ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

アブラハムの信仰の回復

 

 イエスはユダヤ人たちに言われました。

 「『わたしは(イエス)は、あなたがた(ユダヤ人)がアブラハムの(血肉の)子孫であることを知っています。しかしあなたがたはわたし(アブラハムと契約を結ばれた神が遣わされた神の御子イエス)を殺そうとしています。わたしのことば(アブラハムの子孫イスラエルと契約を結ばれた神が授けることば)は、あなたがた(ユダヤ人たち)のうちに入っていない(根を下ろしていない)からです。

 わたし(イエス)は父(アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、イスラエルの神)のもとで見たことを話しています。ところが、あなたがた(ユダヤ人)は、あなたがたの父(神に反逆する霊)から示されたことを行なうのです。』

 彼ら(ユダヤ人たち)は答えて言った。『私たちの父はアブラハムです。(私たちは神に認められたアブラハムの子どもです。)』

 イエスは彼らに言われた。

 『あなたがたがアブラハムの子どもなら、アブラハムのわざ(生けるまことの神に聞き従う信仰の行為)を行ないなさい。

 ところがいまあなたがたは、神から聞いた真理(神から預かった神のことば)をあなたがたに話しているこのわたし(御子イエス)を、殺そうとしています。アブラハムはそのようなことはしなかったのです。(アブラハムは、受肉以前のイエスを「主」と仰いでいました。)

 あなたがたは、あなたがたの父のわざ(背信のユダヤ人は神の御子に敵対する悪魔のわざ)を行なっています。』

 彼ら(ユダヤ人)は言った。『私たちは不品行によって生まれた者ではありません。(神の契約のない無割礼の者とは違います。)私たち(イスラエル)にはひとりの父(信仰の人アブラハムの父)、神(イスラエルの神)があります。』

 イエスは言われた。

 『神がもしあなたがたの父であるなら、あなたがた(神の霊を受けた神の民)はわたし(神のひとり子)を愛するはずです。なぜなら、わたし(イエス)は神から出て来て(神に遣わされて)ここにいるからです。

 わたし(イエス)は自分で来たのでなく、神がわたしを遣わしたのです。(天の神に遣わされて来たのです。)

 あなたがた(イスラエル)は、なぜわたし(イスラエルの神がイスラエルに遣わされた神のひとり子イエス)の話していることがわからないのでしょう。それは、あなたがたがわたしのことばに耳を傾けることができないからです。(アブラハムにあった、生ける神に聞き従う信仰を持たないあなたがたの霊の耳は閉じているからです。)

 あなたがたは、あなたがたの父である悪魔から出たものであって、あなたがたの父(神の御子に敵対する悪魔)の欲望を成し遂げたいと願っているのです。悪魔は初めから人殺しであり、真理(神の側)に立ってはいません。彼(悪魔)のうちには真理(神の真実)がないからです。彼が偽りを言うときは、自分にふさわしい(不真実な)話し方をしているのです。なぜなら彼(悪魔)は偽り者であり、また偽りの父(偽りの子を生み出す者)であるからです。

 しかし、このわたし(イエス)は真理(天の神のことば)を話しているために、(偽りを愛する)あなたがたはわたし(神が遣わされた神の御子イエス)を信じません。

 あなたがたのうちだれか、わたし(イエス)に罪があると責める者がいますか。わたしが真理(神のことば)を話しているなら、なぜわたし(神の御子イエス・キリスト)を信じないのですか。

 神から出た者は、神のことばに聞き従います。ですから、あなたがたが聞き従わないのは、あなたがたが神から出た者でないからです。」(ヨハネ8:37-47)

 

 ユダヤ人たちは、エデンの園の回復を願っています。世が改まることを信じています。しかし、そのためには、アブラハムの信仰が、イスラエルに回復されなければなりません。

 

 日本では、生ける神の神示を受ける人々がいます。岡本天明が天之日月神からの神示を自動書記によって記述した日月神示は有名です。内容は、まことの世の訪れと、その前に世の立て直しのために大災厄や大試練を迎えなければならないことと、助かるためには身魂を磨き鍛錬しつつ備えることという、光の道(神の道)を歩むための導きの書のようです。

 

 これは、聖書的に解釈すると、この世の終わりが来て、神の御子キリスト・イエスが治められる新しい世(エデンの園の回復)が始まるが、その新しい世を迎えるためには、世の終わりに七年間の患難期(そのうち後三年半は、大患難)をくぐらなければならない。

 その苦しみの期間を乗り越えて、新しい世(千年王国)に入るためにどのように備えたら良いのかを、聖書を知らない日本人に向けて、また、大和魂を持つ人々に向けて書かれているのです。

 

 神示は、出口なお、王仁三郎、岡本天明などに降ろされていたようです。日本では霊なる神を信仰していて、神の霊体験をする人々がいます。

 2021年にも、「いよいよ大峠(患難期)の時が来た。早く身魂を磨いておくれ。」と現代人に向けて神示が降りたようです。その神示が降ろされた人物がだれであるかは明らかにされていませんが、その神示は『よひとやむみな』(世も人もみな終わる、の意)という書籍になっています。

 

 この『よひとやむみな』の本は、このように始まっています。

 「富士は晴れたり、日本晴れ。(この一節は、日月神示によく出て来るそうで、日月神示を降ろした神と同じ神が降ろした神示である、ということでしょう。)

 

