ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

人の思い違い

 

  人類の科学の進歩は、目を見張るものです。

 

  医学的に、多くの難病治療を成功させて来ました。肉体の欠陥を補助する技術も高度なものに発展しています。

 

  あらゆる分野において、痒いところに手が届くほど便利で、人間の生活を豊かで、過ごしやすくして来ました。

 

  地球を飛び出して、火星を人間の第二のいのちの星にしようとする計画もあるようです。

 

  

  地球は、水があり、空気があり、太陽の光があり、人間が生きるのに、最適な星です。地球には、海があり、植物が生え、様々な生き物が生きています。地球は、いのちを生み、命を育む、唯一のいのちの星です。

 

  人間が知恵を絞って作り出したわけでは無いのに、生まれる前から太陽は存在しており、おぎゃあと生まれた時から貧富の差こそあれ、おっぱいがあり、水があり、食べ物があり、生きる環境が備わっています。

 

  こんなに恵まれた青く輝く美しい星に暮らしながら、武器を持って戦い、命ある者を互いに殺し合い、環境を破壊して火星のように乾いた地にしています。

 

  人間を生み、育んできた大地を荒廃させて食べ物を生み出さない、不毛の土地にしています。

 

  一方では、命の無い乾いて死んだような星の火星を、人間が暮らせる命を育む星にしようとの研究が進んでいるようです。

 

  ロケットで行かなければならない遠い火星に資金を投じるよりも、争いを止めて、荒廃した地に水を引き、皆で労働して生きる環境を地球上に作りあげた方が幸福度も高まり、資金面も助かり、遠い火星に人間の住める環境を一から整えるよりは早く実現するのでは、と素人考えながら思います。

 

  地球に寿命が来る、と心配しますが、地球が滅びるときには、宇宙全体が消滅するのだ、ということは知られていないようです。これは、人間が言っている事ではなく、宇宙を造られた神のことばの聖書に書かれています。

 

  この神は、宇宙の始まり、地球の始まり、人の始まりを知る方です。何故なら、この神が天地万物を造られたからです。神は計画を持って造られ、神の計画が実現すると、御自身が創造されたものを無に帰するのです。

 

  黙示録20:11に、こう書かれています。「私は、大きな白い御座と、そこに着座しておられる方を見た。地も天もその御前から逃げ去って、あとかたも無くなった。」ヨハネは、与えられたキリストの黙示の中で、それを見たのです。

 

  白い御座とは、創造主がされる最後の裁きのことです。その時までは、地も天もまだ存在しているということです。地球が機能を失うのは、最後の裁きのときのようです。今私達が見ている宇宙も、もうありません。

 

  それを考えると、地球の代わりのものを探し求めることよりも、最後の裁きで、神のみもとに帰る者とされるために、自分自身の生き方を考え直す事の方が大事なことだと思います。

 

  地球が機能を失っても、地球上にいた人間の魂は、終わりなく永遠に生き続けるからです。肉体には寿命がありますが、魂には寿命が無いのです。

 

  「ノアが生きていた世界は、水により、洪水に覆われて滅びました。しかし、今の天と地は、火に焼かれるためにとっておかれ、不敬虔の者どもの裁きと滅びの日まで、保たれているのです。」とペテロは言っています。

 

  地を滅ぼす洪水から救い出されたノア家族から始まった今の世は、神に逆らう悪魔と悪霊、そして、悪魔に従った者達が神に裁かれる裁きと滅びの日まで、存続するのです。そして、神にへりくだらなかった不敬虔な者どもを、永遠の火で滅ぼすことも、神は、定めておられるのです。

 

  何故、人間は、神の計画に気づかずに、生き延びる方法を模索し、あくせくしているのでしょう。万物は、永遠の神が造られた、神の被造物である事を信じないからです。創造主の存在を認めないからです。

 

  神に造られながら、創造主を知りません。

 

  「初めに、神が天と地を創造した。」聖書は、このことばから、始まっています。

 

  初めのボタンを掛け違えると、終わりまでずれてしまいます。神が天と地を創造した、という認識で物事を考えるとすべてが、矛盾なく、納得出来るのです。それが真理だからです。

 

  創造主を知らないことが、そもそもの迷いなのです。神が天地万物を造られた、自分は神に造られた存在だという考えから物事を見るならば、腑に落ちるでしょう。

 

  人間の歴史は、最初のボタンの掛け違いから生じる認識の不具合に対処するために、つじつま合わせをする虚像でした。



  創造主、全能の神を知ると、神を畏れる心が芽生えます。この方が、イエス・キリストを地上に遣わした神である事に気づくと、イエスがどんなに偉大な方であるかを知ります。イエスがキリスト(救い主)である事を知ると、神の愛がわかります。

 

  今まで気づくことの無かった事に開かれて、思いが明るくなります。

 

  人の思い違いを正されるのは、イエス・キリストです。十字架につけられ罪を贖われたイエスに目を向けましょう。イエスを知ると、心に安らぎが来ます。

 

  ペテロは言います。「あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、キリストを知った今は、自分の魂の牧者であり監督者である方のもとに帰ったのです。」

 

  「神の御心に従ってなお苦しみに会っている人々は、善を行うにあたって、真実であられる創造者に自分の魂をお任せしなさい。」

 

 

    著書 『人はどこから来てどこへ行くのか』鍵谷泰世著 (青い表紙の本)

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