)に渡って来て、私たち(イスラエル人)の間に所有地を得なさい。私たちの神(イスラエルの唯一の神)、主の祭壇のほかに、自分たちのために祭壇を築いて、主に反逆してはならない。」(ヨシュア22:19)

 

 すると、ルベン族、ガド族、マナセの半部族は、答えて言いました。

「私たち(ルベン族、ガド族、マナセの半部族)が祭壇を築いたことが、主に従うことをやめることであり、また、それはその上で全焼の生贄や、穀物の献げ物をささげるためであり、あるいはまた、その上で和解の生贄をささげるためであったのなら、主御自身が私たち(ニ部族と半部族)を責めてくださるように。しかし、事実、私たちがこのことをしたのは、次のことを恐れたからです。後になって、あなたがたの子ら(イスラエル人)が私たちの子らに次のように言うかもしれないと思いました。

 『あなたがたと、イスラエルの神、主と何の関係があるのか。主はヨルダン川を、私たち(イスラエル人)とあなたがた、ルベン族、ガド族との間の境界とされた。あなたがた(ルベン族、ガド族)は主の中に分け前を持っていない。』

 こうして、あなたがたの子ら(イスラエル人)が(カナンの地の外にいる)私たちの子らに、主を恐れさせることをやめさせるかもしれません。(イスラエルの神の民ではないとして、イスラエルの神を恐れず、ほかの神々に行くかもしれない。)

 それで、私たちは言いました。

 『さあ、私たちは自分たちのために、祭壇を築こう。(ルベン族、ガド族の子孫がイスラエルの神を恐れる者であり続けるために、主の祭壇を築こう。)(神の心をなだめる)全焼の生贄のためではなく、またほかの生贄のためでもない。

 ただ私たち(ルベン族、ガド族)とあなたがた(イスラエル人)との間、また私たちの後の世代との間の証拠とし、私たちが、全焼の生贄とほかの生贄と和解の生贄をささげて、(神の民イスラエル人の同胞として〈同じイスラエル人として〉)主の前で、主の奉仕をするためである。こうすれば、後になって、あなたがたの子ら(イスラエル人)は私たちの子ら(カナンの地の外に所有地を持つ神の契約の民)に、「あなたがたは主の中に分け前を持っていない。」とは言わないであろう。』

 また私たちは考えました。後になって、もし私たち、また私たちの子孫に、そのようなことが言われたとしても、そのとき、私たち(カナンの地の中に所有地を持たない部族)はこう言うことができる。『私たちの先祖が造った主の祭壇の型を見よ。これは全焼の生贄のためでもなく、またほかの生贄のためでもなく、これは私たち(カナンの地の外に住むイスラエルの部族)とあなたがた(カナンの地を相続した神の民イスラエル人)との間の証拠なのだ。』

 私たち(カナンの地以外の地を所有する部族)が、(イスラエル人の所有地として主が約束されたカナンの地にある)主の幕屋の前にある私たちの神(イスラエルの神)、主の祭壇のほかに、全焼の生贄や、穀物の献げ物や、他の生贄をささげる祭壇を築いて、きょう、(イスラエルの神)主に反逆し、主に従うことをやめるなど、絶対にそんなことはありません。」(ヨシュア22:23-29)

 

 ルベン族、ガド族、マナセの半部族の言葉を聞き、彼らの主への信仰を知った祭司ピネハスや会衆の上に立つ族長たちは、それに満足しました。

 カナンの地のイスラエル人のところに帰り、このことを報告すると、イスラエル人は、これに満足し、神をほめたたえました。

 

 「それでルベン族とガド族は、その祭壇を『まことにこれは、私たちの間で、主が神である(イスラエルの神が私たちの主である)という証拠だ。』と呼んだ。」(ヨシュア22:34)

 

 イエスの弟子(ユダヤ人)たちの宣教の時代も終わり、その後、千八百年以上の間、カナンの地から離散していたイスラエル人は、(イスラエルの神の)神殿も祭壇もない時代を過ごしました。彼ら(ユダヤ人)が神の民であるしるしは、系図とモーセの律法と神の契約でした。彼らは、約束の先祖の地(カナンの地)にユダヤ人の国が再建されることを望みとして、神の掟を守っていました。

 

 神がアブラハムに与えると約束されたカナンの地には、わずかなユダヤ人が残っているだけでした。イスラエルの地にあった神殿の名残りは西壁です。ユダヤ人たちは、西壁に訪れて、ユダヤ人の国の再建を祈り続けて来ました。そして、1948年に実現しました。

 

 東の果ての小さな島国には、神のお社が建てられていました。すべてを統べ治められる霊なる生ける神を恐れ、いのちを司るおのおのの働きに「~神」「~命(みこと)」という名前で呼ばれる神々を礼拝していました。

 神をまつる礼拝施設があり、日本人は目に見えない神に恐れを抱き、生かしてくださる神に感謝をささげます。神は聖なる方であるとして、身をきよめて神の前に立ちます。

 

 ユダヤの神殿と比べたら随分と飾り気のないものですが、日本のお社や祭壇や神を運ぶ神輿の型に、至聖所や聖所や契約の箱を見ることができ、また、参拝する際に手や口を清める手水舎があり、神は聖なるものと考えています。

 

 全世界を救う救世主(神の御子イエス・キリスト)を生んだユダ(二支族)に対して、神の民を救う世の終わりの救世主を北イスラエル(十支族)のうちに立てられるのでしょう。