ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

わたしの食事を味わう者はいない

 

  イエスはいわれた。

  「ある人が盛大な宴会を催し、大勢の人を招いた。宴会の時刻になったのでしもべをやり、招いておいた人々に、『さあ、おいでください。もうすっかり、用意が出来ましたから』と言わせた。

 

  ところが、皆同じように断り始めた。最初の人はこう言った。『畑を買ったので、どうしても見に出掛けなければなりません。すみませんが、お断りさせていただきます。』もうひとりはこう言った。『五くびきの牛を買ったので、それを試しに行くところです。すみませんが、お断りさせていただきます。』また、別の人はこう言った。『結婚したので、行くことが出来ません。』

 

  しもべは帰って、このことを主人に報告した。すると、怒った主人は、そのしもべに言った。『急いで町の大通りや路地に出て行って、貧しい人や、不具の人や盲人や、足なえをここに連れて来なさい。』

 

  しもべは言った。『ご主人様。仰せの通りに致しました。でも、まだ席があります。』

 

  主人は言った。『街道や垣根のところに出掛けて行って、この家がいっぱいになるように、無理にでも人々を連れて来なさい。言っておくが、あの招待されていた人達の中で、私の食事を味わう者は、ひとりもいないのです。』」

 

  神の国で食事を味わう者とは、天の御国に入る人のことです。

 

  多くの人がイエス・キリストの御名によって、信仰を告白し、神の子とされる特権を受けます。特権を受けながら、神の子とされるための歩みを始める人は、多くはありません。

 

  財産を増やすことに心砕いたり、自分の能力を伸ばして自分の可能性に注意を払ったり、人への愛に夢中になったりと、心はなかなか神に向きません。

 

  救われて永遠のいのちを貰ったと思って、安心してしまったのでしょうか。死後の心配はもうないから、この世のことに没頭できると考えるのでしょうか。

 

  イエスは、永遠のいのちを与えるために、鞭打たれ肉を裂かれ、裸になり、血を流されました。死後、兵士のうちのひとりがイエスの脇腹を槍で突き刺すと、ただちに血と水が出て来た、とあります。体液が、血と水に分離するほどの精神的苦悩と肉体的ショックを受けておられたのです。

 

  永遠のいのちとは、神の子羊イエスの生贄によって与えられたものです。十字架で流された子羊の贖いの血と引き換えに与えられるいのちです。大きな犠牲が伴っています。

 

  多くの人は、この犠牲の大きさに気づいていません。自分が救われたことに焦点を当てて見ています。神の恵みを理解しません。イエスの犠牲を軽んじるから、イエスに心を向けようとしないのです。

 

  キリストを信じると言いながら、世のことに縛られたままです。神の御国でイエスの食事を味わう者は、天上で生きる者なのです。天上で生きる歩みをしなければ、神の御国に入ることは出来ません。

 

  パウロは言います。「競技場で走る人達は、皆走っても、賞を受けるのはただ一人だ、ということを知っているでしょう。ですから、あなたがたも、賞を受けられるように走りなさい。また、闘技する者は、あらゆることについて自制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私達は朽ちない冠を受けるためにそうするのです。

 

  ですから、私は決勝点がどこかわからないような走り方はしていません。空を打つような拳闘もしていません。私は自分のからだを打ち叩いて従わせます。それは、私がほかの人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者になるようなことのないためです。」

 

  オリンピックに出場するために、選手達は日夜努力します。オリンピックの出場資格の取得を果たしてもなお一層練習を積み上げ、努力します。

 

  オリンピックで入賞するのは8位までで、メダルを得るのは3位までです。クリスチャンは皆、オリンピック出場を目ざして、練習に励む選手のようです。オリンピックに出ることが夢です、という人達が練習に励みます。幼い頃はそういう夢を持っていたけれど、大人になるにつれて他のことに興味を持ったり、オリンピック出場の夢すら忘れてしまう人もいるでしょう。

 

  そういう人も含めると、大変多くの人々がオリンピックに出場することに思いを寄せていたことになります。しかし、実際にオリンピックに出場できる人はわずかなのです。

 

  かつて知人の友人の息子さんの話を聞きました。熱心なクリスチャンのお母さんは息子さんが神に仕える人になるようにと祈りながら育てました。息子さんの心にも献身の心がありました。しかし、就職した仕事で大活躍したので、仕事が楽しくって、なかなか神学校に進むことが出来ません。

 

  お母さんは心配します。息子さんは、今手掛けているプロジェクトを終えたら、神学校に行くと言いました。しかし、その仕事の半ばで、死の病いにかかってしまいました。仕事も献身も出来ず、寝たきりで苦しみました。

 

  息子さんの癒しのために祈っていたお母さんは、息子の命が尽きることを知り、息子さんの救いのために祈りました。命の灯が消えかかった頃、息子さんは神に悔い改めました。神に献身を誓いながら、世を愛し、献身の誓いを果たしていなかったのです。すると、部屋は悪臭で充満しました。息子さんの中にいた悪霊が出て行ったのです。

 

  息子さんが神の働きに立って神の栄光を現わすことを恐れた悪魔が、悪霊を送って世の成功で息子さんの心を捕らえ、神の道から外したのでしょう。

 

  息子さんは、最後に神に立ち返る恵みにあずかり、永遠のいのちを受けて神のもとに帰ったのです。息子さんは、神の国でイエスの食事を味わう者とされました。天の国に入ったのでした。

 

  長い間、キリストの話を拒んでいる人が、夢を見たと言いました。ある華やかな宴会に招かれ友人達とともに席に着いていました。多くの人々が席に着いており、豊かな食べ物や飲み物がテーブルに並んでいました。誰がこの宴会に招待してくれたんだろうと思っていると、イエス・キリストが招待してくれたのだとわかった、と言っていました。その後、キリストに何らかの好意を持ちつつも、キリストの方に来る気はありません。

 

  その人の周りの友人はとても良い人達ですが、偶像の神へと引き寄せる人達です。また、友人ではないけれども、いつもその人に付きまとう邪な人もいました。邪な人にそそのかされ友人達の言葉に影響を受けて、キリストからは遠い歩みをしています。夢を見てから十年は経っています。

 

  その人がキリストに繋がって友人もキリストに繋がるのではなくて、その人は友人に繋がってイエスが用意された食事から離れました。その人が宴会の招きから離れたので、友人達も招かれることはありません。

 

  その人のことを考えていたら、「言っておくが、あの招待されていた人達の中で、私の食事を味わう者は、ひとりもいないのです」のみことばが与えられました。

 

  神の招きに応じなければ、そして、天上の歩みを学んで行かなければ、神のみもとに集められることはないのですね。