ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

私たちの主は裁き主

 

 必ず起こることの黙示(隠された啓示)を、神がキリストにお与えになりました。

 キリストは、弟子のヨハネに御使いを遣わして、ヨハネにお告げになりました。ヨハネは、主キリスト・イエスから、父なる神から示されたイエス・キリストの黙示を受け取りました。

 

 「私(ヨハネ)は、大きな白い御座と、そこに着座しておられる方を見た。地も天もその御前から逃げ去って、あとかたもなくなった。

 また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書き記されているところに従って、自分の行ないに応じて裁かれた。

 海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行ないに応じて裁かれた。

 それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である。いのちの書に名の記されていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。」(黙示録20:11-15)

 

 ここには、キリストの統べ治められる千年の世(千年王国)のあとで行なわれる、世の裁きの様子が書かれています。

 

 聖書の創世記を読むと、神が天と地と万物を造られたことが書かれています。神は、創造主なのです。

 最初の人アダムにとって、神は「創造主」でした。

 神である創造主は、「全知全能の神、主。」としてアブラハムに知らされました。

 全知全能の神、主は、「イスラエルの神」としてモーセとイスラエル(ユダヤ民族)に現われました。

 イスラエルの神は、「わが主、わが神。」としてダビデに会われました。

 ダビデ王のわが主、わが神は、「神の子羊キリスト」として、世に来られました。

 神の子羊キリストは、御救いのわざを成し遂げられると、天に上り、神の御座の右に着座されました。そして、子羊の血で罪が贖われた人々に、聖霊のバプテスマを授けられます。

 神の子羊キリストは、「イスラエルの王」として、再び世に来られて、千年の間、平和な世を統べ治められます。神の都エルサレムに、神の子羊キリスト・イエスの父なる神と子羊キリストとの御座が設けられます。

 イスラエルの王は、千年王国の時が満ちると、父なる神とともに、大きな白い御座に着座されます。大きな白い御座は、公正な裁きの座です。

 父なる神は、世を裁かれます。そして、神の子羊キリストは、ご自分の民(神の民)を裁かれます。

 

 神が遣わされた神の子羊イエスに水のバプテスマを授けたバプテスマのヨハネは、キリストについて、こう証言しています。

 「私は、あなたがた(神の契約の民ユダヤ人)が悔い改めるために、水のバプテスマを授けていますが、私のあとから来られる方(救い主キリスト)は、私よりもさらに力のある方です。私はその方のはきものを脱がせてあげる値打ちもありません。その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。

 手に箕を持っておられ、ご自分の脱穀場をすみずみまできよめられます。麦を倉に納め、殻を消えない火で焼き尽くされます。」(マタイ3:11,12)

 

 神の子羊キリストは、聖霊と火とのバプテスマ、すなわち御霊と試みとのバプテスマによって、罪を悔い改めてキリストを信じた肉なる者を、新しく霊なる子どもに造り変えて、試みに勝利した信仰の勝利者たちを、天の御国に入れられます。そして、試みられて信仰を失った不信仰な者たちを、永遠の火の池に投げ込まれます。

 

 神の子羊キリストは、イスラエルの王です。子羊は、ご自分の国の民を裁かれます。

 神の契約の中に入ったユダヤ人とクリスチャンは、神の子羊キリストによって裁かれ、子羊は、最後まで信仰を保ち続けた忠実な者、信仰の勝利者たちを父なる神にお献げになります。そして、父なる神は、悪魔の試みに勝利した信仰の強者たちを神の子羊キリストに分け与え、彼ら(信仰の勝利者)を神の子どもとされ、神のひとり子、子羊キリストとともに天の御国を相続する者とされるのです。

 

 御救いを成し遂げた神の子羊キリストは、手に箕を持っておられるのです。ご自分の血で悪魔から買い取られた麦(キリストの民)を、脱穀されます。信仰の実を結んだ者は実が残りますが、実りのない殻は、焼いてしまわれます。

 キリストは、最後に、教会をきよめ、その中から御霊によって生まれ新しく造り変えられた御霊の教会をご自分の倉に納め、御霊によって新しい創造を受けていない肉のままの教会を永遠に消えない火で焼かれます。

 

 神の子羊キリストの血によって罪を取り除かれ、神の御子イエス・キリストの御名によって世の滅びからの救いを受けた人々は、キリストによって裁かれるのです。キリストは手に箕を持っておられ、神の畑から良い麦を集められます。そして、毒麦と殻は火で焼かれます。

 

 父なる神は、世を裁かれます。神のひとり子イエス・キリストを信じなかった者、神の子羊キリストの血を拒んだ者、キリストの御霊に逆らう者、悪魔に従った者らを死の国とともに、永遠の火の池に投げ込まれます。

