ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

聖書の権威⑫ー父の名と子羊の名ー


  アブラハムに、カナンの地をあなたの子孫に与えると約束された全能の神は、語っておられました。

  「あなたの子孫は、自分達のもので無い国で寄留者となり、彼らは奴隷とされ、四百年の間、苦しめられよう。しかし、彼らの仕えるその国民をわたしがさばき、その後、彼らは多くの財産を持って、そこから出て来る。四代目の者達が、ここに戻って来る。」

  アブラハムの子、イサクの子、ヤコブの一族が飢饉をしのぎ、生き延びるためにエジプトの地に下りました。ヤコブの息子ヨセフがエジプトの大臣となっていたからです。

  ヤコブと十二人の息子がエジプトの地で死んだ後で、ユダヤ人のヨセフが大臣であった事を知らない世代に、同じ世代のエジプトの王が立ちました。

  エジプトは、ユダヤ人をへブル人と呼び、へブル人に重労働を強いて、エジプトの奴隷としました。

  エジプトの王女が水浴びに来た時、水に浮かぶかごの中に可愛らしいへブル人の赤ちゃんを見つけました。

  王女は赤ちゃんが可愛いのを見て、水から引き上げるという意味のモーセ、と名付けて育てました。へブル人なのに、モーセはエジプト人として育てられたのです。


  神は、モーセによって、ヤコブの子らをエジプトからカナンの地に連れ上るという計画を持っておられました。

  神に心動かされたモーセは、エジプト人から苦しめられている同胞ユダヤ人を庇って、エジプト人を殺してしまいました。

  エジプトの王に命を狙われたモーセは、逃げてミデヤンの地荒野に住み、羊飼いとなりました。

  八十歳のモーセに、神は現れました。「わたしは、あなたの父の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」

  「わたしは、エジプトにいるわたしの民の悩みを確かに見、追い使う者の前の彼らの叫びを聞いた。わたしは彼らの痛みを知っている。

  わたしが下って来たのは、彼らをエジプトの手から救い出し、その地から、広い良い地、乳と蜜の流れる地、カナン人、ヘテ人、エモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人のいる所に、彼らを上らせるためだ。

  見よ。今こそ、イスラエル人の叫びはわたしに届いた。わたしはまた、エジプトが彼らを虐げているその虐げを見た。

  今、行け。わたしはあなたをファラオ(エジプトの王)のもとに遣わそう。わたしの民イスラエル人をエジプトから連れ出せ。」

  モーセは神に申し上げました。「私が行って、イスラエル人に『あなたがたの父祖の神が、私をあなたがたのもとに遣わされました』と言えば、彼らは、『その名は何ですか』と私に聞くでしょう。私は、何と答えたらよいのでしょうか。」


  神はモーセに仰せられました。「わたしは、『わたしはある』という者である。」

  また、仰せられました。「あなたはイスラエル人にこう告げなければならない。『わたしはあるという方が、私をあなたがたのところに遣わされた』と。」

  神は更にモーセに仰せられました。

  「イスラエル人に言え。あなたがたの父祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、主が、私をあなたがたのところに遣わされた、と言え。これが永遠にわたしの名、これが代々にわたってわたしの呼び名である。」

  ここで、神は、二つの名をモーセに明らかにされています。

  『わたしはある』

  『わたしはあるという方が、わたしをあなたがたのところに遣わされた』

  
  『わたしはある』とは、何者かによって存在させられている者ではなく、自ら存在しており、存在するすべてのものの根源である方、はじめからあるいのちの神です。

  わたしはあるという方は、御子が人となって地に遣わされる前から御子が共におられた神、御子を生んだ方であり、存在するすべてのものを生んだ父なる神なのです。

  イエスは、この神のことをいつも「父」と呼んでおられました。

  「父」は、キリストを信じて救われる者達を養子として迎え入れ、神の子として下さいます。

  それで、神の民イスラエルの父となられ、「父」は神おひとりとなります。


  『わたしはあるという方が、わたしをあなたがたのところに遣わされた』とは、神が遣わされた子羊の名です。

  御子は生贄の子羊として、地に遣わされました。悪魔の子に堕ちた被造物を取り戻すために来られました。

  子羊とは、神の子を集めるために世に遣わされた御子であり、神の子は子羊に集約されるのです。子羊とは、贖いの生贄となられた御子の栄誉を讃える、永遠の呼び名です。

  
  御子は、人の子として肉体を持つイエスになる以前は、主としてイスラエルに現れていました。彼は、イスラエルの神でした。

  ダビデもこの方について、「私はいつも、自分の目の前に主を見ていた。主は、私が動かされないように、私の右におられるからである」と言っています。

  また、この主のことを、「あなたは、あなたの聖者を朽ち果てるままにはしておかれない」とも言っています。

  ダビデが主と仰いでいた方が、ダビデの子として、人となって生まれたのです。ダビデの子とは、イエス・キリストのことです。

  
  父の名と子羊の名で呼ばれる者は、イエスの兄弟姉妹として、キリストの父なる神の子どもになる者です。

  父の名と子羊の名の印が押される者は、キリストの花嫁なのです。