「きょうダビデの町(ベツレヘム)で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」(ルカ2:22)
このみことばによって、クリスマスが祝われます。異邦人は、救い主イエス・キリストの降誕を記念して祝います。
主キリストが救い主であることはわかりました。ダビデの町って何でしょう。救い主とダビデの町に何の関係があるのでしょう。この方は、日本人を救ってくださる方なのでしょうか。それならば、何故遠い異国の地でお生まれになったのでしょうか。
このみことばは、異邦人に語られたのではなく、ユダヤ人に語られたことばだったのです。イエスがベツレヘムでお生まれになったとき、ユダヤ人の羊飼いたちに現われて、御使いが語ったことばなのです。
主の御使いが現られ、回りは主の栄光に照らされました。羊飼いたちは、この栄光の光の中で、非常に恐れました。主の栄光を体験するのは、神の人モーセや年に一度至聖所に入る大祭司など、神に召された人たちです。民衆が神の栄光を見ようと来るならば、聖なる神は、怒りを発せられます。神に召されていない者は、聖なる神に近づくことができません。汚れた者が聖なる神に触れることは、死を意味します。
御使いは、恐れる羊飼いたちに言いました。
「恐れることはありません。今、私はこの民全体のための素晴らしい喜びを知らせに来たのです。」
聖なる光景を見た羊飼いたちは、神の栄光を見て罰せられる者ではなくて、主キリストの降誕を目撃する者として選ばれたのでした。彼らは、その後、急いで救い主のおられる飼い葉おけを捜し当てたのでした。
ベツレヘムは、ダビデ王の生まれた地です。神は、ダビデ王に、預言者ナタンを通して語っておられました。
「あなたの日数が満ち、あなたがあなたの先祖たちのもとに行くようになるなら、わたしは、あなたの息子の中から、あなたの世継ぎの子を、あなたのあとに起こし、彼の王国を確立させる。
彼はわたしのために一つの家を建て、わたしはその王座をとこしえまでも堅く立てる。
わたしは彼にとって父となり、彼はわたしにとって子となる。わたしはわたしの恵みをあなたの先にいた者から取り去ったが、わたしの恵みをそのように、彼から取り去ることはない。
わたしは、彼をわたしの家とわたしの王国の中に、とこしえまでも立たせる。彼の王座は、とこしえまでも堅く立つ。」(歴代誌Ⅰ 17:11-14)
ダビデの死後、ダビデの子ソロモンによって、イスラエル王国は確立しました。そして、ソロモン王は、神のために神殿を建てました。
神は、王の宮殿ではなく、神殿にダビデ王の子の王座をとこしえまでも堅く立てることを約束されました。
そして、その王座に着く子(ダビデの子)にとって神が父となり、その王座に着く子は神にとって子となる、と言われたのです。
神は初めの王サウル王の王座を取り去って、ダビデに王位を授けられました。サウル王は神にへりくだる王ではありませんでした。神は、サウルを退け、神に忠実なしもべダビデを召されたのでした。
神は、ダビデに与えた恵みは取り去られることがない、と約束されました。神は、ダビデのあとに立つ王たちが悪い者であっても、この約束を覆されることはありません。現にソロモン王は、外国人の大勢の妻たちによって偶像を拝み、父ダビデのように、神とひとつ心ではなかったのです。
神がダビデに約束された、とこしえまでも堅く立てる王(ダビデの子)とは、神のひとり子イエス・キリストのことでした。
神は、神のひとり子イエス・キリストを神の家イスラエルと神の王国(キリストが王となる千年王国)の中に、とこしえまでも立たせられるのです。主イエス・キリストの王座は、とこしえまでも堅く立つのです。
主キリストは、ダビデの町ベツレヘムでお生まれになりました。ユダヤ人は、救い主をお与えになったイスラエルの神を褒めたたえました。羊飼いたち、シメオン、アンナがいました。
異邦人は、まことの神を知りませんでした。救いをもたらすしるしを、「ユダヤ人の王」として知らされていました。「ユダヤ人の王」としてお生まれになった明けの明星を拝みました。
ユダヤ人はまことの神を礼拝する民です。しかし、神を父としては知りませんでした。イエスが、父を教えられました。全能の神としてユダヤ人たちが礼拝している神は、イエスの父だったのです。イエスは、イスラエルが「私たちの神」と呼ぶ神を、父なる神として知らされたのです。
まことの神の存在を知らない異邦人は、思い思いに神を造り、偶像の神々を拝んでいました。異邦人は、救い主イエス・キリストによって、まことの神の存在を知るのです。
まことの神は、人間が作った偶像の神々とは違います。人を造られた全知全能の神です。目には見えないが、天地万物を造られた、はじめからおられる方です。
ユダヤ人は「神」と言えば、父なる神を思い浮かべます。父なる神ということの知識のないまま、イエスの父である神を、イスラエルの神と信じています。
異邦人は、イエス・キリストを主とし、礼拝します。
「私たちの主イエス・キリストの父なる神が褒めたたえられますように。神は、御自分の大きな憐れみのゆえに、イエス・キリストが死者の中から甦られたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。
あなたがたは、信仰により、神の御力によって守られており、終わりのときに現わされるように用意されている救いをいただくのです。」(ペテロⅠ 1:3,5)
ユダヤ人は、イエス・キリストを私たちにお与えくださった父なる神を礼拝します。
ユダヤ人のパウロは言います。
「すべての口が『イエス・キリストは主である。』と告白して、父なる神が褒めたたえられるためです。」(ピリピ2:11)
イエスは、父を知らせてくださいました。イエスはご自分の栄光を望んではおられませんでした。栄光は父から受けるものなのです。イエスは、父が褒めたたえられ、父が栄光をお取りになることを望んでおられたのです。
神の御子というからには、父である神もおられるのです。イエスを信じる者は、イエスによって父なる神を教えられている者です。天で崇められている父なる神を、イエス・キリストの名によって、礼拝しましょう。
クリスマスが、御子イエスをお与えくださった父なる神、救い主キリストを遣わして
くださった父なる神に感謝し、イエスの父を褒めたたえる時になったらいいですね。