「人にはふさわしい助け手が、見あたらなかった。そこで神である主が、深い眠りをその人(初めの人アダム)に下されたので彼は眠った。それで、彼のあばら骨を、ひとりの女に造り上げ、その女(エバ)のところに連れて来られた。
すると人(アダム)は言った。
『これこそ、今や、私の骨からの骨、私の肉からの肉。
これを女と名づけよう。これは男から取られたのだから。』
それゆえ、男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。」(創世記2:20-24)
アダムはエバを得て、大変喜びました。そして、自分を愛するようにエバを愛しました。
エバが蛇の言葉に惹かれそそのかされて神のことばに背いたときも、アダムはエバの罪をともに負いました。それで、アダム自身も神のことばに背く罪人となったのでした。
アダムは、神ではなく、騙した蛇に捕らえられたエバとともにいることを選んだのです。アダムは、自分とエバを造ってくださった創造主である神以上にエバを愛しました。
アダムは、造ってくださった神よりも、自分と並べられて造られた被造物を愛し、被造物と心を一つにしました。そのとき、アダムの心は、神御自身(創造主)ではなく、自分自身を「主」としたのです。神が主ではなく、己(自分自身)が主となりました。神のことばに背いたアダムは、自分の思いや感情によって支配される者となりました。人(アダム)は、被造物(エバ)の言葉に聞き従い、神の支配から外れた者となったのでした。
アダムにはアダムの思いや感情があります。エバにもエバの思いや感情があります。被造物を愛する者は、互いの思いと感情でぶつかり合います。
神の支配の中にあるときは、神の思いと感情をすべての被造物が共有していました。自分の思いや感情は、主のものだったのです。エデンの園の被造物は主のものを受け、主のものによって生きており、主のいのちで満ち溢れていたのです。
人は、善悪を知る知識の木の実を食べて、己の思いと感情や知識によって立つ主人となりました。神に仕えるしもべではなく、神に並ぶもうひとりの主人のようになったのです。エデンの園に神以外の主人は要りません。
神である主が、人(アダムとエバ)をエデンの園から追い出されたので、人は自分がそこから取り出された土を耕すようになりました。
エデンの園から追放された人(アダムとエバ)から、人類は増え広がりました。
一人一人が主人であることを主張する世界です。夫は妻を支配しようとし、妻は夫を支配しようとします。国の支配者は国民を支配しようとし、国民は支配者にいきり立ちます。
まことの神を知らない世界に、人間がつくった偽りの神々が増え広がり、神々の名によって人々をまとめ支配します。
神は、まことの神から遠く離れた被造物の世界に、まことの神を恐れまことの神に仕えるユダヤ民族を造られました。彼らは、神が選んだ神の民イスラエルです。
神はイスラエルを御自分の民と呼ばれました。
そして、イスラエルに神のことば(聖書)を与え、神の計画を担う民として育てられました。神は、イスラエルに、御自分のひとり子を遣わされました。世から罪を取り除く神の子羊イエスです。
イスラエルはまことの神の祭司の国民として、神が天より遣わされた罪の贖いの子羊イエスを十字架で屠り、罪の贖いのわざを成し遂げました。
神は、子羊イエスの贖いの血を受け取られて、十字架で死なれた子羊イエスを仰ぎ信じる者の罪を赦されます。
荒野でモーセが青銅の蛇を旗ざおに掲げ、その青銅の蛇を仰ぎ見た者は毒蛇に噛まれても生きており、仰ぎ見ない者は毒蛇に噛まれて死にました。
神は、祭司の国民ユダヤ人が木(十字架)にかけた子羊を仰ぎ見る者を生かして永遠のいのちを得させ、仰ぎ見ない者を永遠に死ぬ者とされます。
十字架の主イエス・キリストを信じる人々は、永遠のいのちを得させてくださる神の約束を信じて、神を礼拝し、天の御国の希望を持っています。
イエスが死から復活して天に上られると、弟子たちに聖霊を注がれました。イエスは、聖霊のバプテスマを授けるキリストだからです。イエスの十字架までは、神に油注がれた神の人に聖霊が留まり、預言を与えておられました。
