ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

マリアはイエスの母でなくなった


  イエスが十字架につけられました。イエスの十字架のそばには、イエスの母マリアと母の姉妹と、クロパの妻のマリアとマグダラのマリアが立っていました。


  イエスは、母マリアと、そばに立っている愛する弟子ヨハネとを見て、母にいわれました。「女の方。そこに、あなたの息子がいます。」


  また、弟子ヨハネにいわれました。「そこに、あなたの母がいます。」


  その時から、イエスの弟子ヨハネはマリアを自分の家に引き取りました。イエスには、ヨセフとマリアの子である弟や妹がいましたが、母マリアを弟子のヨハネの母としたのでした。つまり、マリアは、自分の産んだ子達の母ではなく、イエスの弟子のヨハネの母として人生を過ごしたのです。


  マリアは、ヨハネの母となり、ヨハネはマリアから、イエスの生まれた次第、イエスにまつわる数々のエピソードを詳しく聞き知ったと思われます。

  そして、神の御子を宿すにふわさしい女として選ばれた純真な心のマリアから聞く、イエスがキリストであると証する数々の証言に、ヨハネの信仰は神に深く根づく確信となり、御父を知る者となる霊的影響を受けたと思われます。


  また、マリアはキリストに忠実な弟子のヨハネの母となる事で、信仰が守られたのでしょう。マリアが、キリストを産んだ母として讃えられ、メシアの母聖女として祭り上げられる恐れがあったからです。

  イエスは、神のことばを信じ、受け入れ、従ったマリアの信仰を守り、また、神の栄光の輝きを汚す悪魔の手に落ちる事から守られました。


  このヨハネは、神がキリストにお与えになり、御使いを遣わして、ヨハネに告げられた、イエス・キリストの黙示である『ヨハネの黙示録』を書いた人物です。

  

  イエスを産んだ母マリアは、十字架以降は、イエスの母ではなく、ヨハネの母となりました。マリアは、人の子イエスの母でしたが、神の子羊イエスの母ではなく、また、キリストの母でもありませんでした。


  キリストに母はなく、キリストは、父と聖霊と不離一体の神の御子なのです。

  神の御前で讃えられるのは、神の子羊イエス・キリストであって、マリアではありません。

  神の前に立つ時、マリアは、すべての人と同じで、人々の中にいます。裁きの座におられる方は、父なる神と神の子羊キリストです。


  イエスがイスラエルを巡っておられる時、群衆の中から、声を張り上げて、イエスに叫ぶひとりの女がいました。「あなたを産んだ腹、あなたが吸った乳房は幸いです。」 
 
  しかし、イエスは、それに答えていわれました。「いや、幸いなのは、神のことばを聞いてそれを守る人たちです。」

  聖霊によって身籠ったマリアが、親類のエリサベツの家に行って挨拶した時、エリサベツは聖霊に満たされて大声をあげて言いました。「あなたは女の中の祝福された方。あなたの胎の実も祝福されています。」


  それに答えて、マリアは言いました。「わが魂は主を崇め、わが霊は、わが救い主なる神を喜び讃えます。主はこの卑しいはしために目を留めて下さったからです。本当に、これから後、どの時代の人々も、私を幸せ者と思うでしょう。」

  しかし、イエスはいわれます。「いや、幸いなのは、神のことばを聞いてそれを守る人たちです。」


  神のことばを聞いて守る人たちは、神の御前で永遠に生きるのです。イエスを産んだマリアもその人々の中にいる一人です。


  イエスがまだ群衆に話しておられる時に、イエスの母と兄弟達が、イエスに何か話そうとして、外に立っているのを見て、誰かが言いました。「あなたのお母さんと兄弟達が、あなたに話そうとして外に立っています。」


  しかし、イエスはいわれました。「わたしの母とは誰ですか。また、わたしの兄弟達とは誰ですか。」それから、イエスは手を弟子達の方に差し伸べていわれました。

  「見なさい。わたしの母、わたしの兄弟達です。天におられるわたしの父の御心を行う者は誰でも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。」

  イエスは、この地上に、肉による家族を残しませんでした。地上には母もなく、妻もなく、子どももいません。


  イエスは、肉によるのではない、霊における神の子を集め、神の家族を御父のために整えられます。イエスのことばを聞き神を信じる者、キリストを信じ御霊とともにいる者、御霊に従い御父の御心を行う者を高くあげられるのです。