ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

どうしても必要なこと

 

  母の胎から出て来て、人は死ぬまでに多くの経験を積み重ねていきます。より良い人生を送ろうと努力します。

 

  何がより良い人生なのでしょうか。本人が幸せに感じて、良かったと思える人生が良い人生でしょうか。

 

  あるホスピスの医師は、多くの人の死に直面して、自分の人生に満足して逝かれる人の共通点を著書に書いておられます。

 

  それは、若い時から、こうなりたいと思って目指してきた目標を達成した人でしょうか。願っていた通りの生活を送っている人でしょうか。人々から成功者と言ってもらえる生活を送っている人でしょうか。

 

  穏やかに亡くなっていく人の共通点は、才能や能力や経済的豊かさや地位は関係無いようです。温かい家族がいる人だそうです。

 

  聖書には、金銭を愛する者は、金銭に満足しない。富を愛する者は収益に満足しない。財産が増えると、寄留者も増える。むなしい事だ、と言っています。

 

  目標に向かって、走っている時は気づきません。その目標が達成して、また新しい目標を持つ事が出来る人もいますが、人生の終わりに差し掛かると、過去を振り向く余裕が出来ます。自分の人生を振り返って何を思うのでしょう。

 

  満足そうに微笑みながら、人生を閉じる人の共通点は、仲の良い家族に囲まれている人だそうです。生まれて来た時も家族の中にいました。死んでいく時も家族に看取られる事が心を充足する事のようです。

 

  家族との不和は、どんなに豊かな暮らしをしていても、心の安定を乱すようです。特に、本人が誰かを赦していない場合や、赦されていないと思う場合は、穏やかではいられないようです。

 

  母の胎から出て来た時のように、また裸でもとの所へ帰る。人は、労苦によって得たものを、何一つ手に携えて行く事は出来ないのです。何のための努力だったのか、と思うでしょう。

 

  自分自身の穏やかな死を見つめたら、生き方も変わって来るのかも知れません。

 

  イエスはいいます。「どうしても必要なことはわずかです。いや、一つです。」口語訳聖書では、「無くてはならぬものは多くはない。いや、一つだけです。」とあります。

 

  随分前の話ですが、東京大学の学長が入学式の挨拶で、「人生で大切なことは、三つです。良い食事をきちんと取る事と、しっかり睡眠を取る事と、聖書を読む事です」と言われたというのを聞いたことがあります。

 

  宗教という意味で言われたのではなくて、聖書には、人生の指針となる言葉がある、という事だったと思います。確かに世界的な偉人の多くは聖書を読んでいます。

 

  聖書の神を信じる人にとっては、聖書のことばには、より豊かな人生を送るための知恵が書かれている書、という所には留まりません。

 

  イエスがいわれたように、無くてはならないただ一つの事が書かれているのです。いのちについて書かれた書だからです。

 

  今、人が地上で生きているのは、死なないいのち、永遠のいのちを受けるためなのです。どう生きるかよりも、いのちの神のことばを一心に聞く事が、本当に大切なことなのです。

 

  私達は何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持たないでこの世を去って行きます。でも、永遠のいのちという永遠の財産を携えて行くことは出来ます。永遠のいのちは目に見えるものではありません。

 

  永遠のいのちを受けた人は、死んでいく命で生きるのではなくて、永遠に死なないいのちで生きる者とされるのです。

 

  イエスがいわれた、無くてはならない、どうしても必要なものとは、永遠のいのちの事なのです。また、どうしても必要なこととは、神のことばに耳を傾ける事なのです。そして、イエスが天の神から遣わされた、永遠のいのちを与える神の子、救い主キリストである事を知り、信じる事です。

 

  人は生きているうちに多くの言葉を耳にします。しかし、殆どの言葉は、いのちに影響を与えない過ぎ去って行く言葉です。イエスのことばは違います。人々に永遠のいのちを得させたいと思って、語っておられる真理のことばです。

 

  聖書のことばは、永遠のいのちを得させるために書かれた書物です。

 

  人生で得たもののすべて、この世に置いて行くわけですが、目に見えない永遠のいのちはその魂とともに、天の父のもとに帰ります。

 

  永遠のいのちを得た人は、せっかく得た永遠のいのちをこの世に残して行くことはありません。永遠のいのちは、永遠にその人のものです。死んでも、その人に残る永遠の財産なのです。

 

  お金があっても、持っていけません。お金があっても、永遠のいのちを買うことは出来ません。キリストがひとりひとりに与えて下さるものなのです。

 

  この世で、ただ一つ永遠に得られるもの、永遠の財産は、イエスのことばを聞き、イエスのことばを宝のように愛し、イエスのことばとともに歩むことで得られます。

 

  神のことばのうちに真理があり、聖書は人を生かすための書です。永遠に生きるための書なのです。私達にどうしても必要ないのちは、聖書の中に書いてあります。

 

  後悔しない人生を送りたい人、自分が生きている意味を知りたい人、本当の愛を知りたい人、人生に疲れて肩の荷を下ろして楽になりたい人、悩みのある人も、100%自分を受け入れてくれる人を望んでいる人も、イエスの名を呼んでみてください。

 

  目に見えるものは、確かなものではありません。目に見えないイエスに心を向けて、イエスを求めてください。イエスは、人を造られた創造者ですから、創造者と良い関係となる事は、仲の良い家族の中にいる以上の平安が訪れます。

 

  自分の魂の創造者のもとに帰ること、これにまさる人生はありません。

 

 

    著作本 『人はどこから来てどこへ行くのか』鍵谷著 (青い表紙の本)

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