ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

肉の契約 霊の契約

 

 「律法の下にいたいと思う人たちは、私(パウロ)に答えてください。あなたがたは律法の言うことを聞かないのですか。

 そこには、アブラハムにふたりの子があって、ひとりは女奴隷から、ひとりは自由の女から生まれた、と書かれています。

 女奴隷の子は肉によって生まれ、自由の女の子は約束によって生まれたのです。

 このことには比喩があります。この女たちは二つの契約です。一つはシナイ山から出ており、奴隷となる子を産みます。その女はハガルです。

 このハガルは、アラビヤにあるシナイ山のことで、今のエルサレムに当たります。なぜなら、彼女(ハガル)はその子どもたちとともに奴隷だからです。

 しかし、上にあるエルサレムは自由であり、私たちの母です。

 すなわち、こう書いてあります。

 『喜べ。子を産まない不妊の女よ。声をあげて呼ばわれ。産みの苦しみを知らない女よ。夫に捨てられた女の産む子供は、夫のある女の産む子どもよりも多い、』

 兄弟たちよ。あなたがたはイサクのように約束の子どもです。しかし、かつて肉によって生まれた者が、御霊によって生まれた者を迫害したように、今もそのとおりです。」(ガラテヤ4:21-29)

 

 アブラハムには、妻サラにひとり、女奴隷のハガルに一人、老年でめとったもうひとりの妻ケトラに六人の息子、みんなで八人の息子がいました。

 神と契約を結ぶアブラハムが跡取りとして考えた女奴隷の子イシュマエルと、神がアブラハムの跡取りとしてお与えになったイサクのふたりの子がいました。

 アブラハムが老年でめとったケトラの六人の子どもたちは、イサクが相続した後で生まれているので、跡取り候補になることはありませんでした。

 

 アブラハムにふたりの子があって、ひとりは女奴隷から、ひとりは自由の女から生まれたとは、女奴隷の子イシュマエルと妻サラの子イサクを指します。

 女奴隷の子は、アブラハムに跡取りを生まなければならないと焦った妻サラとアブラハムの計画によって、アブラハムと女奴隷ハガルの間につくった子です。アブラハムは妻の助言により、男と女の肉の欲求によって、イシュマエルをこさえました。

 

 しかし、神の契約は肉のものではなく、霊的なものです。人間から出たものではなく、生ける神から出たものです。神は、御自身の計画に人間の知恵や力を必要とはされません。神の霊によって成し遂げられるのです。

 

 アブラハムに約束された、神がお与えになるアブラハムの子孫は、神御自身が用意されるのです。神は、神の時に、妻サラの胎内に約束の子イサクを宿らせなさいました。このイサクこそが、神がアブラハムにお与えになった契約を受け継ぐアブラハムの子孫でした。

 自由の女サラ(王女)から生まれたイサクが、王位を受け継ぐ子孫(神のひとり子キリスト)を生む約束の子です。

 

 女奴隷の子イシュマエルは、神の約束によってではなく、肉によって生まれました。

 自由の女の子イサクは、神の約束によって生まれました。

 

 このことは、二つの契約の比喩だと、パウロは言います。

 イスラエルと結ばれた神の契約は、二つあります。一つはシナイ山から出ており、奴隷となる子を産みます。神と契約を結んだイスラエルに神がお与えになった二枚の石の板の律法の下にいる者は、律法に支配される奴隷です。

 この契約は、今のエルサレムに当たります。イスラエルは、霊なる神に仕えるものでありながら、文字に仕え、律法の言うことを聞かないのです。

 

 律法の言うこととは、文字による律法ではなく、モーセがイスラエルに命じた生ける律法です。

 「あなたの神(イスラエルの神)、主は、あなた(ユダヤ民族)のうちから、あなたの同胞(ユダヤ人)の中から、私(モーセ)のようなひとりの預言者をあなた(イスラエル)のために起こされる。彼(キリスト)に聞き従わなければならない。」(申命記18:15)とモーセは、イスラエルに命じました。

 

 文字の律法に支配されて律法の奴隷となっていたイスラエルの霊の目はふさがれ、ユダヤ人たちは、生ける神の栄光(神の御子イエス・キリスト)を見、生ける神の律法(神のひとり子イエス・キリストのことば)を聞いても、神の御子イエス・キリストを信じることができず、イエスのことばを守ることができませんでした。

 ユダヤ人たちは、イスラエルの神が遣わされた神のひとり子イエス・キリストに聞き従わなかったのです。

 

 イスラエルは自由の女サラの子であるのに、女奴隷ハガルが産む奴隷の子と同じように、神の契約(神の御子キリストがお与えになった新しい契約)の外の者となりました。すなわち、シナイ山から出た律法は、奴隷となる子を産むのです。神の霊の自由を味わうことがありません。奴隷の子は自由の子を迫害します。地上のエルサレムに平和はありません。争いの場となっています。

 

 神が新しい自由の律法(御霊)に約束された神の都エルサレムは、天のものです。とこしえの平和と神の御主権が置かれた都です。神が御支配される平和の町エルサレムに、悪しき者が迷い込むことはありません。平和の都は地に属するものではなくて、上にあるエルサレムであり、天に属するものなのです。