 いよいよ、大峠の時が来た。もう変えることはできん。大難を小難にするよう伝えてきたが、今となっては、肝を据えて迎えるしかない。(災いの規模を小さくするために身魂を磨いて努めるようにと伝えてきたが、試みの時が近づいた今となっては、覚悟しなければならない。)

 

 (岡本)天明に書かせた神示を、その後、お役の人々(神の神示を言い広める使命の人々)が広めてくれた。そしてこれまで、(天の神は)日本を、世界を、人間たちを見ておった。何度か、また何人かに神示を降ろしてきたこともあった。

 

 これから、大峠(大災厄や大試練)を前にした人間おのおのの在り方について伝えねばならん。これまでの神示では、日本人に伝えているかのように受け取られておるが、やまとの身魂(大和魂)を持った人々に伝えておるのじゃ。

 

 確かに、日本の地でやまとの身魂(神を恐れ自然を愛し調和する心)を持っておる者は多い。されど、やまとの身魂を持っていない日本人の方が大勢おるぞ。外国に住む人間にもやまとの身魂を持っている者がおる。この神示は、やまとの身魂を持っている世界中の人間に伝えるのぞ。 

 今の世で起こっていることは、なるべくしてなっていることは分かるであろう。この世は昔より明るいと思う人間、人(真理を求める人)より喜びある生き方をしておると思っておる人間は、たくさんおるようだが、ますます穢(けが)れて来ておるのが分らんか。

 

 この世を光の世にするのは、そなたたち身魂次第じゃと申してきた。されど、自分を磨くとはどういうことか、分かっておらぬ人間が多すぎる。科学というものが発達し、食べることもできるようになった。作業するのも楽になったようであるが、殺し合っておる者たち、食べていけぬ者たち、苦しむ者たち、あきらめておる者たち、不足を申す者たちばかりではないか。

 

 科学というものは、便利にするものであるが、幸せにするものではない。(日本人は)戦は終わったと申しておるが、そなたたちの心はまだ戦っておるではないか。何のために人間に生まれてきたのかを忘れておる。

 

 この神示、何度もくり返し読め。魂で読め。疑えば疑いの世に、魂で受け取れば光の世になろう。

 

 ここでは、天明に書かせた神示の中から、主に身魂磨きについて伝える。祓い清めの行(ぎょう)は、他の役割の人間に降ろしておる。わたくしを疑う者は読まんでもよい。だが、邪魔するな。(身魂磨きを心がける者たちの歩みを邪魔するな。)

 

 人間進化に必要な最初の段階、上つ巻を知らせるぞ。天の理を知らせるぞ。」

 このようにして、神の神示はあとに続いています。

 

 日本人の覚醒、また、世界中にいるやまとの身魂(自然と調和する神の心)を持つ人々の覚醒のため、そして、光の世に入るための身魂を磨くための教えです。

 

 日本の神は、日本国民を正しい道に導くために、ことばをもって示してくださいます。イスラエルに住むユダヤ人のうちの何人が、神からのことばを受けているでしょうか。聖書のことばではありません。現代人に向けて、生きておられる神からの神示です。

 

 イスラエルの先祖、アブラハム、イサク、ヤコブが体験した、神から受けることばです。モーセも、ダビデも、エリヤも、この声を聞いていたのです。生ける神のことばを聞くのは、神に選ばれた神の民イスラエルが、全地にあって、神の祭司の民である証ではありませんか。

 

 神に選ばれたアブラハムは生けるまことの神からことばを受け、そのことばに聞き従いました。科学の発達した世界で、そんな原始的なことが起こり得るのでしょうか。

 日本には、このアブラハムの信仰が残されているのです。神は、やまとの身魂を持っている日本人に神示を降ろし、日本人に正しい道を行くように、そして、世界の人々の救いとなるように、そのような役割を与えてくださっています。

 

 不思議ですが、神は、キリスト教徒ではなく、聖書を知らない日本人に語っておられます。

 宗教に汚されていない日本人の霊は、生ける神のことばを否定しません。神の神示を受ける時、日本人は、少年サムエルのように、「お話しください。しもべは聞いております。」(サムエル第一3:10)と神を仰ぐ純真な心を持っているからです。

 

 日月神示は言っています。

 「仏もキリストも何もかもはっきり助けてしち難しい御苦労の無い世がくるから、身魂を不断に磨いて一筋のまことを通しておくれよ。今一苦労あるが、この苦労は身魂を磨いておらねと越せぬ。この世始まって二度とない苦労である。」

 

 日本神道の霊なる神、創造主(実はイスラエルの神と同じ神)が、仏法を信じる者やキリストを信じる者たち(宗教の霊で思いの暗くなっている仏教徒やキリスト教徒)をも助けると言っています。啓示の光を照らしてくれるようです。

 聖書でいうところの聖霊の導かれる狭き道、いのちの道に導くのは、やはり、日本人の信仰にかかっているようですね。

 日本人の心に、神のことばに聞き従うというアブラハムの信仰が置かれ生ける神のことばに聞き従う信仰が確立すると、それは世界に波及し、その生ける神の霊(聖書でいう御霊)が世界中の神の民を目覚めさせて、律法的な信仰から、イエスの使徒たちのように、聖霊の声を聞き、御霊に聞き従うという信仰に一新してくださるのでしょう。

 

 人類の救いは、神の声を聞き神に聞き従うというアブラハムの信仰に始まり、キリストから聖霊のバプテスマを受けて霊なる神の御霊に聞き従うというイエスの弟子たちの信仰、すなわち、霊なる神との交わりの中に入ることによって完成するのでしょう。