ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

自分の霊に素直に従う

 

 「主はモーセに仰せられた。

 『わたしはパロ(エジプトの王ファラオ)とエジプトの上になお一つのわざわいを下す。そのあとで彼は、あなたがたをここ(エジプトの地)から行かせる。彼があなたがたを行かせるときは、本当にひとり残らずあなたがたをここから追い出してしまおう。

 さあ、民(へブル人、ヤコブの子孫ユダヤ民族)に語って聞かせよ。男は隣の男から、女は隣の女から銀の飾りや金の飾りを求めるように。』

 主はエジプトが民に好意を持つようにされた。モーセその人も、エジプトの国でパロ(エジプトの王ファラオ)の家臣と民とに非常に尊敬されていた。」(出エジプト11:3)

 

 主がエジプトに下される、もう一つのわざわいとは、エジプトの国の初子が死ぬ、ということです。王座に着くファラオの初子から、女奴隷の初子、それに家畜の初子に至るまで、主が打たれて、みな死ぬのです。

 

 神が、イスラエルの神とイスラエルの民に高ぶるエジプト全土にわざわいを下されたのは、主がエジプト人とイスラエル人を区別されるのを、エジプト人が知るためでした。

 その後、ファラオの家臣たちはみな、モーセのところに来て伏し拝み、「あなたとあなたに従う民はみな出て行ってください。」と言い、そのあとで、モーセとイスラエルはエジプトの地から出て行くのでした。

 

 このことは、神が、ユダヤ民族の父祖アブラハムに、カナンの地を与えることの保証として語られたことばの成就でした。

 「あなたの子孫(妻サラの子の子孫)は、自分たちのものでない国で寄留者となり、彼らは奴隷とされ、四百年の間、苦しめられよう。しかし、彼らの仕えるその国民を、わたしがさばき、その後、彼らは多くの財産を持って、そこから出て来るようになる。」(創世記15:13、14)

 

 実際に、サラのひとり子イサクの子のヤコブとその子孫は、よその国エジプトで寄留者となり、彼らは、四百年の間、エジプトの奴隷となって、苦しみました。しかし、神は、アブラハムの子孫(ユダヤ民族)を苦しめたエジプトを打って、エジプトの初子をみな死に絶えさせられました。

 そして、その後、アブラハムの子孫イスラエルは、多くの財産を持って、エジプトの地を出たのでした。

 

 主が、エジプトがアブラハムの子孫イスラエルに好意を持つようにされたからでした。神は、御自身のことばの実現のために、イスラエルに高ぶり頑ななエジプト人の心に働き、銀の飾りや金の飾りをイスラエルに与えるようにされたのです。

 

 ファラオは神と契約を結ぶアブラハムの子孫イスラエルに対して頑な者であり、モーセを憎む者でした。しかし、ファラオの家臣と民とは、モーセを非常に尊敬していたようです。

 

 神はファラオの心を頑なにされ、モーセの言うことを聞き入れないファラオとエジプトに、十のわざわいを下されました。

 へブル人の神、主は言われました。

 「わたしの民を行かせ、彼らをわたしに仕えさせよ。今度は、わたしは、あなたとあなたの家臣とあなたの民とに、わたしのすべての災害を送る。わたしのような者は地のどこにもいないことを、あなたに知らせるためである。

 わたしが今、手を伸ばして、あなたとあなたの民を疫病で打つなら、あなたは地から消し去られる。それにも関わらず、わたしは、わたしの力をあなたに示すためにあなたを立てておく。また、わたしの名を全地に告げ知らせるためである。」(出エジプト9:13-16)

 

 エジプトの王の心を頑なにしたのは主であり、また、わざわいを下したのも主です。それは、神の民イスラエルに対して高ぶっているためだけではありません。神は、神である主の御力を、誇り高ぶっているエジプトの王に示すために、ファラオを立てておかれたのでした。また、エジプトで成される神の裁きとわざわいとによって、イスラエルの神の名を全地に告げ知らせるためでした。

 

 世界の片隅で起こったことではありません。世界に誇るエジプト、全地に知られている強大な大国で起こったことです。世界のだれもが耳にすることでしょう。

 

