ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

神の善

 

  アダムとエバは、神と交わり、喜びに満たされ、平安に過ごしていました。何の不自由もありませんでした。アダムとエバは神に従い、すべての被造物はアダムに従い、すべてのものに調和がありました。光に満ち、神のことば以外のものはありませんでした。つまり、神の知識以外のものはなかったのです。不調和、不一致、影、闇は存在しなかったのです。すべてのものは、神のことばの中にあり、神のことばに保たれていました。

 

  エデンの園には、善悪を知る木がありました。善悪を知る木の実を食べると、目が開け、神のようになり、善悪を知ることが出来る、と蛇は言いました。

 

  神のことばは、「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べて良い。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ」でした。それで、アダムとエバは、神のことばを守り、神のことばの中にいたのです。

 

  文語体聖書では、善悪を知る木とも善悪の知識の木とも書いてありません。園の中央にある木の実を食べてはならない、と神はいわれたのです。

 

  蛇によって、園の中央の木が、善悪を知る知識を与える木の実である、と知ったのです。蛇はどうやら中央の木のことを知っているようです。アダムもエバも蛇に聞くまでは知らなかったのです。善悪を知る木とはなんて有難く、魅力的な実を実らす木でしょうか。

 

  神のことばの中にいたアダムとエバは、神のことばの外のことを知りませんでした。未知なる事柄です。今まで聞いたことはありませんでした。自分達が知らない世界が開かれるようです。好奇心がくすぐられます。

 

  エデンの園の世界しか知らないアダムとエバにとって、聞いた事もない新しい情報です。神が主であり、主権者である世界にいたふたりにとって、人が神と同じようになって自分で善悪を判断して、自分の作り出した法に従わせることが出来るとは、世界が広がるような、心をくすぐるわくわくする予感のようなものがよぎります。

 

  エバが目を上げて見ると、中央の木になっている実は、美味しそうで色形も良く、しかも、神のように賢くするというその木は、とても魅力的な心惹かれるものでした。

 

  ただの石ころと思っていた石が、数億円の価値があると知らされた時に生じる、人の心を掴む感覚に似ています。価値が無いと思っていたものなのに、魅力的に感じてしまい、印象がガラリと変わるのです。

 

  蛇は言いました。「あなたがたは決して死にません。あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」

 

  神は、「それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ」といわれました。蛇は、「あなたがたは決して死にません」と言いました。しかも、神はこの木が賢くする木だとは教えていませんでしたが、蛇は包み隠さず教え、神はあなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを知っていて、食べることを禁じているということまで明かしてくれました。

 

  神の秘密を知ってしまった気持ちです。神は人に隠しておられるが、蛇は人に隠し事をしません。神に信頼していたのに、神は、人に禁じるだけで隠し事をしておられます。蛇の方が自分達を信頼して隠し事をしない、真実な仲間のように感じてしまうのも無理はありません。

 

  所詮、人は塵で造られた造りものです。アダムは、自分のあとに造られたエバの存在を通して、神が創造主であることはよくわかっています。神は神、人は神のことばの中で生きるものです。蛇の言葉を聞いていると、神のことばの外の世界は魅惑的に感じます。死ぬことは無いようだし、どんな世界なのか興味も湧いて来ました。

 

  この扉の向こうに、自分自身が神のようになるという、未体験の世界が広がっているのです。ちょっと覗いてみたいと心ゆすぶられ、扉に手を掛けて、中央の木の実を食べた結果が、エデンの園からの追放でした。

 

  悪魔は、神の統治される世界の外から、常に声をかけて来ます。神の律法の外には自由があるよ。神を畏れなくていいんだよ。自分自身が神のようになって、自分の好きなように生きる世界だよ。人は支配する者なのだから、自分の好きなように支配すればいいのさ。

 

  悪魔は自由を謳いますが、永遠の不自由である火の池のことは教えません。神が裁きの座に着かれることは隠します。中央の木が善悪を知る木であることをはっきりとアダムとエバに教えた悪魔は、裁きのことは隠します。地獄は無いと言います。中央の木の実が与えた善悪の知識は、いのちに至らせる知識ではありません。死に至らせる知識でした。

 

  永遠の世界、天上の世界の善は、神御自身です。天には、善しかありません。完全なる神がおられて、父なる神、子なる神、聖霊なる神の間には、調和と一致があります。この神の交わりと神のことばが天の御国であり、この中にあるものすべてが善なのです。

 

  善悪を知るという考えそのものが、神の外にあるものです。神の中には悪というものが無いのですから、悪があるということは、神のものではありません。悪の存在は、神に敵対する悪魔のものです。

 

  人は、悪の存在する世界に生まれ、この世で神の善を踏みにじりながら生きているのです。

 

  神の御国で生きる者は、神の善の中で生きる者です。初めエデンの園が神のことばの中にあったように、神のことばの中で生きる者です。

 

  神は、人を神の御国で永遠に生きる者とするために、神のことばである、神のひとり子イエスを遣わされたのです。神が地に遣わされた神の子羊イエスは、神のことばでした。

 

  神のことばの中に入る者は、善悪の知識の実を食べて悪魔の言葉に捕らえられた人間ではなく、神のことばに留まり神の善によって生かされる人なのです。