しかし、主キリストが栄光を取られた(天に上られ神の御座の右に着座された)後の時代は、神の御子イエス・キリストを信じる者にイエス・キリストの御名で聖霊のバプテスマが授けられ、イエスの弟子のうちに聖霊が宿られます。
キリスト教会では、イエスを愛し、イエスの父であられる神をほめたたえています。イエスを賛美し、まことの生ける神を礼拝しています。
多くの教会では、聖書の教えによって良い行ないを教えます。そして、聖書にある良い行ないに準ずる者になろうと、神に祈り努力します。
善悪を決められるのは、神御自身です。しかし、神御自身を求めるよりも、良い行ないによって神に認められようとするのです。ほかの宗教のようになっています。それで、神がよくわからなくなっています。
イエスが地上に来られたとき、ユダヤ人たちが神を知らなかったのと同じです。
イエスは、まことの神に仕える神の民ユダヤ人に言われました。
「あなたがたは聖書も神の力も知らない。」
「あなたがた(ユダヤ人)は(キリスト〈キリストの御霊〉を)信じません。それは、あなたがたがわたし(神の御子イエス・キリスト)の羊に属していないからです。
わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。またわたし(神の御子キリスト)は彼ら(キリストのしもべ)を知っています。そして彼らはわたしについて来ます。
わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることなく、また、だれもわたしの手から奪い去るようなことはありません。
わたし(神のひとり子)に彼ら(新生した御霊の子ら)をお与えになった父は、すべてにまさって偉大です。だれもわたしの父(全知全能の創造主)の御手から彼ら(御霊の教会)を奪い去ることはできません。
わたしと父と(御霊と)は一つです。」(ヨハネ10:26-30)
父なる神は、御子のために、善い人ではなく、全き人を御霊によって創造されます。父は、父に完全に聞き従われた子羊(御子)に、御子に聞き従う御霊の教会を造られるのです。
創造主は、キリストの血によって義とされ生きる者とされ贖われた人のうちに、聖霊(キリストの御霊)を住まわせられます。聖霊は、キリストとひとつ思いの御霊です。信じる者の心に、キリストの御思いが置かれるのです。
キリストの血によって罪が贖われた人は、御霊を受けて、御霊によって新しい心に生まれ変わります。肉に死に、御霊にて生きる者、新生した神の子どもです。
神の子どもたちは、御霊によって生まれ、御霊によって教えられ、御霊の声に聞き従う新しい創造です。
神は、神のことばに聞き従った全き人の子イエス・キリストに、御霊の声に聞き従う全き人々を与えられます。
イエス・キリストの羊に属する人々が集められます。御霊の教会の人々です。御霊の教会の人々は、御霊の声を聞き分けます。また彼らは、イエス・キリストを知っており、キリストについて行くのです。人につくのではありません。キリストについて行くのです。
神は、キリストを頭とするキリストのからだを建て上げられます。からだのすべての部分は、頭(キリスト)の指令に忠実であり、それぞれの働きはキリストのことば(御霊)に聞き従って行われており、調和があります。頭の指令を伝達するのが、聖霊(キリストの御霊)であるからです。
最初の人アダム(第一のアダム)とアダムから取られたエバは、神のことばから外れてから、ふたりは一心同体ではありませんでした。それぞれが頭となって、互いを支配しようとし、争い分裂するのです。
第二のアダム(神の御子、神の子羊イエス・キリスト)のために、神は、キリストの御霊によって、新しい人を創造されます。御霊によって新しく生まれ、神のひとり子キリストにふさわしく整えられた、御霊に聞き従う神の子どもたちです。
神は、新しい創造の神の子どもたちを、七つの御霊によって整え、七つの御霊の教会によって守られます。
神は、主権をお与えになられた神の子羊イエス・キリストのために、全き人(御霊の教会)を創造し、御霊の教会を神のひとり子にお与えになるのです。