ノアの時代、神は、世を大水で滅ぼされました。ノアとその家族以外の人々はすべて、大水に流されて死に絶えました。
大洪水で、ある町だけではなく、ある地域だけではなく、ある国だけではなく、世界中の国々が滅び、世界中の民族が死に絶えたのです。まさに、世は水で滅びました。
その時生き残ったのは、ノアとその家族です。彼らは、大雨が降る以前の姿のままで生き残り、水がすべてを飲み込んでその後乾いた大地に降り立ちました。神は、大地に木々や植物を生やし、残された人や生き物が生きる環境を整えられました。そこから人類の歴史が再び始まったのです。
ノアには三人の息子とそれぞれの息子に妻がいました。その三組の夫婦から多くの子どもが生まれ、孫ができ、ノアには、多くの子孫が生まれました。
ノアの息子ハムの子孫に二ムロデが生まれました。ノアの子孫たちは、ノアやノアの子セム、ハム、ヤペテら洪水をくぐり抜けて生き残った人々から、その話を聞かされていたことでしょう。
子孫の中には、大洪水を引き起こされた神の怒りを恐れる者もいたでしょう。
ノア自身は、大洪水から救い出してくださった神のために祭壇を築き、祭壇の上で全焼の生贄(神の怒りをなだめる生贄)を献げ、神を恐れ神に感謝を献げる者でした。しかし、子孫のすべてが先祖の信仰を受け継ぐ者ではありません。
洪水以前の世界の繁栄と豊かさを偲ぶ者もいたでしょう。目に見える豊かさと人々が楽しく過ごしていた華やかな世界を懐かしく思い出すのも、人間の性(さが)です。
ノアの信仰を正しく受け継ぐ者もいれば、洪水で人間を滅ぼした神を無情で恐ろしい方だと思う者も現われます。
二ムロデは、人間の幸せを求める者だったのでしょう。ノアたちが入っていた箱舟は、アララテの山に留まりました。地球全体が水で覆われていて、雨が止み水が引き始めると、最初に現われるのは山々の頭です。箱舟はそれに乗り上げてとまったのでした。
次第に山々の姿が現われ、平地も現われました。
「そのころ、人々は東のほうから移動して来て、シヌアルの地に平地を見つけ、そこに定住した。
彼らは互いに言った。『さあ、れんがを作ってよく焼こう。』彼らは石の代わりにれんがを用い、粘土の代わりに瀝青(アスファルト)を用いた。」(創世記11:2,3)
彼らはみな、ノアの子孫です。一つの話し言葉でした。
石の建造物が水にもろいことを考え、れんがと瀝青で水に強い町を作ろうとしていたのです。大水で世を滅ぼした神のことを念頭に置いて、水を司られる神に対抗しているようです。しかし、神は水の神ではなく、火の神でもあるのです。
神に滅ぼされないために、罪を犯さないことを気をつけるのではなく、罪あるままで神に対抗する心を持つ、肉の人でした。
ノアとノアの家族は、洪水前の人々が満ち溢れ物質の豊かであった世界に生き、そして、洪水後の人間が作った全ての物が取り除かれた原始的な世界からスタートしています。
人間は目に見える豊かさに心が引かれるものです。ほかの生き物とは違います。生理的に生きること以上に、楽しく生きること、豊かに暮らす文化的好奇心と知恵のある建設的な生きものなのです。
すなわち、洪水以前の人間と、洪水後の人間とは、何ら変わりがないということです。ノアの信仰によって、彼らは生き延びたにすぎません。
神はノアと、ノアといっしょにいる息子たちに告げて仰せられました。
「わたし(神)はあなたがたと契約を立てる。すべて肉なるものは、もはや大洪水の水では断ち切られない。もはや大洪水が地を滅ぼすようなことはない。」(創世記9:11)
また、これは、神と、すべての生き物、地上のすべての肉なるものとの間の永遠の契約だ、と言われました。
それゆえ、世(地球)は、もう二度と大水で覆われることはありません。
しかし、次は、火で滅ぼすと、神は言っておられます。
ノアの存命中に、ノアの息子セムの子孫にアブラム(のちのアブラハム)が生まれています。
