ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

土から取られた宝

 

 最初の人アダムは、土の塵から造られました。神は、アダムを眠らせて、アダムのあばら骨から女(エバ)を造られました。

 女はアダム(最初の人)の骨から造られ、人は女から生まれます。土から造られた人は、女によって増え広がりました。

 

 女によって増え広がった人類の中から、神はアブラハムを選び、アブラハムの子孫イスラエルを選び、イスラエルにキリスト・イエス(女から生まれた肉体を持つ神のひとり子)をお与えになりました。

 

 キリスト・イエスは、アダムとエバを罪に陥れて神から引き離した蛇のかしら(悪魔)を踏み砕き、悪魔に捕らえられた魂を買い戻すために来られました。

 

 罪の報酬である死に閉じ込められた魂を取り戻す代価は、神の子羊イエス・キリストの血です。血(肉体の命)をもって、いのちを取り戻すのです。

 

 土から取られた人のからだは、呼吸が止まり、心臓が止まり、血流が止まり、死んで朽ちて行きます。血の中にいのちがあると、聖書に書かれています。血が血管を巡っている間は、細胞は酸素や栄養を受け取って生きています。血流が止まれば、酸素や栄養を受け取ることのできない細胞は死滅します。細胞が死滅すると、からだのその部分は機能を失い壊死します。血がないということは、死を意味するのです。いのちは血にあるのです。

 

 死んだからだの魂は、死の国に行きます。死の国はいのちのない国です。いのちの源は神です。死の国は、いのちの根源である神がおられず、神と断絶しています。神と断絶しているので、神からのものを受けることができません。

 いのちも愛も光も平和も喜びも安息も神のものです。死の国は、それらの神のものが存在しない国です。死と憎しみと怒りと嘆きと悲しみと苦しみと休息のない暗闇です。

 

 聖なる神は死の国に入ることができません。死の国は罪が入るところです。罪とは、いのちの神から外れたものです。的外れと言います。いのちの主を知らず、いのちの神のことばから外れて、自分勝手に生きる被造物は的外れであり、罪あるものなのです。

 

 罪の報酬は死です。罪には死が定まっています。罪の後ろには死の国がつき従います。罪ある者は死が定まり、死後に裁きを受けることが定まっているのです。定めたのは、永遠の昔から生きておられる全能者、天地万物を造られ、アダムとエバを造られた主、すべての被造物の主であられる天の神です。

 この方の定められたことに、誰も逆らうことができません。天の神は、すべての被造物を統べ治められる唯一の支配者であり、絶対的主権者なのです。

 

 神は、御自身のひとり子とともに人を造られました。人は神のひとり子の喜びであり、愛の対象でした。神は、人の存在によって、ひとり子に愛することを学ばされたのでしょう。神の愛を一身に受けて愛されることを知るひとり子は、愛する対象(人)を得て、愛することを学ばれたのでしょう。人を愛することを学ぶことは、御父の愛をより一層知ることでもあります。

 

 罪に落ち、死の牢に捕らえられた魂を、死の国から救い出すためには、死の国に入らなければなりません。聖なる神のひとり子には罪がありません。罪のない者は死の国に入ることができません。神の御子の御姿では死の国に入ることができません。

 神は捕らえられている魂を救い出すために、神のひとり子に、肉体を造り、ユダヤ人の女(処女マリア)から生まれる人の子とされました。

 

 肉体を持つ神の御子イエス・キリストは罪は犯されませんでしたが、肉体ゆえの苦しみと悪魔の攻撃を受け、人々から憎まれ、殺意を抱く人々に苦しめられ、悲しみの人で病を知る人でした。

 肉体を持つ神の御子イエス・キリストは、人々の罪を負われました。人々の罪の身代わりとなられたのです。人々の罪を身代わって、罪を負う神の子羊とするために、神は、ひとり子に肉体を造られたのです。神のひとり子キリスト・イエスが、地上(イスラエル)に来られたのは、罪の贖いの神の子羊の血を流すためでした。

 

 土から造られた人を、悪魔から取り戻すためでした。人の魂の中に、人間のわざがあります。知性も感情も意思も魂の中にあり、その人の霊がそれを記憶しています。

 神から外れ、悪魔のことばに繋がる人々の霊は死に、神の記憶が消されてこの世の記憶に書き換えられました。

 

 神のひとり子イエス・キリストは、いのちである血を流して、死を滅ぼされました。肉体に死んでも、御霊によって生きる新しい人を造り上げるためです。

 

 神の子羊イエスは、贖いの血を携えて天に上られました。罪のない子羊イエスの贖いの血は、神のひとり子の前に死の国の門を開いたばかりではなく、地の人々の前に天の御国の門(いのちの道)をも開いたのです。

 

 神の贖いの子羊イエス・キリストの血は、死の国の魂を買い戻すいのちの代価です。神の子羊イエスの血によって、神は罪人をきよめ罪を赦されます。また、イエス・キリストの贖いの血による神の赦しを信じる者は、神に義とされます。

 神の子羊イエス・キリストの贖いの血は、罪で滅んだ魂を死から買い戻されるだけではなく、もうひとりの助け主である「真理の御霊」を与えて、永遠のいのちを得させてくださるのです。

 

 キリストは御霊によって、死の国から救い出された魂を天の御国に導かれます。「生かす御霊」となられたキリストは、死者を復活させて、永遠のいのちを得させ、天の御国に入る者に造り変えてくださるのです。

 

 神のひとり子イエス・キリストは、悪魔に勝利を取られました。悪魔に奪われた魂を、ご自身の血(いのち)によって買い戻して、死(死の国)からいのち(天の御国)に引き上げられます。

 キリストは、死と闇の世に、いのちと光をお与えになりました。永遠のいのちととこしえの神の御国です。

 

 土から取られて造られた人がいのち(神のことば)から外れて、死(悪魔の言葉)につながりました。そして、いのちから外れた人は死ぬ者となったのです。

 神は、土から造られた人のうちに生かす御霊を住まわせて、神の子どもに造り変えてくださいます。

 

 キリストは、死の宣告された罪人の罪をご自分の血で清算し、生かす御霊を与えて罪を犯さない者(神ののことばのうちに留まる者)に造り変えて、新しく神の子どもを創造されます。

 

 土から造られた人は、死んで土に還ります。しかし、キリストが、土に還る人に、ご自分の血(神の子羊イエスの贖いの血)を注がれると、生きるのです。

 神は、土に還る人に、生かす御霊によって復活のからだを与え、神の御子キリストの血によって永遠のいのちを得させて、天の御国で永遠に生きる神の子どもを新しく創造されます。

 

 私たちの罪の身代わりに十字架で死んでくださった神の御子イエス・キリストの贖いの血を受け、イエス・キリストを信じる者は、神に義とされます。罪赦された者、罪が認められない者とされるのです。

 イエス・キリストを信じる者が、約束の聖霊(もうひとりの助け主)を受けるならば、聖霊は「生かす御霊」となってその人のうちに住まわれます。

 イエス・キリストを信じて、生かす御霊を宿し「聖霊の宮」とされる者は、御霊の思いを受けて、肉を殺し、御霊に導かれる者に造り変えられて行くのです。

 

 肉によって生きていた土の器が、キリストの贖いの血と復活のいのち(生かす御霊)によって聖なるものに造り変えられ聖霊の器とされて、神の宝の民となるのです。