「愛されている子どもらしく、神(神の御子イエス)にならう者となりなさい。また、愛のうちに歩みなさい。キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、ご自身を神への献げ物、また供え物とし、香ばしい香りをお献げになりました。
あなたがたの間では、聖徒にふさわしく、不品行も、どんな汚れも、またむさぼりも、口にすることさえいけません。
また、みだらなことや、愚かな話や、下品な冗談を避けなさい。そのようなことは良くないことです。むしろ、感謝しなさい。
あなたがたがよく見て知っているとおり、不品行な者や、汚れた者や、むさぼる者―これが偶像礼拝者です。―こういう人はだれも、キリストと神との御国を相続することができません。
むなしいことばに、騙されてはいけません。こういう行ないのゆえに、神の怒りは不従順な子らに下るのです。ですから、彼らの仲間になってはいけません。
あなたがたは、以前は暗闇でしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい。―光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのです。―
そのためには、主に喜ばれることが何であるかを見分けなさい。
実を結ばない暗闇のわざに仲間入りしないで、むしろ、それを明るみに出しなさい。明るみに引き出されるものは、みな、光によって明らかにされます。明らかにされたものはみな、光だからです。」(エペソ5:1ー11,13,14)
イエス・キリストを信じて「イエスは神の御子、救い主キリストです。」と告白し、信仰を誓った者は、神に愛されている者です。なぜならば、神が遣わされた救い主(主キリスト)を信じ受け入れたからです。
キリストは訴える者ではありません。神に愛された神のひとり子は神の愛の中にありました。神に愛された御子イエスは、罪人を憐れみ、悔いる者の罪を赦す愛の人でした。訴える者は、悪魔です。悪魔は、神に反逆し、神の御子イエスを憎む者です。神に愛されている者は、神に愛されている子どもらしく、キリストの御霊の(真理の)光(神の愛)を受けて歩むようにと、パウロは言っています。
「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。」(ガラテヤ5:22,23)
御霊に導かれるならば。神の子どもに造り変えられるでしょう。
「肉(自分の思い)に従って生きるなら、あなたがた(信者)は死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行ない(肉の欲望)を殺すなら、あなたがたは生きるのです。
神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。」(ローマ8:13,14)
イエス・キリストを信じる者がすべて、神の子どもに造り変えられるのではないようです。神の子どもらしく、神にならう(キリストが神に聞き従われたように、神が遣わされた助け主、キリストの御霊に聞き従う)者でなければなりません。
イエスが(父の)愛のうちに歩まれたように、(御霊が教えるキリストの)愛のうちに歩むことが求められます。その愛は、イエスご自身の愛ではありません。イエスを愛される父に従う愛です。
神が私たちに求められる愛は、私たち人間の愛ではありません。神が授けてくださったキリストの御霊に従う愛です。いのちをかけてイエス・キリストに愛されている私たち信者が、私たちを愛されるキリストに従う愛です。
私たちが受けた御霊は、私たちを奴隷にする霊ではありません。私たちを神の子どもとしてくださる御霊を受けたのです。
「私たちは御霊によって、『アバ、父。』と呼びます。私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊(キリストの御霊によって新しく造り変えられた私たちの霊)とともに、あかししてくださいます。」(ローマ8:15,16)
不品行や汚れやむさぼりは、神の聖さを否定するものです。この世のものです。地に属するものです。これは、聖なる神から思いをそらす偶像であり、これらを慕う者は、偶像礼拝者であると、パウロは言います。
御霊は、私たちを神の子どもに造り変えて新しい人を創造するために遣わされているのです。
人を欺く情欲(蛇が悪巧みによってエバを欺いたように、神の子どもとされる信者の思いを汚し、キリストに対する真実と貞潔を失わせるもの)によって滅びて行く古い人(肉の人)を脱ぎ捨てるべきこと、また信者である私たちが心の霊において新しくされ、真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきことを教えて導くのがキリストの御霊です。
「悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。
神の聖霊を悲しませてはなりません。あなたがたは、贖いの日(信仰の勝利をもってこの世を去る日)のために、聖霊によって証印(キリストとの共同相続人として認められた者の印)を押されているのです。
無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。
お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」(エペソ4:29-32)
私たちを神の子どもに造り変えてくださるのは、キリストの御霊のわざです。キリストの御霊に聞き従うのは、私たちのわざです。主にある「光の子」とは、キリストの血により贖われた者に与えられる性質であり、御霊により新しく創造される神の子どもです。
私たちは、宇宙から来た光ではありません。地に生まれ、罪の悔い改めとともにキリストの血によって贖われ、キリストの御霊によって導かれ、新しく創造される光の子です。
宇宙から来た光は闇に輝く光であっても、全き光(天の御国)に入ることの許された全き光ではないのです。全き光の子は、天の神が遣わされたキリストの血とキリストの御霊によって創造されるものなのです。
宇宙は闇であることを思い出しましょう。宇宙から出た光は、闇のものです。光であっても、闇に属するものなのです。全き光である天の御国の外の光です。天に帰る光ではありません。
天からの光は、唯一まことの神の栄光を現わします。神から出た光の天使は、自分の栄光を求めません。また、神のひとり子(イエス・キリスト)以外の名を呼ぶことはありません。
全き光(天)から来た光は、闇に打ち勝つ全き光です。神格を持たれる方、神の御子の位格と聖霊の位格を持たれた、神のひとり子イエス・キリストと、聖霊(キリストの御霊)が、とこしえの光なのです。世に現われたまことの光です。騙されないようにしましょう。
天と地と万物を造られた絶対的主権者であられる神(創造主であり救世主を遣わされる主であり裁き主であられる唯一まことの神)は、神の子羊の血(イエス・キリスト)によって贖われキリストの御霊によって新しい創造を施された魂を、神の子どもとする事を定めておられるからです。
神の御子イエス・キリストの血によらない光の子、御霊の新しい創造によらない光の子は、偽りの光であって全き光の子ではありません。
キリストの血のない者、御霊の証印のない者が、永遠のいのちを受けることはありません。永遠のいのちを得られない者が神の子どもになることはありません。御霊が神の子どもの証印を押しておられない者が、天の御国に入ることはありません。
「まだしばらくの間、光(キリストの御霊)はあなたがたの間にあります。闇(御霊を消すもの)があなたがたを襲うことのないように、あなたがたは、光がある間に歩きなさい。闇の中を歩く者は、自分がどこに行くのかわかりません。
あなたがたに光がある間に、光の子どもとなるために、光(真理の御霊)を信じなさい。」(ヨハネ12:35,36)