ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

霊に飢え渇く人の心を満たす聖霊

 

  ノルウェー人の宣教師のもとで働いていたときの事でした。

 

  時々宣教師のもとに来るクリスチャンの婦人がいました。証を聞いて驚きました。その婦人のお子さんが幼い頃の話です。御主人が死の病気を患い、死の直前の状態の時、彼女は祈りました。

 

  「主よ。子供はまだ小さいです。今主人が亡くなったら、子供はお父さんの事を覚える事ができません。せめて、子供がお父さんの顔を覚え、お父さんとの記憶が残る年齢までは、夫を取り去らないで下さい。十年、あと十年生かして下さい。十年あれば、子供はお父さんと過ごした思い出を持つ事が出来ます。あなたには出来ない事はありません。夫の命をあと十年下さい。」

 

  婦人は、泣きながら、毎日、熱心に心を注ぎ出して祈りました。すると、夫の症状は回復し、日常の生活が送れるようになって、以前の家庭生活が戻って来て、何事もなく、幸せに暮らしました。

 

  他の家庭と同じように、日々の生活を送り、子供も成長しました。当たり前のように過ぎて行きました。しかし、突然、何の前触れもなく、夫が急死したのです。突然の事で、婦人は啞然としました。夫の死を知っていたら、祈る事が出来たのに。

 

  (何故、神は何の前触れもなく、突然、私から夫を取り去ったのだろう。)色々思いが巡りました。(あの時は、神は夫の命を取り去らないで、守ってくださったのに。)

 

  婦人は、はっとしました。かつての祈りから、ちょうど十年の月日が経っていた事に気づきました。かつて婦人の祈りに答え、夫を死から呼び戻して下さった主は、婦人の祈り通りに、その十年後に夫の命を持っていかれたのでした。

 

  この事に気づいた婦人は、確かに神は私の祈りを聞いて下さったのだ、とわかり、神を畏れ、祈りに答えて夫に十年の命を与えられた神に感謝したというのでした。

 

  私は「ハレルヤ!」と言いました。婦人はこの証を理解する私に好意を持ち、他教会の一人のご婦人を紹介してくれました。

 

  会社の経営者の夫の妻であるそのご婦人は、上等な着物を着て、品の良いご婦人でした。広い敷地に、広い庭と立派なお屋敷がありました。庶民の私は、萎縮してしまいます。

 

  しかし、しばらくして、紹介してくれた婦人が、経営者のご主人が保証人になってあげたその人が逃げたので、保証人のご主人がすべての借金を背負い、屋敷もすべて差し押さえられることになって、ご婦人が大変な事になっている、と言うのです。

 

  その頃住んでいた私の古いアパートは、共同トイレで、電話も何もないわずかな荷物があるだけの畳の一間でした。

 

  そのご婦人が夫とその町を出て行く事を決め、その前に私と会いたいと言って下さったようで、貧相な私の住まいに来られる事になりました。

 

  座ればストッキングに穴があきそうな、ささぐれだった畳に座り、「ここには、神がおられる」と、何とも優しい顔をされました。

 

  私には、わかりません。私は毎日この生活に不満を言い、泣きながら何時間も祈り過ごしている部屋です。

 

  何を話したのか覚えていません。しかし、何か、このご婦人は聖霊のバプテスマを受けて異言で祈れるようになったら、これからの生活の支えになるのではないのか、と思いました。でも、私の中に、静かな葛藤がありました。

 

  ずっと以前の事です。聖霊のバプテスマとか、異言を信じない教団の宣教師の夫人と祈っていた時、夫人の口から、微かに聞こえる祈りの言葉がありました。夫人の母国語でもなく、英語でもなく、日本語でもない言葉です。異言でした。

 

  しかし、その教団の宣教師である以上、禁止されている異言を話すとわかったら、母国の宣教団体から送られて来る宣教費用が止められてしまいます。宣教師の生活費が無くなってしまうのです。婦人は自分が異言を話すことを知られるのを大変恐れていました。

 

  そういう教団の事情がわかって、異言が話せないと肩身が狭い私自身が生まれた教会とは違う教えの教会がある事を知りました。

 

  私のアパートに来られたご婦人は、異言の信仰を持たない教会の方のようです。しかし、ご婦人はこの後、この町を出て行かれます。今の教会を離れる事になるわけなのだから、教会の教理に反する外部の私が聖霊のバプテスマについて教え、祈ったとしても良いのではないか。聖書にも書いてある事だし、悪い事ではない。そう考えると、祈る事へのためらいは消えました。

 

  簡単にイエスの使徒達、弟子達がイエスの約束を信じてエルサレムで祈り待ち望んでいる時に、天から下った聖霊の話、イエスは聖霊のバプテスマを授けるお方である話、これからの苦難の足取りに御霊は共にいて助けて下さるお方である事をお話して、「聖霊のバプテスマを受けますか?」と尋ねました。

 

  ご婦人は、すぐに応じられました。この時、私は、ご婦人がそれを求めてここに来られた事に気づきました。ご婦人の中には、すでに御霊を迎える信仰が整っていました。

 

  ご婦人の肩に手を置き、「心を主に向けて、主に御霊を求めてください。ハレルヤ、ハレルヤと声に出して、繰り返し祈り続けて下さい」と言いました。

 

  しばらくすると、ハレルヤ、ハレルヤとの言葉がもつれるようになりました。「御霊を受けましたよ」と私が声をかけると、目をつむっているご婦人は、何度もうなずきながら、もつれた舌で祈り続けられました。

 

  やがて、ハレルヤの言葉は、ルルルやラララの舌が小刻みに動く、異言となりました。そして、聖霊のバプテスマを与え、御霊を与えて下さった主に感謝の祈りをして、終わりました。

 

  目を開けたご婦人は、パッと花が咲いたような明るい生命力のある、美しい天使のような笑顔をされました。御霊の現れが鮮やかでした。

 

  ご婦人は夢心地で、宙に浮くような軽い足取りで帰って行かれました。ご婦人を紹介してくれた婦人から、「大変喜んでおられたよ。今後の生活への不安が消えて、希望を抱いて夜のうちにこの町を出て行かれた。」と聞きました。

 

  ご婦人は、「何もかも無くしたけれど、ご主人と寄り添って行くこれからの生活に神の喜びが伴い、何か新しい希望があります。財産物質は失ったけれども、大切なものを得ました」と言っておられました。

 

  御霊がご主人との二人の生活を守り、導かれるという確信が私の内にも与えられました。

 

  ご婦人は、御霊に飢え渇いておられたのでしょう。私を紹介した婦人の中にある生き生きとした神の体験に、強い憧れを持っておられたのでしょう。

 

  ご婦人が財産を失ってでも得たかった、永遠の宝、主の御霊がご婦人に訪れました。ご婦人は、友人の婦人から聞いた生ける神の体験を、ご自分の人生の中で、ご自分の神の体験として、経験して行かれることでしょう。主の証を持つ人になっていかれることでしょう。ご婦人は、奪われる事の無い喜び、永遠の宝を手にされました。

 

  きっと、ご夫妻のこれからの人生は、今までよりももっと、充実した、お互いに労わり、感謝と誰にも奪われる事の無い主の喜びに溢れた、豊かなものとなることでしょう。私のうちには、御霊の喜びがありました。

 

  イエスは立って大声でいわれました。

 

  「誰でも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っている通りに、その人の心の奥底から、行ける水の川が流れ出るようになる。」

  

  これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことをいわれたのです。