神は、イスラエルにいわれました。「あなたがたは、どんな肉の血も食べてはならない。すべての肉のいのちは、その血そのものであるからだ。それを食べる者は誰でも断ち切られなければならない。」
すべての肉のいのち、即ちすべての生き物のいのちは、その血が、そのいのちそのものである、といわれたのです。
モーセは、律法に従ってすべての戒めを民全体に語って後、水と赤い色の羊の毛とヒソプとのほかに、子牛とやぎの血を取って、契約の書自体にも民の全体にも注ぎかけ、「これは神があなたがたに対して立てられた契約の血である」と言いました。
またモーセは、幕屋と礼拝のすべての器具にも同様に血を注ぎかけました。律法によれば、すべてのものは血によってきよめられる、と言ってよいでしょう。また、血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです。
神に献げられた血には、罪の赦しときよめの力があるのです。
主は、モーセとアロンにいわれました。
「各々その父祖の家ごとに、羊一頭を、即ち家族ごとに羊一頭を用意しなさい。傷の無い一歳の雄の子羊でなければならない。その血を取り、羊を食べる家々の二本の門柱と、かもいにその血をつけよ。
その夜、その肉を焼いて、種を入れないパンと苦菜を添えて食べよ。しかし、無割礼の者は食べてはならない。在留異国人は割礼を受けなければ、食べることは出来ない。」
「その夜、わたしはエジプトの地を巡り、人をはじめ、家畜に至るまで、エジプトの地のすべての初子を打ち、また、エジプトのすべての神々に裁きを下そう。わたしは主である。あなたがたのいる家々の血は、あなたがたのためにしるしとなる。わたしはその血を見て、あなたがたの所を通り越そう。わたしがエジプトの地を打つ時、あなたがたには滅びの災いは起こらない。」
モーセは、イスラエルの長老達を皆呼び寄せて言いました。
「あなたがたの家族のために羊を、過越しの生贄として屠りなさい。ヒソプの一束を取って、鉢の中の血に浸し、その鉢の中の血をかもいと門柱につけなさい。朝まで、誰も家の戸口から外に出てはならない。
主がエジプトを打つために行き巡られ、かもいと二本の門柱にある血をご覧になれば、主はその戸口を過ぎ越され、滅ぼす者があなたがたの家に入って、打つことが無いようにされる。」
これは、エジプトの奴隷であったイスラエルを、エジプトの地から救い出すためにされた、神のわざでした。
羊の血がしるしとなって、神の裁きが過ぎ越されたのでした。神の民イスラエルであったから、過ぎ越されたのではありません。神に従って、家のかもいと門柱に血をつけたので、その血の中にいて過ぎ越されたのです。
神は、家の外に出てはならない、といわれたのです。血の外にいれば、イスラエル人でも裁きを受けるのです。また、異邦人でもイスラエルに在留する異国人は割礼を受けるならば、その血の中に入る事が出来ました。
血に力があるのです。イスラエルは奴隷でした。しかし、神は支配者のエジプトを打ち、奴隷のイスラエルを羊の血で守り、エジプトとイスラエルを区別されました。
出エジプトにおいて、イスラエルは、羊の血によって、エジプトと区別されて神の打つ手は過ぎ越され、命が守られて、エジプトから脱出する事が出来ました。
子羊の血は、はっきりとイスラエルとエジプトを分けました。
エジプトから解放されたイスラエルは、神に導かれて荒野を巡り四十年後、神が与えると約束されていたカナンの地(現イスラエルの地)に入りました。
カナンの地には、彼らの先祖アブラハムと妻サラ、イサクと妻リベカ、ヤコブと妻レアの墓があります。イスラエルは、約束の地、先祖の地に定住し、イスラエル国家がつくられました。
それから、千二百年以上経って、神が用意された神の子羊イエスがイスラエルのベツレヘムの地に生まれました。神が御自身のひとり子である神の子を、人の子イエスとして、イスラエルに遣わされたのです。
イエスは、イスラエルに、彼らが「私達の神」と呼んでいる天の父なる神について、永遠のいのちについて、神の御国について教えました。
イエスは、神の計画通りに、過越しの祭りの生贄が献げられる日に、十字架につけられて、罪の贖いのために、傷の無い神の子羊として屠られました。
十字架で流されたイエスの血は、出エジプトの時のかもいと門柱につけられた羊の血のように、神の裁きと滅びを過越すためのしるしです。イエスの血の中にいる者は、神の裁きが過越されるのです。
イエスを神の子、救い主と信じる者にイエスの血がつけられます。神の民イスラエルだけの契約ではありません。この神の子羊イエスの血は、無割礼の者にもつけられます。「イエスは主です」という信仰告白で神の民に加えられた者も、イエスの血を受けるのです。
イエスの血は、「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとい、紅のように赤くても、羊の毛のようになる」と主の御口が語られたように、全き聖とする効力のある贖いの血です。
全き聖なる神が、「聖い」と宣言される血です。イエスの血を受ける者は、イエスの血をご覧になった神から、「この者の罪は贖われて聖い。神の御国に入りなさい」といわれ、神の子となって御国に入るのです。
イエスの血は、生贄の動物の血とは違い、人の良心をもきよめます。罪を知り、罪から離れ、罪を憎む新しい心をその人のうちに創造されるのです。イエスの血を受ける者に、主の霊、真理の御霊が与えられるからです。
イエスの血は、罪贖われて永遠のいのちを受ける神の子と、罪の中で滅びる生まれつきのままの人間を区別します。
イエスの血に覆われるならば、悪しき者はそこに入る事が出来ません。イエスの血は、イエスのいのちであり、悪魔に打ち勝った勝利の血です。
イエスの血は、世から救い出すだけではなく、約束の神の御国へと導きます。イエスの血のあるところに御霊がおられ、御霊が導かれるからです。
イエスを信じて、イエスの血を受けましょう。イエスの血で覆われるように祈りましょう。イエスの血は、私達のいのちです。罪赦され復活する、永遠のいのちなのです。
イエスの血から出てはいけません。日々、キリストの贖いの血を感謝し、イエスの十字架のわざを賛美し、永遠のいのちの主を崇めて歩みましょう。