イスラエルの王であるキリストが治めた千年の終わりに、縛られて、閉じ込められていた悪魔は、その牢から解き放されます。
悪魔は、地の四方にある諸国の民、かつて悪魔の支配下にあった民を惑わすために出て行き、戦いのために彼らを召集します。
海辺の砂のような数の彼らは、イスラエルを攻めに上り、聖徒達の陣営と神の都とを取り囲みます。
すると、天から火が降って来て、彼らを焼き尽くしてしまいます。
神は、彼らを惑わした悪魔を火と硫黄との池に投げ込まれ、彼らは、永遠に昼も夜も苦しみを受けます。
地も天も跡形もなくなりました。
神が、大きな白い御座に着座しておられます。裁きが始まります。
死んだ人々が、大きい者も小さい者も、御座の前に立ちます。数々の書物が開かれました。一人一人の一生は、神の書に記録されていました。
また、別の一つの書物も開かれました。いのちの書です。
死んだ人々は、これらの書物に書き記されているところに従って、自分の行いに応じて裁かれました。
千年のキリスト統治時代以前の死者の裁きもされました。
海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出しました。そして、それらの死者は各々の自分の行いに応じて裁かれました。
それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれました。これが、第二の死であり、魂の死、永遠の滅びです。第一の死は、肉体の死でした。
いのちの書に名の記されていない者は皆、この火の池に投げ込まれました。
「人間には、一度死ぬことと死後に裁きを受けることが定まっている」と聖書に書かれています。
人生の中で様々な人の死に直面します。それらの死をもっても、神は人々に死の向こうに裁きがあることを、知らせておられるのです。
伝道者の書の中で、知恵者は語っています。
「若い男よ。若いうちに楽しめ。若い日にあなたの心を喜ばせよ。あなたの心のおもむくまま、あなたの目の望むままに歩め。しかし、これらすべての事において、あなたは神の裁きを受けることを知っておけ。」
最後の裁きによって決着がつけられました。
神と悪魔とは何の関わりもありません。神の民と悪魔の民とは、永遠に分離されました。互いに行き交うことはありません。
新しい天と新しい地があります。そこは、以前の天と以前の地のようではなくて、海もありません。
いのちの書に名の記されている者は皆、神の子として、そこで永遠に生きるのです。
彼らは、神である御父の養子となって、キリストとともに神の国を相続するのです。