ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

信仰によって生まれたアブラハムの子 御霊によって生まれた神の子

 

 土の塵から生まれた人は、神に鼻からいのちの息を吹き込まれて、生きものとなりました。人形のように命のない土の造形物に神の息が吹き込まれて、生きたものとなったのです。

 

 神は、生きたものとなった人のあばら骨から、もうひとりの人を造られました。神である主が「人がひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう。」と仰せられたからです。

 

 最初の人はアダム、アダムから取られた人はエバ。男と女です。最初の人は、男と女のふたつのものとなりました。二つですが、もとは一つです。男と女のふたりですが、もとは一体の人です。ふたりですが、もとはひとりの人です。

 

 最初の人は、蛇の言葉に騙されて神のことばから外れ、エデンの園から追放されました。いのちの息を吹き込まれて生きたものとなった人は、神のことば(神のひとり子)から外れて、いのちの息が抜き取られるものとなってしまいました。

 

 いのちの息を吹き込まれて生きたものとなった人は、いのちの息が抜き取られて土の造物に還ります。

 「わたしの霊は、永久には人のうちに留まらないであろう。それは人が肉にすぎないからだ。それで人の齢は、百二十年にしよう。」(創世記6:3)と仰せられた主のことばによって、寿命が定まりました。

 

 いのちの息が抜き取られた土の造物は、いのちのない死んだ者となります。話すことも聞くことも歩くこともできない、朽ちていく抜け殻です。

 

 人は、寿命が来れば死にます。この世は、死者たちのはかない命の時間です。実を結ばない花園です。やがて、枯れて土に還ります。

 

 この世に、神のことばを信じるアブラハムを見出された神は、アブラハムと契約を結び、アブラハムを神のことばのうちに歩ませられました。アブラハムは信仰によって生まれ、神に義とされるための契約を結んだ第一の人です。

 

 アブラハムの子イサクも、父アブラハムの神を神とし、神を信じる者でした。イサクの子ヤコブもまた、アブラハムの神、イサクの神をわが神と呼ぶ信仰を持つ者、アブラハムの信仰によって与えられた契約を受け継ぐアブラハムの子でした。

 

 アブラハムの子は、信仰によって生まれた者です。

 神は、アブラハムの子孫に、神のひとり子を遣わされました。アブラハムの信仰を相続する子孫ユダヤ民族(イスラエル)に、神の御子イエス・キリストが生まれました。

 

 イスラエルも、イエス・キリストも、アブラハムの信仰の実です。アブラハムの信仰はこの世のものではなく、天に属するものです。

 死者(死が定められている者)たちの花園であるこの世に、神は、アブラハムの信仰を育て、信仰の実をみのらせられました。

 

 イエス・キリストは、アブラハムの信仰を受け継いで信仰の民として育てられたイスラエルに遣わされた神のひとり子です。イスラエルは、神のひとり子イエス・キリストを地上に迎えるために、神がねんごろに育てられた栽培種のオリーブの木でした。

 

 オリーブの木は、神に仕える祭司の国民です。神は、地上に、天の神に仕える神の民イスラエルを造られたのでした。神は、イスラエルを神の祭司の国民として育てられ、イスラエルにお与えになられた神の子羊イエスを屠らせなさいました。

 

 イスラエルが屠った子羊イエスの血は、罪の贖いを完成させる血です。死者の花園のこの世に、罪の贖いの子羊の血が与えられました。実を結ばない死者の花園に実を結ぶオリーブの木が植えられ、オリーブの木(イスラエル)は、天のまことの聖所で仕えるとこしえに生きる大祭司イエス・キリストの実を結びました。

 

 死者たちのはかない世に、永遠に生きる神のひとり子が来られて、永遠のいのちを得させる御救いのわざを完成させられました。

 

 土から取られた肉の人々の世の中に、信仰によって生まれたアブラハムの子らが生まれました。信仰は、イスラエルだけのものではありません。神の民イスラエルが生んだナザレのイエス、神が御救いのために遣わされた神のひとり子キリスト・イエスを信じる者は、信仰による義人アブラハムの子に数えられます。

 

 神の御子イエス・キリストを救い主と信じて、信仰によってイエス・キリストと結ばれた者は、アブラハムの子孫でなくても、神の契約を持たない異邦人であっても、アブラハムの子となるのです。信仰によって生まれた者は、アブラハムの子です。

 

 アブラハム、イサク、ヤコブの血肉の子孫であっても、信仰の実を結ばない者は、信仰によって生まれたアブラハムの子ではありません。アブラハムの契約は、神への信仰によって成り立つのです。

 

 イエス・キリストを信じる者は、神のことばを信じて義とされたアブラハムに与えられた、神の契約を受け継ぐ者となります。神の国には、アブラハムの子らが招かれます。信仰の子どもたちが招かれるのです。

 

 実を結ぶことがない死者たちの花園であるこの世に、実を結ぶアブラハムの子孫(イエス・キリスト)の木が植えられました。神のことばに信頼するアブラハムの信仰が生んだ、永遠のいのちの木(メシア)です。

 

 アブラハムの子らは、永遠のいのちの木であるイエス・キリストに繋がります。神のひとり子イエス・キリストに繋がる者に、神は、賜物として、御霊を与えられます。木に咲く花で終わらせません。実を結ばせられるのです。

 

 神の賜物である御霊を受け取るのは、信仰の結実です。

 御霊を受ける者は、御霊によって生まれる神の子どもです。肉のからだの罪に悩み、信仰によって神に結びついた者のうち、復活されたキリストの御霊によって生まれた者は、新しい創造を受けます。

 

 土から取られたアダムの子、生まれつきのまま生きるアダムの子らは、肉の欲望のまま生きる肉の人です。肉の人は、死に定められた死者です。彼らは、死者の花園(この世)で、はかない愉しみを味わいます。

 信仰によって生まれたアブラハムの子らは、神がお与えになった永遠のいのちの木(イエス・キリスト)に引き寄せられ、神の御子イエス・キリストに繋がります。しかし、実を結ぶためには、御霊が必要です。

 御霊によって生まれた御霊の子らは、良心がきよめられ、御霊の思いを受けて、永遠のいのちを得る者にふさわしく造り変えられます。御霊は、その人を十字架につけて肉の欲望を殺し、新しい人に造り変えてくださるのです。

 

 最初の人は、鼻からいのちの息を吹き込まれて生きた人となりました。しかし、新しい人は、永遠のいのちである御霊を受けて住まわせ、永遠に生きる神の子となるのです。

 

 神は信仰の人々を集められ、その中から、御霊の実を結ぶ神の子どもたちを、天の御国に入れてくださいます。

 

 神のことばから外れたアダムの子らは、いのちの息が抜き取られます。

 しかし、神が遣わされた神のことば(神の御子イエス・キリスト)に繋がる者は、神の御霊を受けて、神のことばのうちを歩み、永遠のいのちを受けるのです。