ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

優しくって綺麗な心の春馬くん

 祈ってて実感したのは、本当に優しい人。こんなに清らかな人もいるもんだなぁ、ってこと。

 皆さんが憶測するような敗北感のような悲壮感は感じませんでしたね。肉体を脱いで軽やかさを楽しんでいるようでした。
                                        

 熱心なクリスチャンの祈りが壁となって、闇にさらわれないように守りました。春馬くんの記憶に残っていたラスコリニコフの罪の赦しは、彼自身にも着せられました。

 綱にくくられた煤のような真っ黒だった体は、空中で次第に白くなり、白い天使の方に引き上げられていくところまで見ました。


 泣きながら、「お母さんの事もおばあちゃんの事も仕事の事も会社の事も、もう忘れて春馬くん自身の好きなようにしてちょうだい。」と叫んだ時に、「ありがとう。おばさん」と嬉しそうに言ってくれました。

 春馬くんがずっと欲しかったのは、血を分けた兄弟、家族の事などを同じ思いで向き合い、共有できる存在だったんじゃないのかなと感じました。


 春馬くんは肉体を脱いでから、死後の世界は確かに存在していて、教会で聞いた話は本当だったと分かったと思います。

 神の愛に包まれた春馬くんは心を入れ替えて「罪と罰」のラスコリニコフのように神を仰ぐ者となった、と私は思っています。

 とにかく春馬くんは明るかった。幸せそうでした。春馬くんは最後まで、驚くほどしっかりと生きましたから。やり切ったということでしょうか?


 まったく未練は感じませんでした。多くの人に愛され、永遠のいのちを持つ多くのキリスト者の祈りに守られ、安らいでいました。

 有名人ゆえの特権を味わい、自分のために親身に祈ってくれる新しい家族を得た喜び。芸能人で良かった。という感謝でいっぱいな様子でした。

 自害した人にこんな事起こるのだろうか、との疑問もありましたが、発見された時、心臓が動いていた事に、希望を持ちました。

 春馬くんは目に見えない霊的な存在と戦っていた気がします。他の人に言っても決して理解されない、闇との戦いです。どこまでも付きまとう、消す事が出来ない存在、見えない霊的存在との戦いです。

 心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです。と聖書にあります。春馬くんはそれがイエスと気づかないで見ていたのでしょうね。

 なんか、春馬くんは一粒の麦だったのでは、とよぎりました。クリスチャンでは無いのに、そんな事あるんでしょうか?そうしたら、クリスチャンと名乗る人のブログで一粒の麦だったと公言してました。私もそう思います。

 一粒の麦とは、生きたままだと一つの麦。土に蒔かれた麦は、その麦自らはいのちを失うけれど、やがて芽を出し穂となって多くの実を結び、一粒だった麦の実は何十倍もの数の麦の実となるっていうこと。殉教者の死を表したりする言葉なんです。殉教者の命は、他の人を生かす事の出来る貴い命です。神に喜ばれている人でないと、神の栄光を表すことはできません。春馬くんの命は神に喜ばれ、愛されていた命だったんだと思います。

 

春馬くんは大勢の人を神に立ち返らせる人なんでしょうね。