ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

聖書の権威⑮ーキリストの教会ー


  イエスは、弟子達に尋ねていわれた。「人々は人の子をだれだと言っていますか。」

  彼らは言った。「バプテスマのヨハネだと言う人もあり、エリヤだと言う人もあります。またほかの人達はエレミヤだとか、また預言者のひとりだとも言っています。」
 

  イエスは、彼らにいわれた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」

  シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」

  するとイエスは、彼に答えていわれた。

  「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。では、わたしもあなたにいいます。あなたはペテロ(岩)です。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。」

  
  イエスは、ユダヤ人の王として、地上に来られたのに、ユダヤ人達はその事を正しく捉える事が出来ませんでした。

  イエスが行う数々の奇跡やしるしを見ても、イエスが神が遣わされたキリストであるという事を信じられなかったようです。

  しかし、弟子の一人ペテロは違いました。

 
  兄弟アンデレに「メシアに会った」と言って、イエスのもとに連れて来られたシモンに目を留めて、イエスはいわれました。

  「あなたはヨハネの子シモンです。あなたをケパ(訳すとペテロ)と呼ぶことにします。」

  イエスは、シモンのうちにある、神への熱意、熱い心をご覧になったのでしょう。シモンをペテロ(岩)と呼ばれたのです。

  そのペテロが、イエスの望み通りの告白をしたのでした。それまで誰もイエスを神の御子と言う者はいませんでした。

  イエスはこの告白を、ユダヤ人のうちに見つけたかったのです。やっと、ペテロのうちに見出す事が出来ました。

  イエスが生ける真の神が遣わされた、神の御子である事をご自分の民イスラエルが信じて迎える事こそが、父なる神の喜びであり、誉れでした。

  イスラエルは、神が造られた神の民でした。神と契約を持つイスラエルは、メシアを待ち望む民族でした。

  神は、メシアを待ち望むイスラエルにご自分の御子を遣わされました。

  それまで神は、イスラエルに預言者を何人も遣わされました。頑ななイスラエルは、神の言葉を語る預言者を袋叩きにしたり、殺したりしました。

  「わたしの御子なら、敬ってくれるだろう」といって、最後に神ご自身のひとり子を遣わされましたが、この御子も十字架につけて殺してしまいました。


  イエスは、神が契約を結んだアブラハム、イサク、ヤコブの子孫に迎えられるはずのイスラエルの王なのです。ダビデの子として、彼らの民族から生まれた、彼らのメシアなのです。

  キリストは、ユダヤ民族が「わが主、わが神」と言って、キリストを信じる民となるのを待っておられます。

  「イエスが生ける神の御子、先祖の神が遣わされたキリストです」という、ユダヤ民族の告白の上に、この岩(アブラハム、イサク、ヤコブの子孫、イスラエルの信仰)の上に、キリストはキリストの教会を建てられます。

  この岩の上に建てられていない教会は、苦難の中で大きく倒れてしまいます。

  
  異邦人の教会は、キリストの土台の上に教会を建てたつもりでも、キリストが立っておられる岩(イスラエル)を重要ではないと考えて、岩の無い所に建ててしまっています。

  多くの教団・教派が一つとなる要としても、イスラエルの存在は、大切なのです。

  イスラエルの王を迎えるために、イスラエルがイエスを主と告白できるように、執り成さなければなりません。祈りがなければ、実現する事は困難です。

  キリストが建てられる教会の岩が、教会の機能を果たすように、イスラエルを祝福することは大切です。

  イスラエルは、イエスを生み出した民族です。地上に、復活のキリスト、イスラエルの王を迎える民族です。キリストの民族を愛しましょう。

  イスラエルを祝福する事で、どの教団・教派も、神の霊によって一つとなるのです。愛は結びの帯として完全なものです。

  異邦人信者は、イスラエルの台木から養分を受け取っているのです。イスラエルを祝福する事は、異邦人の教会の祝福となるのです。

  イスラエルと教会の関係について、また、イスラエルについての知識を得たり、また、イスラエルのために祈ることは、ブリッジス・フォー・ピース(BFP japan)のハイナイトが、良い働きをしておられます。