ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

成長には幅もある


  神学生時代のお話です。


  寄宿生活の暮らしは早朝祈祷から始まります。当番制で朝食を作ります。朝食後は、各々分担された掃除場所を掃除します。

  授業のあとは、当番制で夕食の準備をします。講義だけでなく、雑多の事があります。二人部屋の共同生活。すべて、牧会者としての訓練となります。

  その生活の中で取り扱われます。自分ってこんな人間なんだ、と思い知らされます。証し会が持たれ、互いに主に気づかせて貰った事などを発表します。

  ある兄弟の証。自分の頑なさに、こんなはずではないと抵抗し格闘していた時、神がいわれたというのです。「これがあなただ。」

  そうです。自分に直面し、もがいた三年間でもありました。自分自身に手を焼き、にっちもさっちもいかずに、ひとり空き部屋で泣き淀んだ経験は誰もが通るものでした。

  まず、自分自身の弱さや頑なさを認める事から始まります。これが、なかなか厄介な事なんです。

  ある兄弟は頭の切れる人で、歩く辞書と称される隙の無い人でした。その兄弟の証です。牧師夫人から、「血の通う働き人になったら良いですね」との言葉を受けたというのです。これは、私の中に印象深く残っています。

  学生皆が互いに研ぎ合って痛み苦しみ成長していく場所でした。皆が成長したいと願いながらも、いつまで経っても変わらないと感じていました。

  「分かった!」と喜び勇んで証をしたあとで、同じ失敗をして、分かってなかったではないか、と落ち込む。この繰り返しでした。

  一歩進んで二歩下る、後退しているような、同じ所をグルグル回っているような出口の無い不安を抱えていました。

  悟りの鈍い自分に望みはあるのでしょうか。そんな頃久しぶりに、オレブロミッションのスンベリ先生がスウェーデンから来て滞在されました。

  ロングプレイヤーの時間にショートメッセージをされました。スンベリ先生は霊的に鋭く、メッセージは聞く者の霊をシャッキっとさせます。

  その時のメッセージは右往左往する学生の霊を落ち着かせ、神の御前に座らせました。一人一人の霊をなだめ、教え諭すキリストのようでした。

  「信仰の道を歩むのに、分からなかった事が開かれた、分かったと思ったのに、また同じ失敗を繰り返して、実は分かってなかったと知って落ち込む。

  成長したと喜んでいたのに、いつの間にか後退していたように感じる時がある。しかし、これも成長しているのです。

  人は、上に上に成長する事を願っているが、細い木は大風が吹くとポキリと折れてしまう。神は大風にもビクともしない大樹に育てるために幹を太くされる。

  いつも同じ事を繰り返してしまう、ちっとも成長していないと感じる時は、神が幹を太く成長させておられる時で、上には伸びていないけれど、ちゃんと成長しているんだ。

  成長は上にだけではなくて、がっしりとした信仰になるために、横の成長が必要なんだ。それは、信仰に幅が造られている時です。」


  それから大分経ってから、出会ったご婦人の証です。息子さんの感性が鋭くて、手を焼いておられました。

  息子さんもキリストを愛する人です。神のことばには従順ですが、神から出ていない言葉には敏感で、荒れてしまいます。お母さんに対してがひどかったです。

  お母さんは、息子が落ち着くように、感情をコントロール出来る大人になれるように、と切に切に祈っておられました。

  神からは、約束を頂いておられました。でも、実現には至りませんでした。お会いしてから、七年以上経った頃だと思います。

  お母さんの顔は晴れ晴れとしていました。あまりにも、長く時間がかかるので、神にせっついた時の事です。

  神は語られました。「上等な味噌にするために、醸造しているのだ。」お母さんには、神のいっておられる意味がよく分かったのです。

  お母さんは自家製の味噌を作っていました。味噌は時間をかけて醸造した物の方が味がよくなるというのです。

  証を聞いた時の私は、(味噌?何?)と思ったものでした。神は、お母さんの生活の中のお母さんが分かる譬えで答えられたのでした。

  お母さんは、実現する事だけを心待ちにしていました。神は、良いものを造り上げる事を楽しんでおられたのです。

  神の御霊は、一人一人をその人に合った方法で教え、育てておられます。千年は一日のごとし、といわれる神の時間の感覚は、人の感覚とは違うようです。

  神は、しっかりと揺るぐ事のない信仰をキリストの土台の上に建てる事を望んでおられるのでしょう。

  信仰の成長は、神への信頼だけでなく、その人自身の人間性の成長も伴います。幅のある幹の太いの樹木に育つのを、神は楽しみ喜んでおられるようです。

  「あらゆる恵みに満ちた神、即ちあなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れて下さった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者として下さいます。」ペテロの手紙Ⅰ 5:10

  神は、豊かに実を結ぶ義の木とするために、懲らしめ壊し、研ぎ建て上げて下さるのです。