 

 世の罪を取り除く神の子羊キリストに結びついて罪が贖われて罪が赦された者と、キリストに結びつかないで罪の贖われていない罪人とは、はっきりと分けられます。また、イエス・キリストの御名の中で信仰を持ち続けた者と、信仰を手放した者とを分離されます。

 

 大きな白い御座とそこに着座しておられる神であられる主(父なる神)と子羊(神のひとり子キリスト)との御前から、地も天も逃げ去りあとかたもなくなりました。現象の世界は終わりを遂げました。いよいよ、天の御国と永遠の火の池に分けられる裁きの時に至ったのです。神の御怒りの日です。

 

 死んだ人々が、大人も子供も年寄りもすべての者が御座の前に立ちます。ひとりひとりの生涯(行なったこと、心に思ったこと)は書物に書き記されていました。それぞれの書き記されているところに従って、自分の行ないに応じて裁かれます。誰も弁護してくれる者はいません。子供であってもひとりで立ちます。一人一人その行ないに応じて裁かれます。

 墓に入っていない海の死者も、墓に入っていない山の死者も、御前に立ちます。人々はおのおの自分の行ないに応じて裁かれます。

 

 死(死んだ者の入っていた死の国、陰府)とハデス(極悪者の獄)とは、永遠に燃え盛る火の池(地獄)に投げ込まれます。

 「いのちの書」に名の記されていない者はみな、この火の池に投げ込まれます。

 

 イエスは、七十人の弟子たちをふたりずつ、ご自分が行くつもりのすべての町や村へ、先にお遣わしになりました。

 「さて、七十人が喜んで帰って来て、こう言った。

 『主よ。あなたの御名(イエス・キリストの御名)を使うと、悪霊どもでさえ、私たちに服従します。』

 イエスは、言われた。

 『わたしが見ていると、サタンが、稲妻のように天から落ちました。確かに、わたしは、あなたがたに、蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けたのです。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つありません。

 だがしかし、悪霊どもがあなたがたに服従するからといって、喜んではなりません。ただあなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」(ルカ10:17-20)

 

 イエス・キリストのものとされた人に、神の霊が留まります。悪魔や悪霊どもは、裁き主である神と、悪魔に勝利を取られる神のひとり子を、恐れています。

 神は、神の子羊として遣わされた神のひとり子イエス・キリストの御名に、世の罪を取り除く救世主の権威を授けておられます。

 世の罪を取り除く神の子羊イエスは、罪のかしらである悪魔を踏み砕く御力を持つ救世主(メシア)であるということです。

 

 メシアは、神の王座に着く方です。神は、神の子羊イエスに、神の権威と悪を滅ぼす御力を与えておられます。イエスは、父なる神から悪を滅ぼす権限が与えられているのです。

 悪魔も悪霊どもも、イエス・キリストの御名の権威を恐れます。イエス・キリストの御名は、天においても地においても、悪を滅ぼすメシアの名なのです。

 

 七十人の弟子たちが、イエス・キリストの御名を使って命じると、悪霊どもでさえ服従します。弟子たちに権威があるのではなくて、イエス・キリストの御名に権威があるからです。

 

 イエスは霊の目で、サタンが稲妻のように勢いよく天から落ちるのをご覧になられました。これをご覧になって、イエス・キリストの御名によって、確かに、蛇やさそりを踏みつけ、敵(悪魔)のあらゆる力に打ち勝つ権威を弟子たちに授けたことを確認されました。そして、敵に打ち勝つイエス・キリストの御名によって、悪魔も震えおののき、あなたがたに害を加えるものは何一つない、と言われました。

 

 キリストにつく者たちは、イエス・キリストの御名によって、悪いものから守られるのです。なぜならば、イエス・キリストの御名によって命じるならば、悪霊どもも服従するからです。

 

 しかし、イエスは言われます。

 「悪霊どもがあなたがたに服従するからといって、喜んではなりません。ただあなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」

 

 悪霊どもが服従することは、この世のことです。やがて、今ある天も地もあとかたもなくなります。悪霊どもが服従することよりも、イエス・キリストの御名によって、あなたがたの名が天に書き記されていることを誉れとしなさい、と言われました。

 「いのちの書」に名が記されるとは、天の御国に入る者とされることです。悪霊どもが服従することよりも、永遠のいのちが得られる恵みに心を向け、神の御恵みを喜びなさい、と言われたのでした。

 

 裁き主なる父なる神とともに神の民を裁かれる神の子羊は、神の民に、「いのちの書」に名が記され、信仰を守り続けて「いのちの書」から名が消されることなく、「いのちの書」に名が残される信仰の勝利者となることを願っておられます。