ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

宗教の奴隷を解放されるキリスト

 

 パウロは言います。

 「アブラハムにふたりの子(神の契約と祝福とをイサクに相続した後に、アブラハムがそばめを得、そばめに生まれた子どもたちは、契約の使命から解放されたアブラハムの子らです。それゆえ、神の契約と祝福が父アブラハムとともにあった子どもは、イシュマエルとイサクのふたりです。)があって、ひとりは女奴隷(エジプト人の女奴隷ハガル)から、ひとりは自由の女(妻サラ)から生まれた、と書かれています。

 女奴隷の子は肉(アブラハムの肉の行為)によって生まれ、自由の女の子は約束(神の御霊)によって生まれたのです。

 このことには比喩があります。この女たちは二つの契約(古い契約と新しい契約)です。一つ(古い契約すなわち旧約)はシナイ山(モーセの律法)から出ており、奴隷となる子を産みます。その女はハガル(宗教の奴隷)です。このハガルは、アラビヤにあるシナイ山のことで、今のエルサレム(地上のエルサレム)に当たります。なぜなら、彼女(血肉のイスラエル)はその子どもたちとともに奴隷(律法の奴隷)だからです。

 しかし、上にあるエルサレム(天の御国)は自由であり、私たちの母(御霊によって生まれる子)です。

 すなわち、こう書いてあります。

 『喜べ。(肉の)子を産まない不妊の女よ。声をあげて呼ばわれ。産みの苦しみを知らない女よ。夫に棄てられた女(権威ある者〈祭司長たち〉に見限られ、イスラエルではないと捨てられ、神の御霊によって新しく生まれるユダヤ人)の産む子どもは、夫のある女(祭司長や律法学者などによって守られるイスラエル)の産む子どもよりも多い。(肉のままのイスラエルよりも、新しく創造される御霊のイスラエルのほうが、数が多い。)』

 (主イエス・キリストにある)兄弟たちよ。あなたがたはイサクのように(神の御霊が生んだ)約束の子です。

 しかし、かつて肉によって生まれた者(女奴隷ハガルの子イシュマエル)が、御霊によって生まれた者(妻サラの子イサク)を迫害したように、今もそのとおりです。(血肉のイスラエルは、神の御子キリスト・イエスを信じる霊のイスラエルを迫害します。)

 しかし、聖書は何と言っていますか。『奴隷の女とその子ども(生けるまことの神の御霊を締め出す宗教の奴隷)を追い出せ。奴隷の女の子ども(宗教の霊に縛られた宗教の奴隷)は決して自由の女の子ども(神の御子主キリストによって宗教の奴隷から解放され、生けるまことの神に仕える者)とともに(天の御国の)相続人になってはならない。』

 こういうわけで、(主キリストにある)兄弟たちよ。私たちは奴隷の女の子ども(宗教の奴隷)ではなく、自由の女の子ども(神の御子キリストの兄弟であり神の子ども)です。」(ガラテヤ4:22-31)

 

 新しいイスラエル(キリストの御霊によって新しく生まれた神の民)に向かって、語られたパウロのことばです。

 イエス・キリストを信じ、「わが主。」と告白するユダヤ人のうちに、モーセの律法の民であるという誇りを捨てられない人々がいます。神の選びの民ユダヤ人は、異邦人とは違います。神の民として守るべき律法を持つ、祭司の民です。彼らの誇りなのです。

 

 「律法の下にいたいと思う人(ユダヤ人)たちは、私(パウロ)に答えてください。あなたがたは律法の言うことを聞かないのですか。」(ガラテヤ4:21)

 

 「律法には、モーセと預言者(モーセのようなもうひとりの預言者)があります。その言うことを聞くべきです。」(ルカ16:29)

 

 十字架に掛かられたナザレのイエスこそ、モーセの語った「神がイスラエルに遣わされるもうひとりの預言者、主キリスト」です。

 ナザレのイエスの誕生から死に至るまで、また、死からの甦りと復活のからだと目に見える有様で天に上られたこと、そして、イエスの約束どおり、エルサレムに集まる弟子たちの上に聖霊を下させられたこと、これらは聖書のみことばの成就であり、イエスが主キリストである証です。

