ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

キリストを信じた救いの証① ー夜道で神を信じたー


  強い憎しみを抱える自分に失望して、この闇の心からの解放を求めていました。自分自身が信じられなくなると、土台がぐらぐらし始めました。

  霧の中を彷徨うような心許なさと、出口を求める諦められない気持ちを抱えていました。仏教には私が求めるものが無いと思い、混迷していました。

  ある小さな本屋さんで、目に留まったのが、三浦綾子さんの『この土の器をも』でした。並んでいる本の中で、この題名だけが光を放ってクローズアップされたのです。

  変わった題名だな、と思って手に取りました。何故かこの時の事ははっきりと覚えています。

  その後、三浦綾子の本をあれこれ読み続けました。クリスチャンだという綾子さんですが、私はキリスト教とは結び付けてはいませんでした。

  この人の思想の中に私が求めているものがある、そんな気がしました。それを知りたいと思いました。

  何冊目かの著書に、あなたもキリスト教会に行ってみませんか、とありました。教会に行ったらこういうお話が聞けるのか、と思いました。


  電話帳を調べ、火曜日夜の聖書研究の時間に参加する事にしました。

  その教会は、診療所だった建物にありました。最初玄関の引き戸を開けた時の不思議な感覚、「ただいまぁ」という懐かしい思いがありました。

  ドイツ人の宣教師ご夫妻がいました。色々質問しました。そこに集まる信者は皆落ち着いた人でした。皆は聖く感じられました。

  私一人が、この世どっぷりでがちゃがちゃ落ち着きのない感じです。私自身が異物に思われました。でも、皆親切にしてくれました。

  まだ信仰のない私は、他の事に興味があって日曜日の礼拝は何回も行ってはいませんでした。それなのに、聖くなれるなら洗礼を受けてみたい、と思いました。


  その頃、イエスが神の子だとどうしても信じる事が出来ませんでした。教会の人は皆信じて喜びに満ちているのですが、私はその中で困惑していました。

  イエス様の事はよく分からないけど、皆が良い人なので、教会の人達の中に居たい、私もその中に加わりたい、と思いました。

  洗礼を受けたい事を宣教師に伝えると、まだ先だというような困った顔をされました。「何か祈って欲しい事だありますか?」と聞かれました。 

  「イエス様を信じる信仰と愛する心が与えられるように祈ってください」と言うと、宣教師夫人は、喜んで祈って下さいました。

  洗礼が受けられないと分かると、宣教師を質問攻めにしました。何故神がいるのに戦争があるのか、とかよくある神を信じない人間が持つ疑問を投げかけました。

  宣教師は神の立場から答えます。神を知らない私には届きません。人間の私が納得出来るような答えを、神ではなくて人間の言葉で説明して欲しいと思っていました。

  宣教師が私にうまく説明出来ないのは、日本人では無いからだ、と思いました。日本人の私には、外国の神は分からない、と思いました。

  私が求めているものがそこにあると思って教会に行ったけれど、私にはわからない、全く理解出来ないと思い、キリスト教は諦めました。

  もう教会には行かないと決めました。職場の同年代の人達との交流が楽しくなっていましたから、もう真理とかにも興味が薄れていました。

  夜夢を見ました。真っ暗な道も分からない場所で、一人彷徨う私がいました。怖くて怖くて、うずくまり「イエス様、助けてぇ」と叫んだ時に目が覚めました。

  キリスト教は信じないと決めたのに、なんでこんな夢を見るの!と自分に腹立たしい思いです。

  何日か経って、また同じような夢を見ました。真っ暗な道も分からない場所で一人彷徨っている私がいました。遠くの方に小さな灯りが見えました。「そうだ。教会に行こう」と私が決心している夢でした。

  教会には行かないと決意したのに、どうしてこんな夢を見るのだろう。それからまた、神の事を考えるようになりました。

  ある晩、会社からの帰宅途中の事でした。月も星もない真っ暗な夜でした。街灯のない暗闇を歩いていました。誰もいません。

  黒い空に向かって「本当に神はいるんですか⁉いるんだったら、私に分かるように教えて下さい。」と天に届くように、大きな声で叫びました。

  すぐさま、真っ暗な夜空に一つの大きな光が一瞬現れて消えました。月の無い空に、月よりも大きく眩しい光を見たのでした。

  恐ろしくなりました。神を試みた事への恐れが私を恐れさせました。そこにひれ伏して、「信じます。信じます。神様がおられる事を信じます。」そして、信じていなかった事を謝りました。

  神がおられる事への疑いは無くなった私ですが、イエス様が神だという事はまだ分かりませんでした。

  宣教師に不躾な質問を投げかけて教会に行かなくなっていた私です。教会に行くには勇気がいりました。

  イエスが神かどうかのはっきりとした答えも見つかっていませんでした。夜出会った神とイエスは結びつくものかどうかも分かっていませんでした。