ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

振るわれるキリスト者の信仰

 

 「わたしはイスラエルのすべての部族の神となり、彼らはわたしの民となる。」(エレミヤ31:1)

 

 イエス・キリストと心一つとなって、父なる神に仕えるユダヤ人十四万四千人が、終りの日の働きのために用意されています。

 ユダ部族、ルベン部族、ガド部族、アセル部族、ナフタリ部族、マナセ部族、シメオン部族、レビ部族、イッサカル部族、ゼブルン部族、ヨセフ部族、ベニヤミン部族の十二部族のそれぞれ一万二千人とあります。(黙示録6:4-8)

 十二部族の中に、神のために取り分けられた初子のレビ部族が入っており、ダン部族が含まれていません。

 

 しかし、神は「すべての部族の神となる。」と約束し、「すべての部族はわたし(神)の民となる。」と言っておられます。

 それゆえ、終わりの日に神の御子イエス・キリストとひとつとなり、神の御子と同じ心になって神に仕える十四万四千人のユダヤ人の中に入っていないながらも、ダン部族もまた、神の民なのです。

 

 十二部族の十二人の族長の父ヤコブが、死の間際に、十二人の息子のそれぞれに終わりの日に起こることを告げました。その中で、ヤコブはダンにこのように告げています。

 「ダンはおのれの民をさばくであろう、イスラエルのほかの部族のように。

 ダンは、道のかたわらの蛇、小道のほとりのまむしとなって、馬のかかとを噛む。それゆえ、乗る者はうしろに落ちる。

 主よ。私(ヤコブ)はあなた(主)の救いを待ち望む。」(創世記49:16,18)

 

 ダンは、イスラエルのほかの部族のように、おのれのダン部族を取り扱い対処するでしょう。ダン部族は、おのれの部族を仕向けて、イスラエルが進むべき道のかたわらに潜む蛇、まむしとなって、馬のかかとを噛むようです。

 

 蛇とは、エバを騙した悪魔の使いを言っているのでしょうか。

 イエスは、偽善の律法学者、パリサイ人たちに向かって、「おまえたち蛇ども、まむしのすえども。おまえたちは、ゲヘナの刑罰をどうしてのがれることができよう。」(マタイ23:33)と言っておられます。

 終わりの日にダン部族は、神の御子イエスに敵対した律法学者やパリサイ人と同じ罪を犯すのではないのでしょうか。

 

 神は、エバを騙した蛇に、「彼(神が遣わす救世主キリスト)は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとに噛みつく。」と仰せられました。

 ダン部族は、神が遣わされたキリストのかかと(すなわち、イスラエル)に噛みつく蛇のように、馬のかかとに噛みつくのです。

 

 蛇(悪しき霊)に噛まれ、悪しき霊に支配されたイスラエルは、神のひとり子イエス・キリストを嘲り、ののしり、辱しめを与えて殺し、そして、イエス・キリストを信じるユダヤ人たちを迫害し、捕まえ、殺しました。

 

 父ヤコブの預言によれば、ダンは噛まれる者ではなく、噛む者となるようです。噛まれた馬に乗る者はうしろに落ちる、とありますから、害を与えるようです。

 

 おそらく、悪魔の支配する闇の世において、「反キリスト」と心一つとなって悪魔の国を支配する「偽預言者」は、ダン部族の中から起こると思われます。悪魔から権威をもらう「偽預言者」です。ローマ教皇ではなく、ユダヤ人のダン部族の中から、反キリストの像を建てて、ユダヤ人たちに反キリストの像を拝むことを強要する者が起こると考えます。ローマ教皇は、反キリストを世界平和の指導者として世に現わす協力者であり、反キリストの働きを助ける者です。

 

 悪魔が権威を与える偽預言者は、ダン部族から出て、同胞のユダヤ人たちを惑わし、神の御救いから引き離すのでしょう。

 

 「主よ。私はあなたの救いを待ち望む。」というヤコブの祈りは、ほかの兄弟たち(ほかの部族のユダヤ人たち)が、ダンに惑わされないように、という執り成しなのか、あるいは、ダン部族の人々がダン部族の中から出た偽預言者に惑わされて、彼と一つ思いとなって悪魔の子とならないように、という願いなのか、どうでしょう。

 

 終わりの日にダンに起こることを告げたヤコブのことばに啓示された、ゲヘナの刑罰をのがれることができない蛇の子となるダン部族は、イエス・キリストと一つ心となる十四万四千人のユダヤ人の中には含まれていません。

