ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

イエスは預言の成就

 

  神は、神を畏れ忠実なアブラムを選び、アブラムと契約を結ばれました。契約のしるしは、割礼です。それで、アブラムの子孫の男子は、割礼を受けます。

 

  神は、アブラムに約束されました。「わたしは、この、わたしの契約をあなたと結ぶ。あなたは多くの国民の父となる。あなたの名は、もう、アブラムと呼んではならない。あなたの名はアブラハムとなる。わたしが、あなたを多くの国民の父とするからである。」

 

  神は、不妊の女、正妻サラに子を与えることと、その子をイサクと名付けるように、と仰せられた。

 

  イサクが三十歳半ば頃、神はイサクを全焼の生贄として献げるように、と仰せられた。アブラハムは、神に従い、モリヤの山でイサクを屠ろうとした時、神は、アブラハムと父アブラハムに従順なイサクの信仰を見て、アブラハムに与えた契約をイサクに相続させたのです。

 

  そして、主の使いは、アブラハムを呼んで、仰せられた。

  「これは主の御告げである。わたしは自分にかけて誓う。あなたが、このことをなし、あなたの子、あなたのひとり子を惜しまなかったから、わたしは確かにあなたを大いに祝福し、あなたの子孫を空の星、海辺の砂のように数多く増し加えよう。そしてあなたの子孫は、その敵の門を勝ち取るであろう。

  あなたの子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」

 

  「あなたの子孫は、その敵の門を勝ち取る」とは、この世の君(悪魔)の死の呪いを砕き、悪魔に捕らえられた人のいのちを勝ち取る、と言うことです。

 

  これは、エデンの園で、エバを惑わした蛇に宣言されたことばの実現を示します。「わたしは、おまえ(悪魔)と女の子孫(人の子)との間に、敵意を置く。彼(人の子)は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかと(ヤコブつまりユダヤ民族)に噛みつく。」

 

  ここで言う{人の子}とは、女から生まれる人の子として天から遣わす、神のひとり子イエスのことでした。神は、人の子イエスを世に遣わすために、アブラハムと契約を結び、イサクからヤコブ(かかとの意)を産んだのです。ヤコブは、神によってイスラエルと改名されました。イスラエルは、ユダヤ民族の父祖です。

 

  神は、アブラハム、イサク、ヤコブの子孫を契約の民、神の民として造られました。何故ならば、神は、神のひとり子(御子)を人の子イエスとして、イスラエルに生む計画を持っておられたからです。

 

  人の子イエスは、罪の生贄の神の子羊として、天から遣わされるのです。悪魔に捕らえられた女の子孫(人)を、神のことば(善悪の木の実を食べてはならない、という神の命令)から外れた罪の呪いである、死と滅びから救い出すためでした。

 

  永遠のいのちは、神とともにあります。神のことばの中にあるのです。神のことばに相反することは、神のことばの外に出たことになります。彼らは、永遠のいのちから外れたのです。

 

  いのちから外れた人の後ろには、死が付き従います。神が仰せられた通りでした。「善悪の知識の木から取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」そして、神は、罪に堕ちた人を、エデンの園から追放されました。

 

  神のことばの外には、悪魔が支配する闇があります。神のことばから外れた人は、悪魔の性質を受け継いで、闇の行いを愛し、肉の思いの中で生きています。

 

  神は、罪の中で死んでいく人を惜しみ、御自身のひとり子を生贄の子羊として、彼らの罪の身代わりにしよう、と定められたのです。この計画の実行のために造られたのが、ユダヤ民族であり、神の民イスラエルです。

 

  神の預言者ナタンは、イスラエルの王ダビデに、神のことばを告げました。「あなたの家とあなたの王国とは、わたしの前にとこしえまでも続き、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ。」

 

  神は、エルサレムを選び、ダビデを選び、神の民イスラエルの上に立てられたのです。神はダビデに誓われました。「わたしは、おまえのすえを、とこしえに堅く立て、おまえの王座を代々限りなく建てる。」

 

  ダビデに約束された、とこしえに堅く立つ王座に座するお方が、神が罪を贖うキリスト(救世主)として、世に遣わされた神の子羊イエスなのです。彼は、あらゆる国々の国民、部族、民族、国語のうちから、誰にも数え切れないほどの大勢の群衆を治める、イスラエルの王です。

 

  神はイスラエルの預言者イザヤに、ことばを与えられました。

  「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる。

  その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、裁きと正義によってこれを堅く立て、これを支える。今より、とこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。」

 

  神は預言をもって、しるしとされました。そのことが起こったとき、その子がメシアであることを知るためでした。「見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル(主がともにおられる)』と名付ける。」

 

  イエスが処女マリアから生まれた時、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた羊飼い達のところに、主の使いが来て、主の栄光の光が回りを照らす中、彼らに言いました。

  「きょうダビデの町(ベツレヘム)で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。

  あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」

 

  すると、たちまち、その御使いと一緒に、多くの天の軍勢が現れて、神を賛美して言った。「いと高きところに、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」羊飼い達は、みどりごを捜し当て、見聞きしたことが、全部御使いの話の通りだったので、神を崇め、賛美したのです。

 

  イエスは預言者の言葉通りに現れ、神が告げられていた通りに、罪を贖う神の子羊となって、十字架で死なれました。十二時頃イエスが息を引き取られた時、太陽は光を失い、全地は暗くなって、三時まで続きました。

 

  大きな地震が起こり、地が揺れ動き、岩が裂けました。また、神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けました。こうして、神の子羊イエスの罪の贖いのわざが神に受け入れられ、罪の赦しが完了したのです。そして、天の聖所が開かれました。

 

  イエスのことばの通りに、イエスは、三日目に墓から甦り、復活のからだで弟子達に現れました。神は、イエスを復活させることで、イエスが、天から来られた神の御子キリストであることを公に明らかにされました。

 

  霊の目の開かれた弟子達は、復活した霊のからだのイエスを見ることが出来ました。しかし、弟子でない者達には見ることが出来ません。霊の目が閉じたままだからです。

 

  イエスが昇天すると、イエスのことば通りに、聖霊が、開かれた天の聖所から下って来られて、イエスを信じる者のうちに、御霊を分け与えられたのです。御霊とともに、天の神の国があります。御霊を受けたものは、神の国を味わうことが出来ます。

 

  神は、神のことばとともに働かれ、神のことばは、実体となって現されるのです。神のことば(預言)の成就として来られたイエスは、終わりの日に、復活のからだで天から新しいエルサレムとともに来られ、イスラエルの王となられるのです。

 

 

    著作本 『人はどこから来てどこへ行くのか』鍵谷著 (青い表紙の本)

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