ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

四百年間で民族になったイスラエル



  エジプトに下った七十人のヤコブ一族はエジプトの地で増え広がりました。ヤコブとヤコブの子らも死んで、その子孫がエジプトで寄留していました。

  エジプトの大臣であったヨセフを知らない世代の王がエジプトに立ち、寄留者のへブル人に労役を課し、虐げ、エジプトの奴隷としました。

  彼らは苦しめば苦しむほど、増え広がりました。ただの寄留者ならば、厄介者ですが、エジプトの労働力である奴隷は、多いほどエジプトの財産となります。エジプトには、広大な土地があります。奴隷が増える事に問題はありませんでした。

  七十人で入ったヤコブ一族が、エジプトを出て来る時には、壮年の男子だけで六十万人になっていました。女子や子どもを入れたら、優に百万人は超えていました。

  
  私の父の実家は、隣村から移住して農業従事者となってから、四百二十年以上同じ地域に住んでいます。臨済宗のお寺には多くの位牌があります。本家といわれる家も残っています。父の家は分家で、文化の年号の墓石が残っています。他の分家は、もっと古い年号の墓石が残っています。同じ苗字ですが、二百年以上も前に分かれている分家です。親戚という意識はありません。明治に入る頃、名字の漢字を皆で揃って変えていますので、そういうところは、繋がっています。


  同じ校区の地域にある母の実家もまた、その土地に同じくらい長く住んでいます。浄土真宗本願寺派が母の家の宗教です。父方も母方も代々、校区内の地域の家との婚姻を続けて残っています。

  両家とも貧しい農家でした。それなのに、素性という事を気にしていました。代々その土地に住む家との婚姻をして来た家が、今も残っているのだと思います。家と家との婚姻の世代には大切な事でしたが、今ではそれを気にする人は誰もいません。

  四百年経って、どうでしょう。同じ名字の人はその地域に百五十人もいません。お互いに、親族だという意識もありません。

 
  ヤコブの子らは、四百年間で、百万人以上の民族になっているのです。

  これが、カナンの地だったら、ヤコブの子らの土地が狭すぎて、皆がバラバラになっていたのかも知れません。お互いに同族という意識が薄れていたかも知れません。まだ、モーセの十戒もないですから、神の契約を意識する事が、全員に行き渡るのは難しかった事でしょう。異邦人と変わらない民族となった事でしょう。あるいは、一つの民族になれなかったのかも知れません。

  神には、ヤコブの子孫に計画を持っておられました。

  エジプトの奴隷である事で、エジプト人とは違う人種、自分達が他国人である事を意識しました。彼らは、寄留者でした。

  ヤコブが子孫に残した祝福のことばや、神とアブラハムの契約を、彼らの望み、家宝としていました。彼らには、目指す国があったのです。

  彼らの父祖アブラハムと妻サラ、イサクと妻リベカ、ヤコブと妻レアが、カナンの地で眠っていました。エジプトの大臣だったヨセフのミイラが、カナンの地に入る時に、携えられてカナンの地に上る事を待っていました。

  四百年間、へブル人(ユダヤ人)は、エジプト人に虐げられて、家族意識が形成されました。百万人以上の大所帯となっても、ヤコブの子らは一つの家族でした。お互いに兄弟姉妹という意識を持っています。他の民族では考えにくい事です。

  エジプトを出る時の事です。神の御使いはエジプトの地を巡って初子を打ちました。しかし、神の御使いは、羊の血が塗られたへブル人の家々を過ぎ越して行き、エジプト人とイスラエル人を区別されました。死人の出ないエジプト人の家はなく、エジプト人達は泣き叫びました。イスラエルには、何も起こりませんでした。

  エジプト人は、銀の飾り、金の飾り、着物をイスラエルに与えて、羊の群れも牛の群れも連れて、エジプトの地から出て行くように命じ、民を急き立てて、強制的にエジプトの国から追い出したのでした。

  
  神は、エジプトで、イスラエル民族を造られました。彼らを神の民とするために、荒野で十戒を与え、神の戒めと定めを守る民とされました。エジプトで増え広がったイスラエル民族は、十二部族の各々の自覚を持ち、アブラハム、イサク、ヤコブの契約を受け継ぐ民族として育てられて、神の国民とされるのでした。

  彼らは、この世の国々とは異なる、神の聖なる民として、取り分けられていたのです。