 

 律法の下にいながら、神が遣わされた主キリストに聞き従わないならば、その者は、律法の違反者です。

 なぜならば、モーセはイスラエルに、「あなたの神、主は、あなた(イスラエル)のうちから、あなたの同胞(ユダヤ人)の中から、私(モーセ)のようなひとりの預言者(主キリスト)をあなた(イスラエル)のために起こされる。彼(神の子羊)に聞き従わなければならない。」(申命記18:15)と命じたからです。

 

 ペテロも言っています。

 「モーセはこう言いました。『神である主は、あなたがた(イスラエル)のために、私(モーセ)のようなひとりの預言者(イスラエルを約束のカナンの地に導き上るために、奴隷の家エジプトから民を連れ出すモーセを立てられた神が、同じように、奴隷から解放し安息の地に導き入れるために立てられる預言者)を、あなたがたの兄弟たち(ユダヤ人)の中からお立てになる。この方(主キリスト)があなたがた(イスラエル)に語ることはみな聞きなさい。

 その預言者(神が神の約束の成就のために立てられる救い主、主キリスト)に聞き従わない者はだれでも、民(聖なる契約のイスラエルの民)の中から滅ぼし絶やされる。』」(使徒3:32,33)

 

 モーセの時代、モーセにつぶやき言い逆らった民はみな、荒野で死にました。奴隷の家エジプトから出た時にいたイスラエルの成人男子六十万人は、神に信頼し神とモーセに忠実であったカレブとヨシュアのふたりを除いて、みな荒野で死に絶えたことを思い出しましょう。

 

 奴隷の家エジプトで四百年間奴隷だった民族へブル人(ユダヤ民族)は、神に召されたモーセによって奴隷の家から連れ出され、荒野で神の律法(モーセの十戒)を受けて、神の奴隷となりました。

 イスラエルは、人間の奴隷から、神の奴隷になったのです。そして、神は、御自身をイスラエルの神と名乗られました。神は、イスラエルの民が神に忠実であるならば、神の祭司の国民とすると約束されました。

 その約束を受けて、イスラエルは、カナンの地に入ってイスラエル国家を築きました。

 

 イスラエルに、神の御心にかなうダビデ王が立ちました。ダビデは、イスラエルの神に忠実なしもべでした。ダビデの子ソロモンが王位を受け継ぎました。

 

 かつてモーセは、「カナンの地に住む強い民を聖絶しなければならない。彼らと何の契約も結んではならない。容赦してはならない。また、彼らと縁を結んではならない。ユダヤ人の娘を彼の息子に与えてはならない。彼の娘をユダヤ人の息子にめとってはならない。彼はユダヤ人の息子を私(イスラエルの神の律法)から引き離すであろう。彼ら(ユダヤ人)がほかの神々に仕えるなら、主の怒りがあなたがた(イスラエル)に向かって燃え上がり、主はあなた(イスラエル)をたちどころに根絶やしにしてしまわれる。」(申命記7:1-4)とイスラエルに命じました。

 

 神は、ソロモンに二度現われて、「外国の女をあなたがたの中に入れてはならない。さもないと、彼らは必ずあなたがた(神の民イスラエル)の心を転じて彼らの神々に従わせる。」と仰せられました。(列王記第一11:1,2)

 しかし、ソロモンは神の忠告を聞かず、外国の女たちを妻とし、妻たちが持ち込んだ外国の神々を拝み、神を怒らせました。

 

 「主はソロモンに仰せられた。『あなたがこのようにふるまい、わたしが命じたわたしの契約と掟を守らなかったので、わたしは王国(イスラエル王国)をあなたから必ず引き裂いて、あなたの家来に与える。しかし、あなたの父ダビデに免じて、あなたの存命中は、そうしないが、あなたの子の手からそれを引き裂こう。