 カナンの地では、この力強い全能の神、主が、イスラエルにカナンの地を所有させることを知って、カナンの地に住む住民は震えおののいたのです。

 イスラエルには、あの大国エジプトにわざわいを下された神がついておられるのです。噂はすぐに、全地に行き渡るのでした。

 

 ファラオは、エジプトの全軍勢、戦車と騎兵とともに、エジプトを去ったイスラエルのあとを追いました。神は、イスラエルの目の前の紅海の水を分けて、イスラエルに乾いた地を通らせました。追いついたエジプトのファラオと全軍勢も続いて紅海の中にできた陸地に入ると、神は、紅海の水をもとに戻して、紅海に入ったファラオとエジプトの全軍勢を飲み込みました。

 それで、紅海を渡り切ったイスラエルは、海辺に死んでいるエジプト人を見たのです。

 

 十のわざわいの間に、ファラオの家臣のうちに、モーセの神の御力を恐れる者も現われました。

 

 神がエジプトに雹のわざわいを下されるとき、神は、ファラオのもとに遣わしたモーセに、ことばをお与えになりました。

 「明日の今頃、エジプトにおいて建国の日以来、今までになかったきわめて激しい雹をわたしは降らせる。それゆえ、今すぐ使いをやり、あなたの家畜、あなたが持っている野にあるすべてのものを避難させよ。野にいて家に連れ戻すことのできない人や獣はみな雹が落ちて来ると死んでしまう。」(出エジプト9:18,19)

 

 ファラオの家臣のうちで主のことばを恐れた者は、しもべたちと家畜を家に避難させました。しかし、主のことばに心を留めなかった者は、しもべや家畜をそのまま野に残しました。雹はエジプト全土にわたって、人をはじめ獣に至るまで、野にいるすべてのものを打ち、野も木もことごとく打ち砕いたのでした。

 ただ、イスラエル人が住むゴシェンの地には、雹は降りませんでした。神は、エジプト人とイスラエル人を区別されたのです。

 

 モーセの神の御力を認める家臣たちはファラオに言いました。

 「いつまでこの者(モーセとアロン)は私たちを陥れるのですか。この男たちを行かせ、彼らの神、主に仕えさせてください。エジプトが滅びるのが、まだおわかりにならないのですか。」(出エジプト10:7)

 

 災いの中で、モーセの神の御力を認めるファラオの家臣もいました。心頑ななファラオに意見を述べる家臣も現われたのです。

 しかし、すべてのエジプト人は、ファラオと運命をともにしました。

 

 モーセは、エジプトの国でファラオの家臣と民とに非常に尊敬されていた、と出エジプト11:3にあります。

 しかし、すべてのエジプト人は、ファラオと運命をともにしたのです。その時、世を救う神の子羊イエスの贖いの血はなかったので、世に属する者は、すべて世の君と運命をともにしたのです。

 

 個人的にモーセを尊敬していても、エジプトの権威に飲み込まれてしまいます。

 自分の霊の思うところを素直に捉えても、この世の権威のもとにいるならば、この世の裁きを受けることになります。この世の権威から出て、神の権威の下に入ることは、この世から去る覚悟も必要です。

 

 神は、エジプト人とイスラエル人を区別されました。そのように、この世の民と神の国の民を区別されるでしょう。この世の者はこの世に守られるでしょう。そして、神の民を迫害するのです。彼ら(神の民)がこの世のものではないからです。

 しかし、彼ら(この世の者)の行き着く先は滅びです。

 

 今は恵みの時、救いの日です。世に属する人であっても、神のひとり子キリスト・イエスを信じる者は、贖いの血を受けて罪が赦され、世の罪から救われて、神の民に加えていただけるのです。

 

 この世に属していても、もし、神の民とともにおられる神を知り、神を恐れるならば、自分の霊に素直になりましょう。この世のものは、魂の救いを与えてはくれません。

 

  魂の平安な道を選び、勇気をもってその道を歩みましょう。この世は、神の憐れみに満ちているのです。