 しかし、「わたしはイスラエルのすべての部族の神となり、彼らはわたしの民となる。」と仰せられる主は、ダン部族の神でもあり、ダン部族は救いの中に名を連ねています。これらのことは、終わりの日に起こることであって、旧約時代に墓に入ったダン部族の人々や、終わりの日の前にキリストにあってこの世を去ったダン部族の人々は神の御救いの中に入るのです。

 

 「永遠の愛をもって、わたし(神)はあなた(イスラエル)を愛した。それゆえ、わたしはあなたに誠実を尽くし続けた。

 おとめイスラエルよ。わたしは再びあなたを建て直し、あなたは建て直される。」(エレミヤ31:3,4)

 

 神がイスラエルに尽くし続けられる誠実とは何でしょうか。

 イエス・キリストの十字架の処刑後、四十~百年の間に、イスラエルはローマ帝国によって追い散らされて、ユダヤの土地を失い、世界に離散しました。

 その時から千八百年以上経った1948年に、神は、ユダヤ人に約束の地に帰還させられました。ユダヤ人の国を、先祖の地イスラエルに建国されたのです。そこは、昔イスラエル王国があった土地であり、ローマ帝国がユダヤ属州をパレスチナと改名した地でもありました。そして、イスラエルの国は、ユダヤ人の国家として国連に認められました。

 

 「見よ。わたし(神)は彼ら(ユダヤ人たち)を北の国から連れ出し、地の果てから彼らを集める。その中にはめしいも足なえも、妊婦も産婦も共にいる。彼らは大集団をなして、ここに帰る。

 彼らは泣きながらやって来る。わたしは彼らを、慰めながら連れ戻る。わたしは彼らを、水の流れのほとりに導き、彼らは平らな道を歩いて、つまずかない。

 わたしはイスラエルの父となろう。エフライムはわたしの長子だから。」(エレミヤ31:8,9)

 神は約束を成就されました。

 

 神は、預言どおり、彼らに国連に認められたユダヤ人の国家を与えられました。乾燥した緑の少ない土地でしたが、神はユダヤ人たちを住まわせられると、緑豊かで実りの多い地とされたのです。

 

 かつて、神はユダ族とベニヤミン族の南ユダを背信の罪ゆえにバビロンに捕囚させられました。神殿を破壊された彼らはバビロンの地で、神に立ち返りました。偶像に満ちたバビロンの地で、イスラエルの神こそが生けるまことの神であると悟ったのでした。

 神殿信仰だったユダヤ人たちは、バビロンの地で、神がモーセに与えられた律法を忠実に守る信仰に移行しました。

 

 七十年後、バビロンの地から帰還したユダヤ人は、神のキリストを待ち望む神の律法の民となりました。その五百数十年後に、キリストを迎えましたが、ユダヤ人は、イエスがキリストであることを信じることができませんでした。それで、神の怒りを買って、国を失ったのでした。

 

 神はいつまでも怒ってはおられません。彼らを再び、彼らの先祖の地に集め、彼らに約束されたとおり、ユダヤ人の国家を建国されたのです。

 

 ユダヤ人の中でも、「イエスはキリストである。」と告白する人々が起こされています。神は、ユダヤ人のすべての者がキリストにへりくだる者とされる時、神の御座の右に着座しておられる神の子羊キリストを、イスラエルを治める「イスラエルの王」として地上に戻してくださいます。

 キリスト・イエスは、ダビデの王座に着くとこしえの王だからです。そして、イスラエルは、御救いを受けるのです。ユダヤ民族は、神に御救いを受ける契約を持つ神の民なのです。

 

 これらの神の約束と聖書のことばに立つ者は、イスラエルの敵となることがありません。神のことばの中にいるからです。神のことばは、「アブラハムの子孫(イスラエル)を祝福する者をわたし(神)は祝福し、アブラハムの子孫(イスラエル)を呪う者をわたし(神)は呪う。」です。

 しかし、目に見えることに思いを向け、人道的な思いで物事を判断する者は、神のことばから外れ、イスラエルに怒りを燃やしイスラエルを憎む者、イスラエルを呪う者となり、神のことばに背く者となってしまいます。彼らは、自分が神の呪いを受ける者となることを悟らないのです。

 

 イエスを思いやるペテロに、イエスは𠮟りつけておられます。

 「下がれ。サタン。あなたはわたしの邪魔をするものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」(マタイ16:23)