ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

信じる者のうちに住むキリストの御霊


  その頃、集っていた教会では、他教団教派の牧師を招いての特別集会を、度々行っていました。そのうちの一人の牧師の言葉によって、御霊の働きを確認しました。

  その牧師の教会のメンバーのお話でした。一人の兄弟が出張に行く前に、牧師に相談にやって来ました。

 

  飛行機のチケットは取ってあるのですが、何故かその飛行機に乗るのに不安な気持ちがあるのです。便を変えたらいいのか、平安が与えられるように祈って下さい、との事でした。

  牧師は兄弟のために祝福して祈り、「神が共におられ、どこにあっても守って下さいます」と励ましました。

  牧師はその兄弟の悩みの原因を神に尋ねる事なく、自分で判断して普段通り、「兄弟に平安を与えて下さい。あなたは、行くにも来るにも守られる主です」と自身のうちにある信仰の祈りをしたのでした。

  兄弟は「安心しました。神がともにおられますね。ありがとうございました。神を信じて、その飛行機に乗っていきます」と喜んで、帰られました。

  ところが、兄弟が乗ったその飛行機は墜落して、兄弟は帰って来る事はありませんでした。

  牧師は、兄弟のうちにあった不安な気持ちは、兄弟のうちに住む神の御霊が発しておられた警告だった事に気づきました。

  牧師はひどく打ちのめされました。牧師という立場を担う事の責任の重さを痛感しました。

  御霊が警告しておられる事を悟れなかったのです。兄弟本人は御霊の示しを受けていたのです。

  この事を通して牧師は、神が一人一人のうちにあって導く方である事、教会は神のもので、聖徒すべてを御霊が教え導いておられる事を悟りました。

  この牧師のお話は続きます。「牧師という立場があるから、すべてが分かるわけでは無いのです。神は一人一人に御霊を授けておられます。この御霊が一人一人の道を知り、教え知らせ導いておられるのです。どうか、御霊の導きを大切にして下さい。」

  この証をされた時の牧師は、大変辛そうでした。神の御前で随分と悔い改めの祈りを積み上げられた事でしょう。

  教会の牧師といえども、一人一人の事を神に知らされているわけではない事、神が真の牧者である事を伝えて下さいました。

  なんと謙遜な牧師なのだろう、と思いました。

  神の警告に従順であったら、神の子としての歩みがまだ地上にあったことでしょう。人に従った事で、地上の歩みは失われてしまいました。

  「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配して下さるからです」と聖書がいっています。

  御霊の導きは、いのちの道です。自分のうちにおられる御霊の感覚を、人の常識に変えたり人の同意を求めて御霊を消してはいけません。

  御霊の示しは、この世の非常識である事もあります。他人の理解が得られなかったり、混乱する事もあります。でも、これを体得するには、信じて進むしかありません。

  間違いだったら、引き返して悔い改めるのです。何度も何度も失敗を繰り返して、御霊の声を聞き分ける感覚を学んでいくのです。


  キリストは十字架にかかる前に、「あなたがたを孤児にはしません。あなたがたにもうひとりの助け主を送ります。真理の御霊です。御霊はあなたがたにすべての事を教えます」といわれました。

  ある宣教師の話を思い出します。スウェーデンの田舎の家には家の前に蛇口があります。人が住まなくなった家の蛇口から旅人が水を飲もうと、蛇口をひねります。

  長い間使われていなかった蛇口からは、錆ついた茶色い水が出ます。まず蛇口いっぱいに開いて錆水を出し切ると、きれいな飲み水が出て来て喉を潤す事が出来ます。

  自分から御霊の聖い水が出てくる前に、自分のうちに詰まっている肉の汚れた水が出てきます。

  恐れてはいけません。聖い御霊は、まず肉の汚れを全部出しきらなければ出てきません。汚いものを隠して持ったままならば、聖い御霊が流れ出てくる事が出来ません。

  自分の内から汚れたものが出てくる事を恐れてはいけません。御霊が流れるために誰もが経験する事です。

  自分に失望してはなりません。良いお方は神だけです。神に希望を持ちましょう。神に自分自身を任せましょう。

  神の御霊が流れるようになると、その人の内からいのちの言葉が出てくるようになります。御霊の言葉は、人々を生かすいのちの働きをするのです。

  この話を時折、思い出します。御霊は目には見えない方ですが、確かにおられます。イエスが神の子で、神が遣わされたキリストである事を告白する者と共におられるのです。

  信じる者をちゃんと、神が面倒を見て下さいます。神に信頼する事を経験していきましょう。失敗を恐れず、根気よく学んでいきましょう。その先には、広い地があります。そこに立つ時、自分のうちに消えることのない希望の灯がともっている事に気づくのです。