ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

神に求めましょう

 

  ダビデの子ソロモンが王となりました。ソロモンと会衆は主に求めました。

 

  一千頭の全焼の生贄を献げたその夜、神がソロモンに現れて、ソロモンに仰せられました。「あなたに何を与えようか。願え。」

 

  ソロモンは神に言いました。

  「あなたは私の父ダビデに大いなる恵みを施されましたが、今度は父に代わって私を王とされました。そこで今、神、主よ、私の父ダビデになさったあなたの約束(あなたの家とあなたの王国とは、わたしの前にとこしえまでも堅く立つ)を堅く守って下さい。あなたは、地の塵のようにおびただしい民の上に、私を王とされたからです。

 

  今、知恵と知識を私に下さい。そうすれば、私はこの民の前に出はいり致します。さもなければ、誰に、この大いなるあなたの民を裁くことが出来ましょうか。」

 

  神はソロモンに仰せられた。

  「そのようなことがあなたの心にあり、あなたが富をも、財宝をも、誉れをも、あなたを憎む者達の命をも求めず、更に長寿をも求めず、むしろ、私があなたを立てて私の民の王としたその民を裁くことが出来るようにと、自分のために知恵と知識を求めたので、その知恵と知識とはあなたのものとなった。その上、私はあなたの前の、また後の王達にも無いほどの富と誉れをあなたに与えよう。」

 

  こうして、ソロモンは祈り求めた通りの知恵者となったのです。

 

  ふたりの遊女がソロモン王の前に立ちました。一人の女が言いました。

  「わが君。私とこの女とは同じ家に住んでおり、私が子どもを産んで三日後にこの女も子どもを産みました。

  ところが、夜の間に、この女が伏してこの女の産んだ子が死にました。この女は夜中に起きて、眠っている私のそばから、私の子を取って、自分の懐に抱いて寝かせ、自分の死んだ子を私の懐に寝かせたのです。

  朝、私が子どもに乳を飲ませようとして起きてみると、子どもは死んでいるではありませんか。朝、その子をよく見てみると、その子は私が産んだ子では無いのです。」

 

  すると、もうひとりの女が言いました。

  「いいえ、生きているのが私の子で、死んでいるのはあなたの子です。」

 

  先の女は言いました。「いいえ、死んだのがあなたの子で、生きているのが私の子です。」こうして、女達はソロモン王の前で言い合いました。

 

  そこで、ソロモン王は言いました。

  「ひとりは『生きているのが私の子で、死んでいるのはあなたの子だ』と言い、また、もうひとりは『いや、死んだのがあなたの子で、生きているのが私の子だ』と言う。」

 

  そして、ソロモン王は、「剣をここに持って来なさい」と命じました。剣が王の前に持って来られると、ソロモン王は言いました。

  「生きている子どもを二つに断ち切り、半分をこちらに、半分をそちらに与えなさい。」

 

  すると、生きている子の母親は、自分の子を哀れに思って胸が熱くなり、ソロモン王に申し立てました。「わが君。どうか、その生きている子をあの女にあげてください。決してその子を殺さないでください。」

  しかし、もうひとりの女は、「それを私のものにも、あなたのものにもしないで、断ち切ってください。」と言った。

 

  そこでソロモン王は宣告を下して言いました。

  「生きている子どもを初めの女に与えなさい。決してその子を殺してはならない。彼女がその子の母親なのだ。」

 

  イスラエル人は皆、ソロモン王が下した裁きを聞き、彼のうちに神の知恵があって裁きをするのを見て、神がともにおられるソロモン王を恐れました。

 

  ソロモン王は、紀元前十世紀の人です。

 

  神に喜ばれることを求めたソロモン王は、知恵と知識と富と財宝と誉れを神から受けたのです。

 

 

  母教会(洗礼を受けた教会)の一人の姉妹は、とても美しい声で賛美をします。話し声は普通なのに、歌声は澄んでおり、美しく響くのです。

 

  ある時、その姉妹に言いました。「本当に美しい歌声ですね。まるで、天使の歌声のようですね。」

 

  その姉妹は言いました。「祈ったのよ。天使のような歌声をください。美しい声で主を賛美することが出来ますように、と祈ったの。そうしたら、神がこの声を下さったの。」

 

  へぇ、祈ったら与えられるのか、と驚いたものです。

 

  神学生の頃、奉仕していた教会の牧師夫人が言われました。

 「アパートで教会を始めた頃は楽器がなくても良かったけれど、会堂を持つ時には、楽器と楽器を演奏してくれる伴奏者を切に祈り求めたわ。そうしたら、教会に、ピアノが弾ける人が来て、今では音楽教師をしている人が伴奏しているのよ。」

 

  祈ったら、願った以上の本格的な人々が集められた、とのことでした。

 

  周囲のクリスチャンも皆、言っていました。「祈った者勝ちよ。」勝ち負けではないですが、祈っている人の方が、賜物も恵みも多く受け取っていると思います。

 

  一方、主に熱心に仕えていても、祈りが聞かれなかった人もいます。使徒パウロです。肉体の目の弱さを神に訴え、この弱さを取り除いてくださいと何度も祈りましたが、聞かれませんでした。

 

  主はパウロにいわれたのです。「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである。」

 

  そして、パウロは、神が与えられる啓示の素晴らしさに私が高ぶることが無いようにと、肉体に一つのとげを与えておられるのだ、と理解しました。

 

  神の御心を知ったパウロは言いました。

  「私は、キリストの力が私を覆うために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。何故なら、私が弱い時にこそ、私は強いからです。」

 

  それで、パウロは、多くの啓示を神から受けて、信者を励まし、真理を解き明かし、多くの書簡を残しました。