人生で大切な事は、自分がどこから来たのか、を知ることです。
しかし、この人生で最も大切なことは、学校では教えられません。
多くの人は、成長する中で、(私は何故、生きているんだろう。私は、一体何者なのか。自分は誰なのか。)と答えの出ない疑問を問い続ける時期があります。
宇宙を考えると、あまりにも大きくて掴みどころが無くて、自分の存在が塵の一つであるかのように感じます。自分の存在している地球の外にも世界があって、未知の空間が広がっていることに、憧れに近い恐れを感じます。
地球を取り巻く宇宙があるなら、宇宙も何かに取り囲まれているのだろうか。宇宙の外にも何かあるのだろうか。
思考は、自分の存在を飛び越えて、遥かかなたを旅します。戻って来た時には、長い夢を見ていたような感覚になります。
こんなに人の心を捉える関心事なのに、世の流れの中にあって、もみ消されていきます。ある人は、この疑問が解かれない限り、生きている意味を感じられないと思うのかも知れません。
しかし、世の人々は彼を、夢見る者、世に役立たない者とレッテル付けして、彼らを人生の敗者のように取り扱います。やがて、彼のことを忘れます。
世の人々は目まぐるしく変化する世の波に乗るために、悪戦苦闘しながら、命を使います。
世から忘れ去られ、世の時間から外れた者は、自分に与えられている命の時間を持て余してしまいます。この大事な疑問の糸口が見出せないうちは、何も手が付けられないのです。
人の存在の究極的目的を見出すことは出来るのでしょうか。自分の命を本当に価値あるものに使いたいと思うのは、魂の願望なのでしょう。
誰も答える事は出来ません。答えを知らないのです。極みまで突き詰めた人は少ないので、回答を得るまで至らないのです。希望の光らしき事柄までは到達出来ても、光に、明解な解答に至る手立てはありません。道が無いのです。
その解答は誰が知っているのでしょうか。解答を知る者は本当にいるのでしょうか。道はあるのでしょうか。その道に辿り着くことは出来るのでしょうか。
人の子となって、天から地に来られた神の子がいます。人が地上に存在する前から、宇宙が生まれる前から、永遠の昔から存在しておられる神のひとり子です。
この神の子が、人の姿で人々の間に訪れ、人類が苦悶したこの問題を解き明かしたのでした。
神の御子イエスは、人々に隠されていた、人々が聞くことが出来なかった、真理を解き明かされたのです。この世では聞いたことも、思いつく事も無かった内容です。
人は全能の神によって造られている事を知らされていたユダヤ民族に、イエスは伝えました。人を造った天の神、創造主こそが、真の父であること。神は、人々を生み出した父であり、そして、この父が人を天に帰らせるために、天から御子を遣わされたことを語られました。
天と地の間には、道がありません。イエスご自身が、天に帰る道となられたのです。天から下られた神の子イエスが、地から天に通じる道を設けられたのです。
イエスが、人々の霊の目を塞いでいる肉の呪いを十字架で破り、子羊イエスの贖いの血で聖め、天に入ることの出来る神の子として下さるのです。
そして、天に続くキリストの道を主イエスの霊である御霊が導いて、肉のからだを復活の新しい霊のからだに創造して、父のもとに帰らせて下さるのです。
天の父が真理であり、永遠に変わることなく、存在しておられる方です。
また、イエスは、父が用意された永遠のいのちについて、解き明かされました。天から遣わされたイエスが地上で完成されたわざ、人を神の子とするために行ったわざ、十字架の死で人の不義を贖われた神の御子イエスを信じ、十字架の子羊イエスの血を受けて、イエスを主と告白して生きる者に、父の御前で永遠に生きる、神の子のいのちを与える、ということです。
永遠のいのちとは、神が罪を認めない者、つまり御自身のひとり子イエスと一つとなった人のうちに宿る御霊です。
天の父なる神は、人を地上から引き上げ、神の国で生きる神の子とするために、御自身のひとり子と御霊を地上に送られたのでした。
イエスは、神の国には、神の子たちの住まいがあることもいわれました。霊としてぼんやりと存在するのでは無くて、神の国とは神の子たちの生きる世界なのです。
いつも変動する、不安定なこの世とは違います。失われることはありません。終わりがありません。永遠に、父の愛の中で喜び、感謝と賛美に満ち溢れます。もう、時間を意識することはありません。疑問もありません。すべてが明らかになるからです。
人生で大事なことは、創造主を知り、神から外れている命の使い方を悔い改め、最後の裁きをされる創造主と和解することです。
神との和解とは、人類を代表して、御子イエスが不義を背負い、十字架で処罰されたことで、天の父から外れていた人々の心を神に立ち返らせ、天の父に思いを向けさせて、創造主のもとに帰る道を設けて下さった事を信じることです。
イエスはいわれます。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、誰ひとり父のみもとに来ることはありません。」
人生で大事な事とは、自分が全能の神によって目的を持って造られている事を知り、命を与えて下さった創造主である御父のみもとに帰る人生を生きる事なのです。