 上にあるエルサレムは自由であり、自由の女の産む子らの母です。

 

 自由の女(アブラハムの妻)サラは不妊の女でした。産みの苦しみを知らないで、閉経を迎えました。

 不妊の妻サラは夫に見限られて、女奴隷ハガルの胎にアブラハムの肉の子イシュマエルがみごもり、アブラハムの腕に子どもを与えたのです。

 不妊の女サラは跡取りの母とみなされずに、夫アブラハムから母となる務めを降ろされました。しかし、神は、神の霊によって、死んだも同然の閉経後の九十歳のサラの胎にアブラハムの子イサクを造られたのです。

 神は、アブラハムに約束された、アブラハムの跡取りを、奴隷ではなく自由の女のサラの胎に造られました。

 

 神のことばである聖書には、「夫に捨てられた女の産む子どもは、夫のある女の子どもよりも多い。」とあります。

 神の霊によって生まれる自由の子は、肉によって生まれる奴隷の子よりも多いのです。これは、神と契約を結んだ神の民イスラエルについて言われたのです。

 キリストを否定する肉的ユダヤ人よりもキリストを信じる霊的ユダヤ人の方が多くなることが神によって定められています。

 

 律法の下にいるのは、奴隷の子です。先人の教えを受け継ぎ、しきたりに従って神に仕える者です。聖書のことばを人間のことばで教えます。

 モーセの律法に聞き、ユダヤ人から出たナザレのイエスを神がイスラエルに遣わされた神の御子と信じ、主キリストであると告白する者たちは、神の御霊によって生まれる自由の子です。御霊によって生まれた者は、イサクのように約束の子です。

 

 かつて肉によって生まれた者(奴隷の子)が御霊によって生まれた者(自由の女の子)を迫害したように、今も同じことが行なわれています。

 女奴隷の子は肉によって生まれ、自由の女の子は神の約束によって生まれたのです。

 

 律法の下にあるイスラエルは、肉なるモーセによって契約を結んだ、肉の契約のイスラエルです。彼らは、肉の割礼をしるしとし、石の板に書かれた律法の下に置かれています。レビ人を教師とし、規則に縛られた奴隷の子は、律法の違反を恐れながら、地上のエルサレムを慕います。

 

 地上のエルサレムには、二千年前、神の子羊の血が流されました。罪の贖いの血です。神は、約束どおり、イスラエルにキリストを遣わされました。キリストの血によって、イスラエルの罪の贖いは完了されました。

 キリストの血が罪の違反の呪いを取り除き、神はイスラエルの罪を赦し義とされたのです。キリストは天から来られた方でした。肉の欲求によって生まれた奴隷の子ではありません。神の御霊によって生まれた霊の子です。イサクのように約束の子です。

 

 ナザレのイエスの血は、罪を贖う神の子羊の血でした。聖なる子羊の血は、罪の呪いを砕き、律法の違反の呪いから解放し、自由の子としてくださいます。

 神は、イエス・キリストを信じる者の罪を赦し、律法の奴隷を解き放ち、自由の子とされます。キリストの血をおおうことで、聖なる者としてくださいます。

 

 キリストにある者は、律法の下にはいません。神は、彼らに石の板に書かれた律法ではなく、彼らの心に神の国の律法を記されます。キリストが与えられる御霊です。

 神は、シナイ山の契約に代わり、新しい律法を与えられました。

 肉(律法に従う)によって生まれたイスラエルは、キリストがお与えになる神の御霊(生かす御霊に聞き従う)によって生まれる新しいものに造り変えられるのです。

 

 新しい契約(霊の契約)が現われた以上、前の契約は古いのです。

 肉の契約はアブラハム、イサク、ヤコブの血肉の子孫と結ばれたもので、男の包皮を切り取る割礼とモーセの律法によって、全能の神に仕えました。

 霊の契約は、イスラエルの同胞ユダヤ人から出た神のひとり子キリスト・イエスが、イエスを主キリストと告白する者と結ばれたもので、男も女もなく、ユダヤ人も異邦人もなく、心の割礼とイエスのことばを思い起こさせる真理の御霊によって、生ける神に仕えます。

 

 聖書は、「奴隷の女とその子どもを追い出せ。奴隷の女の子どもは決して自由の女の子どもとともに相続人となってはならない。」と言っています。

 神は、女奴隷と奴隷の子どもを約束の地から追い出し、自由の女の子どもとともに相続人となることを許されません。

 

 肉の契約に留まる者(律法の下にいる者)は、神の御子イエス・キリストが治められるイスラエル王国から締め出されます。外で泣いて歯ぎしりしなければなりません。

 霊の契約を受ける者(キリストの御霊を持つ者)は、上にあるエルサレムに入る自由の子です。御霊によって新しく生まれ、肉体の束縛から解放されて永遠に生きる神の子どもたちです。

 

 初めの肉の契約は、肉によって生まれた者が肉の律法の下にいる奴隷の子を産みます。

 後から来た霊の契約は、御霊によって生まれた者が御霊(霊の律法)に聞き従い永遠のいのちを得て、キリストの治められるイスラエル王国の国民とされます。