ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

御霊による啓示

 

  イエス・キリストを信じる者が語るのは、隠された奥義としての神の知恵です。それは、永遠の昔から存在しておられる神が、世界が始まる前から、神の御子を信じ受け入れる者達の栄光のために、あらかじめ定められたものです。

 

  その神の知恵とは、御子を信じる者に与えられる、真理の御霊のことです。神の御霊が住んでおられる者は、この世にありながら、肉の中にではなく、御霊のうちにいるのです。

 

  キリストの御霊を持たない人は、たとい私はクリスチャンだと思っていても、キリストのものではありません。

 

  もしキリストがうちにいるなら、からだは罪のゆえに死んでいても(朽ちて滅んでも)、霊が、義(罪を赦す神の子羊キリスト・イエスの贖いの血)のゆえに生きています。

 

  もしイエスを死者の中から甦らせた方の御霊が住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中から甦らせた方(神)は、うちに住んでおられる御霊によって、その人の死ぬべきからだをも生かしてくださいます。

 

  福音の言葉と宣教とは、説得力のある知恵の言葉によって行われたものではなく、御霊と神の御力の現れです。伝える彼らの信仰が、人間の知恵に支えられず、神の力に支えられるためでした。

 

  この世に属する者は、誰ひとりとして悟りません。この知恵は、この世の知恵ではないからです。この世の知恵は、神の御前では愚かなものなのです。

 

  聖書に書かれています。

  「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えて下さったものは、みなそうである。」

 

  神は神が備えられたものを、御霊によって、愛のある者に啓示されたのです。(愛のない者に、神はわかりません。何故なら、神は愛だからです。)御霊はすべてを探り、神の深みにまで及ばれます。人の心にあることは、その人のうちにある霊が知っています。御霊は、その霊を調べられます。

 

  イエスは、父に祈られました。

  「天地の主であられる父よ。あなたを褒めたたえます。神の知恵を、賢い者や知恵のある者には隠して、幼子達に現して下さいました。そうです。これが御心にかなったことでした。

 

  すべてのものが、わたしの父から、わたしに渡されています。それで、父のほかには、子を知る者がなく、子と、子が父を知らせようと心に定めた人のほかは、誰も父を知る者がありません。」

 

  神の御心のことは、神の御霊のほかには誰も知りません。キリストを信じる人は、この世の霊を受けたのではなく、神の御霊を受けました。

 

  生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらは彼には愚かなことだからです。愛のない彼らには、それを悟ることが出来ません。御霊のことは御霊によってわきまえるものだからです。

 

  イザヤは言います。

 「 いったい、誰が主の御心を知り、主を導くことができたのか。誰が主の霊を推し測り、主の顧問として教えたのか。主は誰と相談して悟りを得られたのか。すべての国々も主の前では無いに等しく、主にとっては空しく形もないものとみなされる。

  それなのに、人間は偶像を作って、それの前にひれ伏す。

  あなたがたは、神を誰になぞらえ、神をどんな似姿に似せようとするのか。

  聖なる方は仰せられる。『わたしを、誰になぞらえ、誰と比べようとするのか。』」

 

  御霊は、キリスト・イエスに代わる、もうひとりの助け主です。真理の御霊です。イエスは十字架で死なれ、墓に入り、三日目に甦り、天に上られ、今は父の右の座に着座しておられます。父が、キリストの名によって地上にお遣わしになった聖霊です。

 

  もうひとりの助け主は、キリストにある者にすべてのことを教え、また、イエスが話したすべてのことを思い起こさせてくださるのです。世はその方(真理の御霊)を受け入れることが出来ません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。

 

  イエス・キリストを愛する者は、イエスの言葉を守ります。すると、父がその人を愛し、御霊はその人とともに住みます。

 

  人は行き過ぎをして、イエスは人ではなかった、地球外から来た宇宙人だ、はたまた、人ではなく神そのものであると考えます。彼らは、イエス・キリストが人として来られたことを告白しない者です。人を惑わす者です。しかし、女から生まれ、人の子となって来られたイエス・キリストを告白する霊はみな、神からのものです。

 

  偽り者は、イエスがキリスト(救世主)であることを否定する者です。御父と御子を否認する者は、反キリストのものです。誰でも、御子を否認する者は、御父を持っていません。神から出た者ではありません。御父のもとに帰ることはありません。御子を告白する者は、御父を持っているのです。

 

  人は、御父と御子を正しく知らなければなりません。礼拝されるのは、御父であって、イエスはまことの聖所(天)で仕える大祭司なのです。キリストは、御父に執り成される、神と人の間に立つ仲介者です。御霊は、人に父なる神を礼拝することを教えられるのです。

 

  人は、イエスを愛し、イエス・キリストの御名によって祈り、御霊に教えられ導かれて、父なる神を礼拝する者とされるのです。

 

  御霊は、地上における教師です。神の子らの養育係です。もし、御霊によって、からだの行いを殺すなら、生きるのです。もし肉の思いに従って生きるなら、復活の望みはありません。その人は、死ぬのです。

 

  キリストを信じる人は、この世の霊を受けたのではなく、神の御霊を受けました。神の御霊に導かれる人は、誰でも神の子どもです。人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。

 

  それで、人は御霊によって、「アバ(お父ちゃん)、父」と呼びます。その人が神の子どもであることは、御霊ご自身が、その人の霊とともに、証してくださいます。もし子どもであるなら、相続人でもあります。その人がキリストとともに栄光を受けるために苦難をともにしているなら、神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。

 

 

    著作本 『人はどこから来てどこへ行くのか』鍵谷著 (青い表紙の本)

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