ノアは、水から救い出してくださった神を、「セムの神、主。」(創世記9:26)と呼んでいます。セムの神、主が、セムの子孫に、アブラムを見出され、彼を選び、「アブラハム」と呼ばれました。
「ノアは大洪水の後、三百五十年生きた。
ノアの一生は九百五十年であった。こうして彼は死んだ。」(創世記9:28,29)
ノアの死んだとき、アブラムは五十代で、父テラといっしょにいました。おそらく、アブラムはノアから直接神の話を聞いていたことでしょう。ノアの子孫たちの中で、テラの子アブラムは、ノアの信仰を受け継いだ人でした。
神は、次は火で滅ぼすことを定めておられます。
かつて、大水で滅ぼすときに、神は、ノアに箱舟を造るように命じられました。箱舟によって、ノアを水の滅びから救い出すためです。
次に火で滅ぼすことを定めておられる神は、火から救い出すために、どんな救いを用意してくださるのでしょうか。
大水には箱舟を備えられました。そして、肉のままの人(ノアと家族)を救い出されました。
箱舟は、火の裁きには役に立ちません。箱舟もろとも勢いよく燃えてしまうからです。
神は、火の滅びから救い出すために、御自身のひとり子を、アブラハムの子孫に遣わされました。神の子羊イエスです。
神は、子羊イエスをアブラハムの子孫イスラエルに、十字架で屠らせなさいました。罪のための生贄を献げたのです。
ノアは洪水の滅びから救い出された後に、神に全焼の生贄を献げました。神の怒りをなだめる生贄を献げたのです。人の罪は甚だしく、神が忍耐を破って大水で滅ぼすほどに、悪が満ちていたからです。
大洪水から救い出された人々は、再び、罪人たちの悪に満ちました。水では消されない大罪です。もう、火で焼くしかありません。
神の選びの民、アブラハムの子孫イスラエルが屠った神の子羊イエスは、罪の赦しのための生贄でした。神の怒りをなだめる全焼の生贄では、もはや、神の怒りを抑えることができません。
神の子羊イエスの流された血は、罪の贖いの血です。人の罪を子羊イエスが贖われました。
肉のからだは、水をくぐっただけではきよめられません。罪は生きたままです。水では、罪を消すことができないのです。
肉体をもって来られた神の御子イエス・キリストは、自らのからだをもって、罪の素因である肉を死に至らしめ、死から甦って、罪のないからだ(御霊のからだ)で復活されました。
神は、神の子羊イエスの生きざまを、火の滅びから救い出されるための御救いの手立てとされました。
神の子羊イエスは、自分の罪に気づき悔い改めて水のバプテスマを受け、神に心を向ける者に、聖霊のバプテスマを授けて、御霊によって新しい心を与え、また、イエス・キリストのことばにならい歩む新しい人に造り変え、肉に死んでも死から甦る新しい御霊のからだを与えられるのです。
火から救い出すものは、その人自身の信仰です。神の御子イエスを信じ、キリストの御霊を受けて、御霊の器となることです。
ノアのように、自分で箱舟を造るのではありません。
信仰によって、キリストの贖いの血を感謝して受けて罪が赦され、キリストの御霊を宿して内側から造り変えられ、聖霊の器(御霊のからだ)となることです。
人間のわざではありません。神御自身がお与えになる御霊の御力によって、死んでも甦る新しいからだを受けるのです。それが、永遠のいのちです。
火の裁きは、御霊のからだに対して何ら力がありません。なぜなら、肉は主キリストにあってすでに死んでいるからです。火が燃やすのは罪です。火が燃やすのは肉です。神の霊(キリストの御霊)を燃やすことはできないのです。
神は、火の滅びから救い出すために、もうひとりの助け主(真理の御霊)を遣わしてくださいました。
ノアが神に聞き従い、箱舟を造り箱舟に入って、大洪水から救い出されたように、神の御子イエス・キリストを信じる者は、イエス・キリストのことばに聞き従って、キリストの御霊を受けて、死から甦る新しいからだ(御霊のからだ)を得て、火の滅びから救われるのです。