 ただし、王国全部を引き裂くのではなく、わたしのしもべダビデと、わたしが選んだエルサレムのために、一つの支族(最初のイスラエルの王サウルを出したベニヤミン族)だけをあなたの子に与えよう。』(列王記第一11:11-13)

 

 こうして、ソロモンの治世は父ダビデに免じて守られましたが、ソロモンの子レハブァムの治世に、イスラエル王国は南ユダ(ユダ族とベニヤミン族の二支族)と北イスラエル(ほかの十支族)に分裂し、ダビデの子孫は南ユダの王となりました。

 

 幾度も逆らい、神に懲らしめられたイスラエルですが、とうとう十支族(北イスラエル)はアッシリアに捕囚されて、その後、離散しました。そのことは、失われた十支族と呼ばれました。

 南ユダはバビロンに捕囚され、七十年後にイスラエルに帰還しました。エルサレムの神殿が崩壊されたユダヤ人たちは偶像の神々が崇められるバビロンにいる間に、イスラエルの神こそがまことの神であるとわかり、神に立ち返りました。

 そして、モーセの律法に忠実な者となって帰還し、廃墟となったエルサレムの城壁を建て直しました。

 

 律法の下で神に仕えるイスラエルは、神に祭司の国民として認められました。そして、神は、神の律法に仕えるイスラエルに、神の子羊イエス(神のひとり子キリスト)を遣わされました。

 

 神の祭司の国民ユダヤ人は、神がイスラエルに遣わされた神の子羊イエスを十字架で屠り、子羊イエスの贖いの血を流して世の罪を取り除くわざを成し遂げました。

 

 イスラエルは、神が祭司の国民と認めるほどに、神の律法に忠実であることに心を砕く民ですが、律法の奴隷となってしまいました。

 律法は民の思いをふさぎました。律法によって裁き、罪に定め、訴える者となっていたのです。ユダヤ人たちは、律法によってがんじがらめにされました。神の御名を恐れながら、律法に縛られた奴隷です。

 律法が偶像になってしまったのです。偶像は思いを暗くし、真理の光を見えなくさせます。神の律法に仕えながら、仕えている神がわからないのです。

 

 アブラハムから始まった信仰、イサクの信仰、ヤコブの信仰、モーセの信仰、ヨシュアの信仰、ダビデの信仰、エリヤの信仰は、生けるまことの神とともにありました。彼らのうちにあったのは、信仰です。

 しかし、律法の下にいるユダヤ人たちのうちにあるのは、掟です。伝統、しきたり、人間の教えです。生ける神から受けることばではありません。

 信仰に、宗教の霊が入ったからです。宗教の霊が、律法の下にいる彼らを支配しているのです。神の霊ではありません。

 

 モーセのようなもうひとりの預言者(主キリスト)は、この律法の奴隷たちを、宗教の霊から解放し、律法の奴隷(奴隷の子ども)から神の御霊の子ども(自由の子ども)にされるのです。

 

 このことは、キリスト教会にも言えます。神の御子イエス・キリストを信じ、イエス・キリストの御名に仕えながら、宗教の霊に支配され、霊が縛られています。神よりも、教会や牧師や長老たちの方が力を持っています。神のみことばでさばき合い、人間の教えを押し付けられて霊は傷だらけで、喜びはなく、霊は飢え乾いています。

 

 神の敵である悪魔は、ユダヤ人もキリスト者も宗教に熱心であるように仕向けて、生ける神から引き離して行くのです。

 イエスは、律法の奴隷も、宗教の奴隷も解放して、自由の子としてくださる唯一の助け主です。

 

 神は、ユダヤ人もクリスチャンも宗教の霊から解放し、とこしえの安息(天の御国)に導き入れてくださる良き神様です。

 イエスは、ユダヤ人たちの傷もクリスチャンたちの傷も、また、宗教の霊の奴隷たちの傷をも癒し、慰め、魂に安らぎを与えてくださるキリストです。