ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

異言の力

 

  聖霊のバプテスマに、必ず異言が伴うのかという事は私には分かりません。聖書の使徒の働きの書簡の二章に、イエスが約束された、聖霊降臨の記事があります。

 

  イエスが水のバプテスマを受けて水からあがるとすぐに、天が開け、神の御霊が鳩のように下って、イエスの上に留まった、とあります。

 

  それで、水のバプテスマを受けたら、御霊がその人のうちに来られると思ってしまいます。

 

  イエスの弟子、使徒達は、どのように聖霊を受けたのでしょうか。イエスが地上におられる間は、まだ、彼らに聖霊が下っていませんでした。イエスのことばが、彼らの足のともしび、真理の光でした。

 

  イエスはいわれました。「わたしが父のみもとに行くと、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その方は、真理の御霊です。それで、わたしを信じる者は、わたしの行うわざを行い、またそれよりも更に大きなわざを行います。」

 

  「わたしを信じる者は、聖書が言っている通りに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことをいわれたのです。

 

  イエスはまだ栄光(十字架の死と復活)を受けておられなかったので、御霊はまだ、弟子達に注がれていなかった、とあります。

 

  「もしわたしが去って行かなければ、助け主はあなたがたのところに来ないからです。わたしが去って行くことは、あなたがたにとって益なのです」とも、イエスは言っておられます。

 

  イエスは父から遣わされた目的通りに、十字架につけられて生贄の子羊となりました。キリストが人類の罪の身代わりとなって流された血は、人の罪を贖い、罪を赦しました。

 

  ノアの時代、ノアの家族以外の人類は洪水で滅びました。邪悪な世を滅ぼされたのです。しかし、今の時代、十字架で罪を贖う神の子羊を神御自身が用意し、天から生贄の子羊を送って下さいました。それで、次に邪悪な世を滅ぼされる時には、子羊を仰ぐ人は救われるという、救いの道を用意されたのです。

 

  ノアの時とは違い、今の時代には、神が造られた神の民イスラエルが地上にいます。この神の民イスラエルを救うため、また、神の御子イエスをイスラエルの王とするために、神はノアの時代のようには、すべてを滅ぼされません。

 

  イエスを王とする、神の民を救い出されるご計画です。救い主イエスを信じる者をすべて神の民として、ご自分のもとに集め、救われるのです。

 

  イエスは、神の子羊として屠られ、死んで墓に入り、三日目に墓から甦りました。霊のからだ、復活のからだで甦り、弟子達に四十日間現れて、神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒達に示されました。

 

  「わたしは、甦りです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません」と、かつて語っておられたイエスのことばが真実であったことを、使徒達は確認したのです。それで、信仰と希望が与えられました。

 

  復活のからだで、イエスは使徒達にいわれました。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束(真理の御霊を遣わす)を待ちなさい。ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく(イエスが天の父の元に行くと)、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」

 

  バプテスマのヨハネもイエスのことを、「見よ、世の罪を取り除く神の子羊。聖霊によってバプテスマを授ける方。神の子です。」と証言しています。

 

  イエスが見ている間に天に上げられた後で、弟子達は、エルサレムに集まり、イエスが約束された聖霊を待ち望んでいました。

 

  「すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡ると、炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上に留まった。すると、皆が聖霊に満たされ、御霊が話させて下さる通りに、他国のことばで話し出した」と聖書に記されています。

 

  神は、弟子達に聖霊を注ぎ、彼らの舌を清め、神のことばを語る舌として下さったのです。彼らは聖霊を受けると、御霊によって、真理に導かれ、大胆にイエスを証する者となりました。

 

  異言は、知性の祈りではありません。自分の思いで祈る祈りではなく、知性でとらえることの出来ない御霊による祈りです。神の霊のことばによる祈りです。

 

  主イエスの場合は、水から上がられると、イエスの上に御霊が天から来られました。しかし、弟子達の場合は、御霊を受けるために、聖霊が下られることを信じて、祈り待ち望んでいるところに聖霊が下られて、御霊を受けたのです。

 

  人は、御霊が与えられることを信じて、神に求め、祈り待ち望まなければなりません。

 

   

  以前、ブランチの教会に礼拝メッセージの奉仕に訪れた時の事です。礼拝が終わり、初めて教会に来られた、教会のメンバーのお母さんとお話をしていました。その方は、仏画を書いている人でした。

 

  娘さんが「母のために祈ってください」と言われ、未熟な私は何を祈るのか戸惑いながら、お母さんの肩に手を置き、祝福の祈りを始めました。

 

  すると、お母さんは、「先生。先生」と言って私の手を握り、猫なで声で何かしゃべり始めました。(悪霊だ)と思った私は、内心すごく動揺し、びびりました。悪霊追い出しなんかした事もなければ、実際に見た事もありません。

 

  どうしよう。大変な事になった。でも、お母さんの中にいる事は明らかでした。解放するのか。やり方がわからない。私一人じゃあ無理。悪霊に対抗できるのは聖霊だけ。周囲の人、その教会の働き人に、「異言で祈ってください」とお願いしました。

 

  お母さんの中に住む悪霊が勝手に現れたのです。とにかく、悪霊に向かって名前を聞きました。寿限無寿限無のような、長ったらしい名前を言います。名前を覚えるのが苦手な私は困りました。念仏のような名前です。聞き取れません。

 

  もう一度、名前を聞きました。また、長ったらしい名前を言います。名前を呼んで、出て行くように命じたかったのですが、その名前が言えない私は、「おまえに命じる。主イエスの御名によって、この女性から出て行きなさい。もう、帰って来てはならない」と大きな声で叱りつけました。それ以降のことははっきり覚えていません。

 

  乱暴な悪霊ではなく、礼儀正しい悪霊だったので、何とか終わりました。教会の牧師に知られたらどうしよう、と気持ちが塞ぎました。

 

  その教会の働き人が後で教えてくださいました。そのお母さんは、三日間寝込んで、その間中、お母さんに悪霊が「今までおまえに良い事をしてやった俺を裏切る気か。仏画を書く力を与えたのは俺だ。俺がいなくなったら、おまえには力が無くなるぞ。占う事も出来なくなるぞ。それでもいいのか。俺がいれば、おまえに力を与えよう」と何度も脅かし、苦しめたそうです。

 

  三日間、死んだようだったと聞いて、私はもうそれ以上、聞く勇気はありませんでした。

 

  あの時、皆が異言で祈ってくれなかったら、と考えると恐ろしいです。異言の祈りは、教え、助け、導くだけではなく、悪魔から守る神の霊、聖霊の城壁だと思いました。

 

  異言は、霊の守りの武器です。道を行く時も、いつも腹話術のように唇は動かさず、他人にはわからないように異言の祈りをしていました。答えが欲しい時も、異言で祈ります。選択に迷ったときも異言で祈ります。

 

  私には、本当に御霊の助けが必要です。異言の信仰のある人は、いつも、異言で祈りましょう。どう祈ったらいいのか、知性の祈りを教えて下さいます。道を教えて下さいます。悪い者から守って下さいます。