ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

天国と地獄

 

 肉なる人は、霊のことが分かりません。死後のことを想像することも出来ません。しかし、昔から善人は極楽へ行き、悪人はよみに下ると思われて来ました。キリスト教の影響を受けて、善人は天国に上り、悪人は地獄に落ちるとも考えられています。

 

 なんとなく、天国は明るくて花々が咲き乱れた美しい環境と、穏やかな安らぎに満ちた世界だと思われています。聖書の土台のない日本では、天国を神の子たちの世界という発想がありません。神という存在がぼんやりしたまま、楽しく幸せな場所だと思っています。

 

 地獄もよみも燃え盛る火を連想します。とても苦しいところだと思っています。でも、悪い事をしなければ、そこに行くことはないと思っています。誰も自分が死んだら地獄に落ちるなどとは、思っていません。

 

 どの宗教も、地獄に落ちることのないように、正しい生き方をするように説きます。それぞれの宗教の教えに従って、死んだらよいところに行くように心がけています。

 

 それにしても、不思議なことです。聖書を知らない人々も、天国と地獄という場所を見たこともないのに、なんとなく想像しています。それは、人がひとりの人アダムから始まっているからであり、同じ源を想っているのです。

 

 竜という獣が目に見えるかたちで実在するとは、おそらく思っていないでしょう。架空の生き物だと思っている人もいるかもしれません。しかし、国が違っても、それぞれが同じかたちのものを「竜」と認識しています。国によって呼び名が違えども、同じ生き物をさしています。

 

 それは、竜が架空の生き物ではなく、霊界で実在するものだからです。竜神と言って神に祀り上げる人々もいますが、竜はこの世の神です。天上の神ではありません。天上から追放された堕天使です。

 

 「神」と呼ばれる方は、ただおひとり。天地万物を創造された全能者だけです。神は地にも満ち満ちておられますが、地は神の足台です。神は天の御座におられるのです。竜をも支配されるお方です。

 

 天国には竜の居場所はありません。天国は、神の御住まいであり、永遠に朽ちることもなく滅びることもない、永遠の昔から堅く立つ領域です。神を礼拝する者たちの集う場所です。

 

 永遠の昔から生きておられ、永遠に生きられる神を知らない人々は、天国が、天地万物を造られた創造主のおられる場所であり、被造物によって永遠に賛美され礼拝されている場所であることを知りません。神を礼拝する心の無い人が入れる場所ではありません。

 

 キリスト教会が、神の御国のひな型であるとは、そういうことです。教会は、創造主であるまことの神にへりくだり、神を賛美し礼拝する場所です。天国では、神と人とは、心が一つです。賛美するごとに、心は高鳴り、喜びに満たされます。

 

 地上では、贖われた神の子たちの祈りが生ける神の子の呼吸のようだ、と言われますが、天上では、賛美が呼吸のように止まることなく、永遠に続けられます。それは苦痛ではなく、美味しい物を食べるときの楽しみのような、無上の喜びです。地上では想像し難いことですよね。

 

 肉体の中にいる時は、肉体を楽しませることが喜びでしたが、肉体を脱いで永遠の霊のからだとなった神の子たちの喜びは、神を礼拝することなのです。それは、地上のどんな喜びにも勝るもので、肉体を突き抜けた霊的な歓喜です。

 

 悪い事をしなければ、死んだら天国へ行くと思っている人が多いと思いますが、本当の事を言うと、地上に生れて来た人はすべて、死に向かって生きているのです。死ぬことはすべての人に定まっていることです。例外はありません。一人ひとりの歩みの後には、死の国がつき従っているのです。

 

 イエス・キリストは、自ら死の国に入り、死に勝利して復活されました。キリストの血、神の子羊の血が罪の呪いを滅ぼしたのです。

 

 すべての人は、神から離れ、死の国に入ることが定まっていました。しかし、神のひとり子イエスが、死の国に入り、贖いの子羊の血によって死の力に勝利して死から甦り、永遠に生きるいのちの道を設けられたのです。キリストは、復活のいのちを創造されました。御霊によって新しい創造をされたのです。

 

 すべての人が入る死の国。しかし、キリストは、そこにいのちの道を設けられました。死んで滅びゆく魂を惜しみ、彼らを新しく神に仕える神の子らに創造されるのです。

 

 罪を悟り、罪を悔い改め、神に立ち返り、イエスが主であると告白することは、人から出たものではありません。御霊によらなければ、誰も、「イエスが主です」と告白できないのです。

 

 天国も地獄も実在します。そして、この霊的な世界こそが永遠に続く世界なのです。この地上の命はわずかです。しかし、肉体の死の後の霊的存在としてのいのちは、永遠です。

 

 天国の鍵も、地獄の鍵も、イエス・キリストの手の中にあります。誰がどちらに行くかは、創造主である全能の主権者、父なる神と御子イエス・キリストが決められます。

 

 天国と地獄に被造物が分けられます。その国は永遠に続く国です。天国に入った人は、そこから出ることはありません。地獄に落ちた人間は、そこから永遠に出ることはないのです。

 

 御子イエス・キリストの十字架の犠牲は、人々を死の国から救い出すためでした。心へりくだった人、悲しむ人、柔和な人、義に飢え渇いている人、憐れみ深い人、心のきよい人、平和をつくる人、義のために迫害されている人、イエス・キリストの味方であるゆえにののしられたり、ありもしないことで悪口雑言を言われる人は、この救いの道を見出すために手引きがされるでしょう。

 

 地獄は、神が悪魔と悪霊を滅ぼすために設けられたもの。人は、悪魔に従う必要はないのです。神は、人のために、救いの道を用意されたのです。

 

 天国も地獄も、創造主の主権のもとに置かれています。