ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

クリスチャンが携挙された世は闇

 

 御霊に従う永遠のいのちを生きるクリスチャン(多くはありません)が、世から生きたまま引き上げられた後の世界は悲惨です。世から聖霊が取り去られるのです。聖霊のいない世界で、信仰を持ち続けられるのはただ神の恵みです。神にいのち掛けですがる者は、神のことばによって守られます。

 

 聖霊が取り除かれた世界には、闇が満ちます。霊が覆われます。平安も喜びも取り去られます。恐怖が支配します。教会も機能しません。愛はなくなります。裏切りと暴虐の世界。信じることが困難です。神のことばを求めても見つけることができません。聖書のことばが足の灯です。

 

 携挙に取り残されたことを知ったクリスチャン達は半狂乱です。絶望の末、自害しようとする者も現れますが、死ぬことが出来ません。

 

 光を知る者にとって、闇の世は絶望しかありません。神を信じない人々や闇を愛する者は、快適な世と感じる者も多くいます。

 

 神に熱心でなかった事を悔い改めて、このような状況の中でも神の救いを求め続ける者に、地上の地獄の中で悪魔が立てた背教者によって殺されるということが起こります。地上では悲惨な死ですが、魂は永遠の救いを受けるのです。悪魔の民を恐れ、肉体の死を怖れ、救いを失う者の方が多いでしょう。

 

 このような一変した世界で、神のことばを宣教し、ユダヤ人の救いや悔い改めるクリスチャンや異邦人の救いのために働くのが、神が立てたふたりの証人と召された十四万四千人です。彼らは殉教者です。闇の世界で、悪魔の勢力と戦いながら、神のことばを語り続けます。

 

 このふたりの証人と十四万四千人は、神に選ばれた者です。彼らの使命です。彼らは、聖霊が取り去られた世にあって、いのちの光です。彼らは、神の権威を持っており、聖霊がおられた世でも経験したことがない、奇跡やしるしや業を行います。死人は甦り、病は癒され、神の真っすぐな預言を語ります。彼らの言葉には、神の権威があるのです。

 

 多くの人々が彼らの言葉を聞き、彼らのしるしと奇跡を見て、神の民に加えられます。その時に救われる者すべては、悲惨な死を遂げます。しかし、永遠のいのちを受けるのです。彼らのうちには神への信仰があります。迷いはありません。神にすがるのです。世界中に大リバイバルが起こります。

 

 リバイバルの火がついた世では、悪魔も悪霊もその勢いを止めることができません。悪魔も悪霊も次々と聖徒らを殺害します。

 

 神が定められた三年半が終わると、悪魔がふたりの証人を殺します。ふたりの働きの期間が終わったからです。そのことは、定められています。

 

 ふたりの証人の働きの期間が満ち、世から去ると、反キリストは己を神とする暴君と化し、統一した世界を支配する恐ろしい指導者となります。情け容赦はありません。残忍で恐ろしい指導者です。

 

 その時には、闇の子と光の子は肉眼で見てもはっきりと区別ができます。神を信じている者と信じていない者とは、一目で区別できるのです。

 

 ふたりの証人の預言と十四万四千人の働きで神に立ち返った、残りの民、信仰に立つユダヤ人とクリスチャン達は、悪魔の支配から逃げる正しい心の者に神を証し、彼らとともに悪魔の用意する試みを受けます。反キリストの像を拝んだり、獣の刻印や666の数字の刻印を受けることを拒む者達は、剣で首を切られたり、餓死します。

 

 死を怖れる人々は、像を拝んだり、刻印を押されて信仰を捨てます。そういう人は多いのです。目の前の死の恐れではなく、永遠の死の恐れを心に抱く者は、主の御名を呼び、肉体の死を通して魂は救われるのです。

 

 考える時間はありません。一瞬の判断です。闇の世の絶望、悪魔の支配から逃れたいと切望する者は、神にすがり目の前の恐怖よりも、反キリストの支配からの救いを求めて信仰を持って殺されます。しかし、後の世のことが考えになく、目前に迫る肉体の死の恐怖にとらわれる者は、すぐに神を否定し、反キリストの支配に服するのです。

 

 敗者復活戦はありません。この苦しみの中で、信仰を手放さなかった者が信仰の勝利者として、永遠のいのちを受けるのです。信仰を捨てた敗者は、いのちの書から名前が消されます。脱落者は多くいます。

 

 信仰を捨てた脱落者は、永遠のいのちを失うのです。とても、恐ろしい世です。信仰者を次から次へと脱落させ、死と滅びに突き落として行くのです。死と滅びから救うキリストの血を讃え、救いを感謝し、神を賛美していた者達が、敗者となって永遠のいのちを失い、永遠の嘆きと叫びの苦しみの中に入るのです。

 

 クリスチャンはキリストの救いをしっかりと握り、信仰に立ち続けなければなりません。携挙に残されることは恐ろしいことです。今はもう、携挙の後の世で、神の働きをする人が現れる時となりました。クリスチャンは今の時を知り、自分のうちを調べ、御霊に聞き従う信仰を得て行かなければなりません。

 

 聖霊がおられるうちに、神の恵みによって御霊に従わなければなりません。イエスは、永遠のいのちを与えるために十字架にかかり、御霊を与えてくださったのです。

 

 聖霊が世におられる今、祈り備えましょう。この世の生き方はやめて、キリストに意識を向け、御霊のうちに魂を委ねましょう。